目次
第一部 鶴と亀はすべったか
序章
第一章 「かごめかごめ」の記録
第一節 現在の「かごめかごめ」
第二節 以前の「かごめかごめ」
竹堂随筆
四方のあか
戻橋背御摂
月花茲友鳥
幼稚遊昔雛形
俚謡集拾遺
その他
第二章 記録の絞り込み
第一節 絞り込み 1
新潟、長野の「かごめかごめ」
「亀」について
「後ろの正面 だあれ」
第二節 絞り込み 2
記録一覧
「すべった」について
「なべ」について
第三節 絞り込みの結果
第三章 「かごめかごめ」の試訳
第一節 固定部分の訳
かごめ かごめ
かごの中の鳥は
いついつ 出やる
夜明けの晩に
つるつる
なべのなべの底抜け
第二節 「つるつる」以下試訳 1
「つっぱいった」
仮説 1
仮説 2
第三節 「つるつる」以下試訳 2
「つっぱる」
第四章 結論
第一部 鶴と亀はすべったか
序章
「かごめかごめ」という唄の謎解きをやろうと思う。子供の頃、「鶴と亀がすべる」というのは、不思議であった。長ずるに及んで、ものの本で、昔の「かごめかごめ」は、現在と違うことを知った。しかし、どう違うかまでは知らぬまま、今日に至っている。
それが、インターネット上の某掲示板で、「かごめかごめ」が話題になったのを期に、謎解きを思い立った。但し、私は、高校時代、古文が苦手で、「次の動詞の主語を答えよ」という問題で、「うぐいす」だけを正解し、見事、百点満点で十点を獲得、以後、ウグイス法伝と呼ばれた男。あくまで遊びと心得られたい。
インターネット上には、既に、いくつか、「かごめかごめ」を論じたページがある。「かごめ 鶴と亀」で検索すれば、簡単に見つかる。しかし、ほとんどは、意味不明であるのを良いことに、さしたる根拠もないままに、荒唐無稽の想像を膨らませているに過ぎぬ。その中、「かごめかごめ」の意味を知る上で、一読に値するのは、胡蝶さんの「A Square of Vanity」所収「かごめかごめ」歌詞考である。私がこの謎解きで、最も参考にさせていただいたページでもある。
第一章 「かごめかごめ」の記録
第一節 現在の「かごめかごめ」
現在、巷間に流布する歌詞は、およそ、以下の通り。
かごめ かごめ
かごの中の鳥イは いついつ 出やアる
夜明けの晩に 鶴と亀がすウべった
うしろの正面 だアれ
(青いカタカナは、法伝)
しかし、口承されてきたものゆえ、成立当初から、現在の形であったとは限らぬ。地方によっても異同がある。まずは、「かごめかごめ」が、今日まで、どの様に記録されてきたか。以下、煩雑を顧みず、紹介する。
第二節 以前の「かごめかごめ」
竹堂随筆
「竹堂随筆」は、浅草覚吽院に住した修験僧行智の編んだ童謡集である。編纂時期は文政3(1820)年頃と推定されるが、収録されている内容は、宝暦・明和年間(1751~72)のものと言われている。同書によれば、「かごめかごめ」は、以下の通り。
かァごめかごめ。か引ごのなかの鳥は。いついつでやる。夜あけのばんに。つるつるつッペェつた。なべのなべのそこぬけ。そこぬいて引た引ァもれ。
(青い引は、のばす印。茶色の部分は、原典で繰り返し記号)
四方のあか
「四方(よも)のあか」は、大田南畝(蜀山人)の作で、天明年間に出版されている。直接に、かごめかごめを記録していないが、子供の遊びに言及した部分で、以下のように記している。
つるつるといる名にめでて、籠目々々とうたふ。
(茶色の部分は、原典で繰り返し記号 以下同様)
なお、一部に、「つるつるといふ名にめでて」と引用する者があるが、確認できなかったことを追記しておく。
戻橋背御摂
戻橋背御摂(もどりばしせなのごひいき)は、鶴屋南北の手になる歌舞伎芝居で、文化10(1813)年、江戸市村座で初演された。南北は、この大切(おおぎり=芝居の最後)で、子供の遊び歌を取り入れている。出典によって、若干、内容が異なるので、ふたつ挙げる。
かごめかごめ籠の中の鳥は、いついつ出やる、夜明けの晩に、つるつるつッはいた
(大南北全集)かご目かご目篭の中の鳥はいついつ出やる、夜明けの晩につるつるつるはいつた
(鶴屋南北全集)
月花茲友鳥
月花茲友鳥(つきとはなここにともどり)は、文政6(1823)年、市村座で初演された。 この浄瑠璃には、
かごめかごめ籠の中の鳥は、いついつ出やる、夜明けの晩に、つるつるつるつゝぱつた
とある。
幼稚遊昔雛形
幼稚遊昔雛形(おさなあそびむかしのひながた)は、天保15(1844)年に刊行された、万亭応賀編の童謡童遊集である。これには、
かごめ かごめ かごのなかへ(の)とりは いついつねやる
よあけのまえに つるつるつッペッた
なべの なべの そこぬけ そこぬけたらどんかちこ そこいれてたもれ
(孫引き)
と収録されている。
俚謡集拾遺
明治38(1905)年、文部省は、各府県に、管内の俚謡、俚諺、童話、古伝説等の報告を求めた。後に、この報告をまとめて、大正3(1914)年、俚謡集として刊行した。この時に掲載を見送られた童謡などを収録したのが、大正4(1906)年刊行の俚謡集拾遺である。ここには、東京、長野県南安曇郡、新潟県高田市の「かごめかごめ」が収録されている。それぞれ、
籠目かごめ、籠の中の鳥は、いついつでやる、夜明けの晩に、ツルツル辷(ツ)ウベッた。
(東京 ツは振り仮名)籠目かごめ、籠の中のますは、何時何時出やる、十日の晩に、鶴亀ひきこめひきこめ。
(長野県)かごめかごめ、籠の中の鳥は、いついつ出やる、よあけの晩げつゝらつゥ
(新潟県)
とある。
その他
底本の成立時期が不明なので、引用は避けたが、これ以外にも、常磐津の「新山姥(薪荷雪間(たきぎおうゆきま)の市川)」が、月花茲友鳥と同様に伝承している。
第二章 記録の絞り込み
第一節 絞り込み 1
以上の記録に限っても、現在、流布されている「かごめかごめ」とは、かなり違っていたことが知れる。ここでは、これらを元に、「かごめかごめ」の原形を求めて、絞り込みをしてみる。
新潟、長野の「かごめかごめ」
新潟県高田市、長野県南安曇郡の「かごめかごめ」は、江戸・東京から伝播した可能性が高い。
俚謡集拾遺は、新潟県、長野県については、俚謡が伝承された地域を記しているが、高田市、南安曇郡を結ぶ地域に、「かごめかごめ」の報告はない。また、東京と高田市、東京と南安曇郡を結ぶ地域にも、新潟県内、長野県内を含めて、「かごめかごめ」の報告はない。長野、新潟以外の県については、報告されなかった可能性も考えられるが、両県については、県内他地域の報告もない。
高田、南安曇野の両地に、「かごめかごめ」が伝播した理由は不明である。両地が共に、徳川の親藩もしくは譜代の治める地域であったことと関係があるやもしれぬ。しかし、「かごめかごめ」の原形を求めるという目的から外れるので、この点は保留する。「亀」について
明治時代の長野県以外に、「亀」の記述がないので、亀については、明治末から大正以降に加えられた可能性が高い。
亀を入れて謡うようになったのは、文献上は、長野県南安曇野郡が最初である。既に、東京の一部で、亀を入れて謡っていたものが、南安曇野に伝わったか、南安曇野の「亀入り」が東京に伝わったか、両者は無関係に、自然同時発生したか、疑問は残る。「後ろの正面 だあれ」
これは、俚謡集拾遺で明らかなごとく、明治末から大正以降に追加されたものであって、「かごめかごめ」の原形とは無縁である。
第二節 絞り込み 2
記録一覧
ここまで絞り込んで、これまでに引用した記録を一覧にすると、以下のようになる。
年代
文献
「すべった」
「なべ」 宝暦明和(1751-72) 竹堂随筆 つッペェつた 記述あり 天明年間(1780頃) 四方のあか いる 記述なし 文化10(1813) 戻橋背御摂 つッはいた
つるはいつた記述なし 文政6(1823) 月花茲友鳥 つるつゝぱつた 記述なし 天保15(1844) 幼稚遊昔雛形 つッペッた 記述あり 大正4(1906) 俚謡集拾遺 辷(ツ)ウベッた 記述なし
「すべった」について
今日、「すべった」と言われる部分は、実に様々である。俚謡集拾遺の表記は、これらの語が「すべった」に転訛する過程を示している。「辷」は、本来、「すべる」と読む。俚謡集拾遺は、この文字を当てて、「ツ」とルビを振っている。すなわち、明治の終わり頃には、「すべった」の訛りと理解されているのである。「すべった」は、「かごめかごめ」の原形とは関係ない。
「なべ」について
現在の「かごめかごめ」には、竹堂随筆や幼稚遊昔雛形に記録されている「なべ」以下の部分がない。幼稚遊昔雛形にあって、俚謡集にないので、この間のいずれかの時期に、「なべ」以下の部分が省略されたと思われる。言い換えれば、「なべ」以下が消滅して、「つるつる」が、「すべる」の擬態語と誤解されるようになったのだろう。
竹堂随筆と幼稚遊昔雛形の間に作られた戻橋背御摂と月花茲友鳥に、「なべ」以下の記述がないが、これには理由がある。両狂言共に、「かごめかごめ」を、子供の遊戯歌メドレーの一部として使用している。例えば、戻橋背御摂では、「子とり」と呼ばれる遊戯歌の次に「かごめかごめ」が謡われる。したがって、「かごめかごめ」のすべてが記述されなくても不思議はないのである。第三節 絞り込みの結果
以上から、江戸後期に限定されるが、「かごめかごめ」の原形は、次のようなものであったと考えられる。
かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる
夜明けの晩に つるつる (つッペェつた つっぱいた つっぱった等多数)
なべのなべの底抜け (以下2通り)
第三章 「かごめかごめ」の試訳
前二章でみた如く、「かごめかごめ」の原形は、
かごめかごめ
かごのなかのとりは
いついつでやる
夜明けの晩に
つるつる
なべのなべのそこぬけ
の固定部分と、「つるつる」、「なべ」に続く変動部分に分かれる。
よって、まず、問題のない固定部分を訳す。次に、変動部分、特に、意味不明の「つるつる」以下に、どの語がふさわしいかを考える。第一節 固定部分の訳
かごめ かごめ
「かごめ」は「囲め」が語源だという説がある。柳田国男によれば、これは、「かがめ」の訛ったものだという。「囲め」ならば、輪を作る者に、「かがめ」ならば、輪の中の者に、指示していることになる。
かごの中の鳥は
「かごめ」からの連想で「かご」、かごからの連想で「鳥」につながる。同時に、「かごの中の鳥」は、目隠しをしてしゃがんで輪の中にいる者を表す。
いついつ 出やる
かごの鳥は、いつになったら、出られるのだろう。すなわち、輪の中にいる者は、いつになったら、輪の外に出られるのだろう。
夜明けの晩に
いつになったら出られるかという問いを受けて、実際にはあり得ない表現で、いつ出られるか判らないことを表す。当時の「かごめかごめ」が、後ろに座る者を当てたか横にいる者を当てたかは不明だが、とにかく、当てなければ出られないので、出られる時期は特定できない。それを、夜明けの晩と表したのだろう。
ただし、夜明けの晩を、夜明けでも、まだ暗い方を示すとする説がある。このような用法が一般的であったか否か、確認できないので、一応、採用は見送った。つるつる
すでに書いたように、このつるつるは、元来、鶴とは無縁である。これは、速やかに、円滑にという様子を表す擬態語である。
同様の用例としては、千葉県流山市に残る「つるつる」という遊びがある。つるつる
かぎになれ
さおになれ
たいころばちのふたになあれこれも、今日、鶴、鶴と解する者があるが、鶴が、鈎や竿や太鼓の撥になるというのは解せない。この遊びが、「鬼決めの後、手を繋いだ子供達が、鬼の回りで複雑な形を作っていく」ことを考えれば、「早く」という意味が妥当である。
なべのなべの底抜け
「なべ」は「つる」からの連想である。ここで言う「つる」は、「鉉」、すなわち、鍋や鉄瓶などについている弓形、もしくは半円形の取っ手のこと。もし、前の「つるつる」が鶴の意なら、亀などが連想されたに違いない。
第2節 「つるつる」以下試訳 1
いよいよ問題の「つるつる」以下である。「つるつる」以下の動詞から連想できる語は、「つっぱいる」もしくは「つっぱる」である。
つっぱいる
日本国語大辞典によれば、「つっぱいる」は、「突き入る」の転化した語で、突入する、むりやり入り込む、さっと入るなどの意味がある。そして、同書は、この語の使用例として、戻橋背御摂の「かごめかごめ」を引用する。
竹堂随筆の「つッペェつた」や大田南畝の「つるつるといる名にめでて」も、こちらを指していると思われる。
しかし、この記述にしたがって「速やかに入り込む」と理解しても、問題が残る。誰が(何が)どこへ入り込むか不明なのである。無理を承知で推理すれば、次のふたつくらいが考えられようか。仮説 1
鶴は無関係ゆえ、可能性としては、周りを囲む者か中で屈む者しかない。中で屈む者は、既に籠の中の鳥であるから、残るのは、周りを囲む者しかない。では、周りを囲む者の誰かが、どこへ入り込むのか。考えられるのは籠しかない。すなわち、周りを囲む者が、輪の中(籠)へ入り込むのである。
もし、そうだとすると、「かごめかごめ」は、今日とは違った遊び方だったということになる。今日の「かごめかごめ」は、
目隠しをして屈んだ子供の周りを、謡いながら回る
「後ろの正面だあれ」で、周りの者が、一斉に屈む
輪の中の者が、真後ろに屈んだ者を当てる
という遊びである。
それが、周りを囲む者が輪の中に入るならば、
「つるつるつっぱいった」で、周りを囲んでいた者の一人が、輪の中へ入る
入った者を、目隠しした者が当てる
ということになる。
この遊び方を承認できるならば、「つっぱいる」が正しいと言える。しかし、次のような理由で、この遊び方には否定的である。
1) この遊び方では、輪の中に入る者を、毎回、一人、決めておかなければならぬ。それでは、遊びが中断され、しかも、短時間で、すんなり決まるとも限らぬので煩わしい。
2) 大正以後、「後ろの正面だあれ」が付加されたが、この時、「かごめかごめ」は、後ろの正面に屈んだ者を当てる遊び方だったはずである。もし、輪の中へ、周りの誰か一人が入る遊び方ならば、別の文句を用意したに違いない。
3) 大正以後、遊び方まで改めたのならば、どこかに、形を変えて、古い遊びが残っていそうなものだが、その痕跡がない。仮説 2
これは、冒頭に紹介した胡蝶さんの説である。氏は、「つるつるつっぱいる」を、「周りの者が、目隠しをした者の後ろに入り込むことだ」と推理する。
しかし、この遊び方も、誰が後ろに回り込むかを、毎回、決めなければならぬので、煩わしいこと、上に述べたのと同様である。また、後ろに回り込むなら、素直にそう言えばいいのであって、後ろに入り込むという必要はない。よって、これも、いささか無理な推理だと思われる。かくして、「つるつるつっぱいる」と解釈するには無理があるという結論に達する。
第3節 「つるつる」以下試訳 2
「つっぱる」
「つっぱる」というのは、「突き張る」という語が元である。相撲の「突っ張り」、暴走族の「ツッパリ」、屁の「つっぱり」など、現在の意味と、ほとんど違わぬ。
「つるつる」以下に「つっぱる」が続くとすると、「つっぱいる」以上に、意味不明になる。誰が、なぜ、誰(何)を相手に突っ張るのか、全く解らないのである。まさか、輪を作る者が、目隠しをして屈んだ者を突っ張ることもあるまい。かくして、「つるつるつっぱった」という解釈も、暗礁に乗り上げる。
第四章 結論
「鶴と亀」はすべらなかった。しかし、「鶴と亀がすべった」に相当する部分の意味は、遂に明かにできなかった。「かごめかごめ」を記録した文献が、新たに発見されなければ、オーソドックスな手法で、これ以上の進展は望めぬだろう。残念ながら、これが、現在までの結論である。
さりながら、これで諦めたわけではない。これは、あくまでも、第一部の結論である。第二部では、禁を破って、私の仮説を開陳することにする。
(2001/10/10) 初稿
(2002/11/18) 2稿
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