衆議院議員総選挙は、中盤戦に突入しました。
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昭和46年4月26日 西日本新聞(2面)
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昭和46年4月27日 西日本新聞(16面)
新聞各紙の他に、ネットニュースを拝見すると、過去3回の総選挙と異なり、自民党は、かなりの苦戦を強いられています。
今日は、「野党の候補一本化で一気に形勢が逆転した選挙区もある。とりわけ苦戦しているのがベテラン勢だ」との記事を見つけました。
やはりというべきか、苦戦が伝えられている、わが大分2区の自民党公認候補「衛藤征士郎」もそのうちの一人だという衝撃的な事実を突き付けられました。
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信じられないかもしれませんが、このままでは、本当に危ないのです!
この危機感を皆様にも共有していただけると助かります。
今、当落線上にある「衛藤征士郎」の政治の原点は、29歳で初当選を果たした玖珠町長としての経験だと、聞いたことがあります。
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最初の選挙の投票日は、昭和46年4月25日。当日有権者数15,911人、投票者数15,054人、投票率94.61%。
5人による激戦を、4,223の票を得て当選を果たした「衛藤征士郎」が、政治家としての第一歩を踏み出した日です。
その当時の新聞記事がありますので、ご紹介します。
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昭和46年4月26日 西日本新聞(2面)
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昭和46年4月27日 西日本新聞(16面)
以来、玖珠町長2期6年、参議院議員1期6年、衆議院議員12期38年。
政治家として50年。
「衛藤征士郎」には、郷土のため、国家のために、力を蓄え、力を発揮してきた経験と実績があります。「失っては二度と戻らない、大分の貴重な代表」です。
また、「衛藤征士郎」には、
・金帰火来を徹底し、強いと言われた社会党現職を相手にし、たった3か月の準備で挑戦した参議院選挙(昭和52年7月)
・自民党の公認を得られないまま挑戦した最初の衆議院選挙(昭和58年12月)
・民主党への政権交代の嵐に飲まれた10回目の衆議院選挙(平成21年8月)
など、厳しい選挙が何度もありましたが、今回は、その比ではなく、これまでで最も厳しい選挙となっています。
平成24年、平成29年、令和2年と度重なる災害からの復旧・復興、中津日田道路の一日も早い全線開通などなど、身近な多くの課題の解決に向けて、この選挙区から、絶対に自民党代議士を失うわけにはいきません。
国政の舞台でも、コロナ対策、社会保障、外交防衛、憲法改正など「確かな政治」のためには、絶対に自民党代議士が必要です。
皆様の力強い御支持、御支援で、自民党公認の「衛藤征士郎」を引き続き、衆議院に送り出してくださいますよう、心からお願い申し上げます。