2016/05/03 京都府亀岡市の『亀岡光秀まつり』を見学に行って来ました。
武者行列は、午後1時に亀岡市役所をスタートしました。
▼亀岡市役所 ▼明智かめまるが先導します。
▼京都南丹マーティングバンド
▼手づくり甲冑隊
▼雑賀衆・・・応援隊です
▼明智光秀本隊
▼鉄砲隊
▼長刀隊
▼明智光秀 ▼明智秀満
▼槍隊
▼正室煕子 ▼玉子
2016/05/03 京都府亀岡市の『亀岡光秀まつり』を見学に行って来ました。
武者行列は、午後1時に亀岡市役所をスタートしました。
▼亀岡市役所 ▼明智かめまるが先導します。
▼京都南丹マーティングバンド
▼手づくり甲冑隊
▼雑賀衆・・・応援隊です
▼明智光秀本隊
▼鉄砲隊
▼長刀隊
▼明智光秀 ▼明智秀満
▼槍隊
▼正室煕子 ▼玉子
2016/05/08 『真田まつり』の武者行列の見学に和歌山県伊都郡九度山町へ行ってきました。
<散策コース>南海高野線・九度山駅下車・・・・・対面石・・・旧菅野家・・・真田の抜け穴・・・真田庵(善名称院)・・・真田ミユージアム・・・道の駅柿の郷くどやま・・・・・慈尊院・・・丹生官省符神社・・・・・道の駅柿の郷くどやま・・・[真田まつり・武者行列見学]・・・南海高野線・九度山駅
▼南海高野線・九度山駅
▼対面石の概要
▼対面石 ▼旧菅野家(大石順教尼の館)
▼大石順教尼の館の概要
▼旧菅野家(大石順教尼の館)
▼真田古墳(真田の抜け穴)
▼真田の抜け穴 ▼真田庵(善名称院)
▼真田庵(善名称院)
善名称院、真田庵とも呼ばれ、関ヶ原の敗戦後、九度山に蟄居を命じられた真田昌幸・幸村(信繁)父子の屋敷跡に建てられたお寺です。
▼雷封じの井
▼九度山真田ミュージアム
▼女人高野・慈尊院・・・世界遺産登録
▼丹生官省符神社・・・世界遺産登録
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真田まつり・武者行列は、紀州九度山真田まつり会場(道の駅柿の郷くどやま)を午後1時30分にスタートしました。武者行列は、総勢約500名で、午後3時に真田庵(善名称院)に到着しました。NHK大河ドラマ「真田丸」に出演の草刈正雄さん(真田昌幸役),中川大志さん(豊臣秀頼役)のお二人が武者行列に参加されました。
▼ブラスバンド隊 ▼真田昌幸
▼真田幸村(信繁) ▼真田大助
▼猿飛佐助 ▼三好青海入道
▼真田の旗印(六文銭)
▼雑賀衆・・・応援部隊です。
▼中川大志さん(豊臣秀頼役) ▼草刈正雄さん(真田昌幸役)
2016/01/17 『近鉄・吉野線飛鳥駅から近鉄・橿原線畝傍御陵前駅』まで文化・歴史散策に行ってきました。
<アクセス>近鉄・吉野線飛鳥駅・・・猿石・・・欽明天皇陵・・・鬼の雪隠・鬼の俎・・・久米寺・・・橿原神宮・・・瑞鶴之碑・殉国之碑・・・喜多酒造・・・近鉄橿原線畝傍御陵前駅
▼近鉄・吉野線飛鳥駅
▼吉備姫王墓(きびひめのみこのはか)の概要
▼猿石(さるいし)
吉備姫王の墓前の石造物4体は猿石と呼ばれています。猿石は、「女」「山王権現」「僧」「男」と呼ばれています。そのうち、「僧」以外の3つは、後ろに天邪鬼の様な顔があります。猿石は元禄15年(1702年)に、梅山塚(現在の欽明天皇陵)の南の田園より掘り出されました。材質は、花崗岩です。
▼欽明天皇陵の概要
▼鬼の雪隠(せっちん)の概要 *雪隠とは、「トイレ」のことです。
▼鬼の俎(まないた)・雪隠(せっちん)の概要
▼鬼の俎(まないた) ▼久米寺
久米寺は、聖徳太子の弟にあたる来目皇子が建立した寺院。現在の宗派は、真言宗で京都・仁和寺の別院です。アジサイのお寺として有名です。
▼橿原神宮
橿原神宮は、天照大神の血をひく神武天皇をお祭りしています。第一代天皇として即位されたのが紀元元年、今年で紀元2600年を迎えます。
▼瑞鶴之碑 ▼殉国之碑
▼喜多酒造 ▼近鉄・畝傍駅
【喜多酒造】
創業は享保3年(1718年)。代表銘柄は「御代菊」は創業者のこだわりの酒造りを受け継ぐ、美しいお酒です。
*喜多酒造に立ち寄り、「御代菊」のしぼりたて生酒とにごり酒を各2本買って帰りました。
春日大社若宮神社の神様を1日だけ外へお連れして古典芸能を楽しんでもらう「春日若宮おん祭」が12月15日~18日,奈良市で開かれました。この儀式は、平安時代に始まり、今年で880回目を迎えました。12月17日は、 「お渡り式」のため奈良市に見学に行ってきました。
▼「お渡り式」県庁前を出発
時代装束を身にまとった約千人と馬約50頭の行列が、若宮神の待つお旅所へ向かう。
▼三条通は、人・人・人でした。
2015/11/17 京都・嵯峨野の『紅葉の京都・嵯峨野巡り』に散策に行ってきました。
<ハイキングコース>JR嵯峨嵐山駅・・・渡月橋・・・天龍寺(世界遺産)・・・竹林の径・・・あだしの念仏寺・・・清涼寺・・・大覚寺・・・後宇多天皇陵・・・清涼寺・・・JR嵯峨嵐山駅
▼JR嵯峨嵐山駅 ▼渡月橋 嵐山のシンボル
▼天龍寺
天龍寺は、臨済宗天竜寺派大本山の寺院である。開基は、足利尊氏、開山は夢窓疎石である。足利将軍家と桓武天皇ゆかりの禅寺として京都五山の第一位とされてきた。「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されている。
▼天龍寺
▼竹林の径
▼常寂光寺 ▼二尊院
▼化野念仏寺の概略
▼化野念仏寺
▼化野念仏寺
▼化野念仏寺
境内の約8000体という夥しい数の石仏・石塔は、1903年頃に化野に散在していた多くの無縁仏を掘り出して集めたものである。
▼化野念仏寺 ▼六面六対地蔵
▼六面六体地蔵さまの説明
▼化野念仏寺
▼清涼寺の概要
元は、光源氏のモデルとされる源融(みなもとのとおる)の山荘・棲霞観があったところです。
▼清涼寺(嵯峨釈迦堂) ▼大覚寺
▼後宇多天皇陵
後宇多天皇は、後醍醐天皇の父上です
2015/11/03 三重県松阪市の『氏郷まつり』に行ってきました。近江国日野で生まれた蒲生氏郷公は、国指定史跡となった松阪城の初代城主で商都まつさかの礎を築きその後,会津若松に移封となる。文武両道の優れた人物で茶の道でも千利休七哲の一人でもある。蒲生氏郷の妻、冬姫は織田信長の娘で仲むつまじい夫婦であった。
<アクセス>JR・近鉄・松阪駅南口下車南へ(中心市街地・松阪城跡)
▼第54回氏郷まつり
松阪城跡および中心市街地で武者行列・楽市楽座などが午前9時~午後4時まで開催されました。
▼道路は人、人、人でした。
▼武者行列
▼蒲生氏郷
▼冬姫(奥方:織田信長の娘)
2015/10/22 京都の『時代祭』を鑑賞に行ってきました。
時代祭行列は、京都御所・建礼門を12:00~14:00に通過するということで、京都御所・建礼門の南約100mのところで鑑賞しました。
▼名誉奉行
明治維新時代
江戸時代
▼徳川城使上洛列
▼豊公参朝列
▼織田公上洛列
室町時代
▼室町洛中風俗列
吉野時代 ▼楠公上洛列
時間の都合で、明治維新時代から吉野時代までしか鑑賞できませんでした。残念!!
2015/10/12 岐阜県の関ヶ原町に『関ヶ原合戦の史跡めぐり(1)』に行ってきました。
<ハイキングコース>JR東海道線・関ヶ原駅下車・・・岡山(丸山)烽火場[黒田長政・竹中重門陣跡]・・・決戦場・・・石田三成陣跡・・・島津義弘陣跡・・・小西行長陣跡・・・宇喜多秀家陣跡・・・平塚為広碑・・・大谷吉継墓・・・大谷吉継陣跡・・・脇坂安治陣跡・・・福島正則陣跡・・・JR関ヶ原駅
▼関ヶ原合戦のあらすじ
▼関ヶ原の概略図
▼JR関ヶ原駅 ▼黒田・竹中陣跡
▼黒田・竹中陣跡への道 ▼黒田・竹中陣跡
▼国史跡・岡山(丸山)烽火場 [黒田長政・竹中重門陣跡]
戦況を把握しやすい高台に陣を置いた、黒田長政と竹中重門。戦機を見てここから烽火を挙げた。竹中重門は合戦当時の関ヶ原の領主であった。
▼岡山(丸山)烽火場からの眺め
▼国史跡・決戦地
小早川秀秋の寝返りにより東軍優勢となり、西軍の敗北が見えた関ヶ原合戦。石田三成の首を狙う東軍諸隊が笹尾山を目がけて突進したことにより、ここで激戦が繰り広げられた。
▼島左近陣跡
▼矢来(やらい)
▼笹尾山山頂への道 ▼国史跡・石田三成陣跡
▼笹尾山・石田三成陣跡
石田三成は、関ヶ原が一望できる笹尾山に本陣を置いた。
▼笹尾山からの眺め
▼島津義弘の陣跡
島津義弘隊は、小早川秀秋隊の寝返りで戦況が一変すると、東軍の中央を突破し、見事伊勢街道への脱出に成功するが、島津豊久は、当主であり叔父にあたる島津義弘を救うべく、その身代わりとなって討ち死にした。そして堺から船で、本国の鹿児島へたどり着いた人数はわずか約80名であった。
▼島津義弘陣跡
▼「関ヶ原戦跡踏破隊」の名碑
▼国史跡・開戦地
決戦の朝、霧が薄くなった8時頃、松平・井伊隊が動く。先峰の福島隊の脇を通り抜けて発砲。これに怒った福島正則が、宇喜多隊に対して一斉射撃を仕掛けたのがこの場所である。
▼北天満山・小西行長陣跡
小西行長隊は、合戦開始とともに北天満山から烽火を上げて味方に開戦の合図をした。午後になり、大谷隊が敗れたとの知らせを受け、山を越えて敗走する。
▼南天満山・宇喜多秀家の陣跡
宇喜多秀家は、天満神社の境内に16,000騎という西軍の主力部隊の副総師として参戦した。開戦直後、福島正則隊に攻め込まれ、激しい戦いとなった場所である。
▼藤川台
藤川台に大谷吉継、戸田重政、平塚為広等が布陣し、小早川秀秋隊等との壮絶な死闘が展開した。
▼平塚為広の碑
平塚為広は、合戦当時、関ヶ原の隣の垂井1.2万石の城主であった。
▼国史跡・大谷吉継の墓
大谷吉継の首を埋め隠した湯浅五助。それを藤堂仁右衛門に発見され、自らの首と引き換えに他言を阻止し、供養を託した。敵ながら感心した藤堂が合戦後に墓を建てた。隣には湯浅五助の墓が建つ。
▼大谷吉継の陣跡
石田三成の盟友・大谷吉継は、病身を押して参戦。石田三成への「義」を貫いた。予想していた小早川秀秋の寝返りにも動ぜず応戦するが、配下の脇坂隊らの攻撃により大谷隊は混乱。あえなく自害した。
▼松尾山眺望地 ▼松尾山
大谷吉継は、ここから松尾山に陣した小早川秀秋を監視していた。
▼脇坂安治の陣跡
脇坂安治は、西軍として松尾山魔に布陣した。松尾山の小早川秀秋隊が寝返ると、それに反応し大谷吉継隊へ攻撃。東軍の勝利に貢献した。
▼福島正則の陣跡
開戦すぐに西軍の最強の宇喜多秀家隊(約16,000騎)へ攻撃をかける。
関ヶ原合戦後、徳川家康は、地元の領主で東軍に参戦した竹中重門に1,000石を与え、関ヶ原の戦後処理(あとかたずけ)を命じたのである。
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■関ヶ原布陣(youtubeより)
https://www.youtube.com/watch?v=97RvBs8tmrA
■関ケ原の戦いにかかわる城と陣地(youtubeより)
https://www.youtube.com/watch?v=Y2rp3d7HKXk
2015/10/06 奈良市の『世界遺産・春日山原始林から若草山山頂ヘ』散策に行ってきました。
<ハイキングコース>JR奈良駅・・・猿沢池・・・浮御堂・・・志賀直哉旧邸・・・春日大社・・・春日山遊歩道・・・若草山山頂・・・近鉄奈良駅
▼猿沢池
猿沢池は、興福寺が行う「放生会」の放生池として、749年に造られた周囲360mの人工池です。放生会とは、万物の生命をいつくしみ、捕えられた生き物を野に放つ宗教儀式である。
▼一の鳥居
▼浮御堂 ▼洞水門
洞水門は、地中に伏瓶を埋めるなど空洞を作り,そこにしたたり落ちる水が反響して、琴の音色に聞こえるようにした仕組みです。別名、水琴窟とも呼ばれています。
▼志賀直哉旧邸
▼春日大社
春日神社は、中臣氏(後の藤原氏)の氏神を祀るために768年に創設された神社で、全国に約1,000社ある春日神社の総本社です。
▼水谷茶屋 ▼春日山遊歩道入口
▼春日山遊歩道
春日山遊歩道は、若草山と春日山の間の谷から若草山山頂ヘと続くハイキングコースです。春日山原始林で森林浴を楽しめます。
▼若草山三重目(標高342m)
▼若草山からの眺め
▼史跡 鶯塚古墳概要
▼鶯塚古墳・・・山頂にある前方後円墳で全長は、103mです。
▼春日山遊歩道 ▼奈良公園
▼森鴎外が奈良に滞在していた宿舎の門
森鴎外(1862年~1922年)は、明治時代から大正時代にかけての小説家・評論家で軍医としても名高く、近代日本を代表する知識人の一人です。森鴎外は、大正6年(1917年)12月に帝室博物館の総長に任命され大正11年(1917年)7月に亡くなるまで、その職にありました。帝室博物館総長は、東京・京都・奈良の帝室博物館を総括する要職でした。
▼興福寺
2015/09/27 南泉州の岸和田から寺内町そして空港のまちへハイキングに行ってきました。
<ハイキングコース>南海・岸和田駅下車・・・岸和田城・・・岸和田だんじり会館・・・三の丸神社・・・阿理莫(あるまか)神社・・・貝塚市歴史展示館・・・感田神社・・・願泉寺・・・脇浜戎神社・・・二色の浜公園・・・緑道(阪神高速湾岸線沿い)・・・南海・泉佐野駅
▼岸和田城(千亀利城とも呼ばれています)
▼岸和田城概略図
▼岸和田だんじり会館 ▼三の丸神社
▼南海電車・蛸地蔵駅 ▼阿理莫(ありまか)神社
▼貝塚市歴史展示館
▼感田神社の概要
▼感田神社
▼感田神社
▼願泉寺(貝塚御坊)の概要
▼願泉寺(貝塚御坊)
▼貝塚寺内町の概要
▼貝塚寺内町の略図
▼綿の木
▼脇浜戎大社
▼二色の浜公園の概略図
▼二式の浜からの景色
▼緑道(阪神高速4号湾岸線沿い)
▼南海泉佐野駅
2015/09/22 三重県の名張市の『赤目の歴史散策』に行ってきました。
<ハイキングコース>近鉄大阪線・赤目駅下車・・・極楽寺・・・自然歩道・・・赤目四十八滝・・・延寿院・・・勝手神社(柏原)・・・柏原城(滝原城)・・・近鉄大阪線・赤目駅
▼極楽寺の概要
▼極楽寺(真言宗豊山派)
毎年3月東大寺二月堂の修二会(しゅうにえ)(3/1~3/14)の期間中「達陀の行」(だつたんのぎょう)(3/12~3/14)で使用される大松明を約700年間絶えることなく調達してきた「極楽寺松明調達行事」で知られています。
▼東大寺二月堂で使用されるお水取りのたいまつ
▼自然歩道入口(赤目四十八滝ハイキングコース)
▼赤目四十八滝前
▼延寿院(天台宗山門派)
▼勝手神社概要
▼勝手神社 ▼決戦之地柏原城の碑
▼薬師堂の概略
▼薬師堂 ▼柏原城址(滝野城址)
『天正伊賀の乱』ゆかりの柏原城(滝野城)
▼柏原城(滝野城)の概要
2015/05/31 滋賀県長浜市のJR余呉駅から『賤ケ岳経由で山本山へ』散策に行ってきました。
<ハイキングコース>JR北陸本線・余呉駅下車・・・岩崎山砦・・・大岩山砦・・・賤ケ岳・・・古保利古墳群・・・山本山城址・・・朝日小学校・・・JR北陸本線・河毛駅
▼ハイキングコースの概略図
▼岩崎山砦・・・高山右近軍1000騎で守備していたが、となりの大岩山砦が、佐久間盛政軍8000騎に攻められ、激戦が開始されると、直ちに、羽柴秀長の本陣の二上山に退却した。
▼大岩山砦・・・中川清秀軍1000騎で守備していたが、佐久間盛秀軍8000騎の猛攻を受け、4時間の激戦後、全滅した。
▼中川清秀の墓
▼賤ケ岳砦
▼主郭 ▼賤ケ岳より余呉湖を望む
▼賤ケ岳より琵琶湖を望む ▼賤ケ岳より南へ連なる
丘陵の先端、山本山を望む
▼丘陵の尾根
▼古保利古墳群(国指定史跡)
▼馬の蹴跡
▼堀切と土橋
▼山本山城の縄張り図
▼本丸(主郭) ▼二の丸
▼三の丸
▼朝日山神社 ▼山本山
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賤ケ岳の戦 天正11年(1583年)
織田信長の跡目を定める尾張清州会議で、柴田勝家と羽柴秀吉が対立。賤ケ岳で柴田勝家軍23000騎と羽柴秀吉軍50000騎が激突。前半は、佐久間盛政の活躍で柴田勝家軍が優勢であったが、柴田勝家軍の前田利家隊3000騎が戦わず、戦場離脱後、羽柴秀吉方の七本槍の活躍等で、羽柴秀吉軍の優勢になり、柴田勝家北ノ庄で自刃。
▼賤ケ岳での両軍の配置図
2015/05/15 滋賀県米原市の『秀吉・三成出逢いの観音寺から横山城址ヘ』ハイキングに行ってきました。
<ハイキングコース>JR東海道線・近江長岡駅・・・西山八幡宮・・・三島池・・・観音寺・・・横山城(南城址)・・・横山城(北城址)・・・石田屋敷跡(石田会館)・・・石田バス停⇒⇒⇒(湖国バス)⇒⇒⇒JR北陸線・長浜駅
▼JR近江長岡駅
▼八幡神社 ▼杉並木(天然記念物)
▼三島神社 ▼三島池
▼観音寺の概要
▼石田三成・水汲みの井戸 ▼観音寺・惣門(重要文化財)
▼観音寺本堂(重要文化財) ▼鐘楼(重要文化財)
▼横山城の概要
▼南城址 ▼井戸
▼北城址・・・標高312m
▼横山城(北城址)からの眺め
▼日吉神社 ▼石田屋敷跡(石田会館)
▼石田屋敷跡 ▼石田家の墓が確認された場所
▼石田三成公一族及家臣の供養塔
長浜市石田町は、慶長5年(1600年)の天下分け目の関ヶ原合戦で西軍の大将として大儀に殉じた非運の石田三成公の出生地です。石田三成公は、永禄3年(1560年)石田町の村長(むらおさ)石田正継公の二男として生まれた。石田家は京極家に仕えた郷士(土豪)である。
2015/05/03 近鉄大阪線・河内国分駅から近鉄南大阪線・藤井寺駅までの『大阪夏の陣(小松山・道明寺合戦)跡』を散策してきました。
<散策コース>近鉄大阪線・河内国分駅下車・・・片山神社・・・奥田三郎右衛門墓・・・大阪夏の陣小松山古戦場跡碑・・・大阪の陣供養塔・・・後藤又兵衛基次の碑・・・玉手橋・・・碓井八坂神社・・・誉田八幡宮(誉田林古戦場址)・・・薄田隼人正兼相墓・・・道明寺・・・道明寺天満宮・・・近鉄南大阪線・道明寺駅
▼近鉄・河内国分駅 ▼徳川軍の精鋭部隊
▼片山廃寺塔跡之概要
▼片山廃寺の塔の基壇 ▼片山神社
徳川軍の奥田三郎右衛門は、小松山に陣取った豊臣軍の後藤又兵衛隊に真っ先に攻め上がってきて、戦死した。
▼奥田三郎右衛門の墓
▼大阪夏の陣・小松山古戦場跡碑
①小松山の戦い・・・慶長20年(1615年)5月6日の未明に豊臣軍の先陣、後藤又兵衛基次隊が河内国分に集結する徳川軍の大軍をめがけて突入し、奮戦して後藤又兵衛基次は討ち死にした。
▼玉手山七号古墳
▼大阪夏の陣古戦場の概要
▼大阪夏の陣徳川・豊臣両軍の戦死者の供養塔▼後藤又兵衛基次の碑
玉手橋は、柏原市と藤井寺市の境にある石川に架かる歩道橋で、長さ151mの吊り橋です。平成13年(2001年)には、吊り橋として全国で初めて国の登録有形文化財に指定されました。
▼玉手橋(国の有形文化財)
▼豊臣軍の鉄砲隊 ▼豊臣軍の精鋭の真田幸村隊
▼碓井八坂神社と井徳院址の概要
▼碓井八坂神社 ▼碓氷八坂神社のイチヨウの木
▼燈籠 ▼誉田八幡宮
▼誉田八幡宮の概要
②道明寺の戦い・・・慶長20年(1615年)5月6日、石川を渡って進む徳川軍に、豊臣軍二番手の薄田隼人兼相(すすきだはやとのかみかねすけ)隊が立ち向かい薄田隼人兼相は討ち死にした。
③誉田の戦い・・・慶長20年(1615年)5月6日、徳川軍の伊達正宗が勢いをそのままに、応神天皇陵の南から西へ回り込もうとしたところを豊臣軍三番手の真田幸村隊が応戦した。
①と②と③の三つ戦いは、『道明寺合戦』と総称されます。
▼薄田隼人正兼相の墓
▼道明寺の概要
▼道明寺
▼道明寺天満宮
菅原道真・天穂日命・覚寿尼をまつる由緒ある神社。菅原道真を輩出した菅原氏は土師氏(はじうじ)の一支で、天穂日命は古墳造営を担った土師氏の祖神です。菅原道真公の伯母である覚寿尼は土師寺の尼僧で、土師寺には社殿と仏殿が並んでいましたが、明治維新の廃仏毀釈命で離され、今では道明寺天満宮と道明寺が東高野街道を隔てて並んでいます。
▼道明寺天満宮 ▼大阪夏の陣道明寺合戦記念碑
(近鉄・道明寺駅前)
2015/04/29 (水・祝) 奈良県生駒郡平群町の『平群町の歴史散策』に行ってきました。
<ハイキングコース>近鉄生駒線・平群駅下車・・・藤田住宅・・・白山神社弥ろく堂・・・長屋王墓・・・宮山塚古墳・・・椿井井戸・・・近鉄生駒線・竜田川駅
▼ツポリ山古墳の概要
▼ツポリ山古墳
▼藤田家住宅の概要
▼藤田家住宅
▼藤田家住宅(重要文化財)
昭和53年に国の重要文化財に指定されています。江戸時代の大庄屋の大和棟の形式を持つ大規模住宅。
▼藤田家住宅平面図
▼白山神社の概要
▼白山神社
白山神社は本来福貴寺の鎮守社。明治維新の廃仏毀釈命で現在は福貴寺も普門院も姿を消したが、境内には弥ろく堂、周辺には僧坊跡が残っている。
▼白山神社弥ろく堂
▼吉備内親王墓
▼長屋王墓(宮内庁管理)
▼平等寺地蔵堂 ▼平等寺春日神社
▼平等寺春日神社の概要
▼平等寺春日神社の絵馬
▼宮山塚古墳の概要
▼宮山塚古墳 ▼椿井春日神社
▼椿井井戸の概要
▼椿井井戸 ▼石仏
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■□■へ ぐ り 時 代 祭 り■□■
平成27年(2015年)4月29日に実施されました。
▼先導係(長屋王くんと左近くん)
①奈良県立添上高等学校吹奏楽部員 ②倭建命(やまとたけるのみこと)
③はなさとこども園児 ④平群のずく
⑤ゆめさとこども園児A ⑥聖徳太子
⑦役行者 ⑧山伏のみなさん
⑨長屋王・吉備内親王 ⑩長屋王・吉備内親王
⑪ゆめさとこども園児B ⑫平群廣足
⑬行基菩薩 ⑭松永弾正久秀
⑮嶋左近清興 ⑯岐阜からの最強援軍の皆さん
⑰婦人会 ⑱平群マイスターズ