令和4年1月14日(金曜日)
朝は厳しい冷え込みでした。
三男・良三朗の格好を見て、寒くないのか?と思いますが、至って平気のようです。見る方が寒いですが、本人が寒くないのなら、やむを得ません😨
午前中、電話やメール等による情報提供をたくさんいただきました。それに伴う意見交換をさせていただき、話が弾み、あっという間に昼になっていました。午後も同様。ありがたいことです。
市の担当部署に、直接お話したかったことも電話で伝えてしまいましたが、時間をかけて、しっかり話を聞いてくれました。実現可能なことも、そうでないこともありますが、市民の皆様の生の声を市政に届けて、実現の可能性を探るのは、議員の大切な仕事だと思っています。
昨日、コロナの影響に苦しむ切実な声、今と将来を見据えた視点のお話を聞かせていただきました。今日は、市の商工労政課が国の事業である『事業復活支援金』について、ホームページ等で周知していました。
【日田市ホームページ】
市の事業ではありませんが、こうした周知を積極的に行うことはとても大切だと思います。商工観光部長ともお話でき、なるほど!と思いましたので、私の情報発信の中で共有します。該当する方は、ぜひご活用ください。
話が変わります。
海部俊樹元総理大臣が、今月9日に亡くなっていたとの一報が入りました。享年91。
海部先生が総理に就任された平成元年8月当時、私は中学1年でした。この年のスタートは昭和64年でしたが、7日に昭和天皇が崩御され、平成に改元。4月、竹下総理が退任を表明(25日)。6月、宇野内閣が発足したものの(3日)、7月の参院選(23日)で自民党が結党以来初めての惨敗を喫し(大分も惨敗)、混迷の中、総裁選が実施されました。この時の経緯・経過を、私はなぜか、今でもはっきり覚えています🤣
海部政権発足は正直、ビックリしましたが、最小派閥の河本派に所属しながら、最大派閥の竹下派がバックアップするという政治家の繋がりを学んだのはこの時です😆笑 退陣の時のゴタゴタも忘れられません(平成3年10月)。
平成2年2月の衆議院総選挙は、海部内閣のもとで行われました。衛藤晟一先生と岩屋毅先生が衆議院に初当選された選挙です。
早稲田大学の弁論部・雄弁会のご出身である海部先生が、演説の名手だと本で読んだのは、総理に就任される前でした。まさかと思いましたが、本当に、総理に就任されましたので、ニュース等で流れる演説を録画して、勉強させていただいたのが懐かしい思い出です。