nakazumi's blog

文化・歴史・城郭をメインに、時々『気になる事』を記す婆娑羅ブログ!

なばなの里『イルミネーション』

2015年03月21日 | 文化・歴史散策

2015/03/20 三重県桑名市長島町のなばなの里のイルミネーション』を見学に行ってきました。

[所在地:三重県桑名市長島町駒江漆畑270番地]

アクセス>近鉄名古屋線・長島駅から三重交通バスで約10分

水上イルミネーション

 

池のほとりの紅葉

 

             ▼地上45mまであがる展望台(アイランド富士)

 

光のトンネル200m 

 

 

イルミネーションメイン会場 [ナイアガラの滝]

 

 

 

 

 

 

光のトンネル100m[お花畑]

 

 

河のほとりの紅葉

 

 日本最大級の花ひろば『なばなの里』見学する価値あり!


水辺の集落・東近江市伊庭町の散策

2015年03月08日 | 文化・歴史散策

2015/03/07  水辺の集落東近江市伊庭町の散策に行ってきました。

<散策コース> JR琵琶湖線・能登川駅・・・乙女橋・・・カヌーランド・・・伊庭・・・伊庭御殿・・・JR琵琶湖線・能登川駅

宗祇法師像・・・室町時代の伊庭氏出身の連歌師

 

能登川石田遺跡

              ▼乙女橋

 

大中の湖干拓地・・・湖の水を抜いて耕作地にした。

 

能登川の水車の由来

カヌーランドの水車

 

カヌーランド

 

金刀比羅神社・・・昔の伊庭港の跡  常夜灯(金刀比羅神社)

 

妙楽寺(浄土真宗本願寺派)

 藤原鎌足の長子・定慈法師の開基。天台宗で相続したが、室町時代に真宗仏光寺派に転じ、さらに元文4年(1739年)本願寺派に転派した。寺内の四ケ寺は、明治に独立した。

 

伊庭城の概要

 

 室町時代の宗祇法師は、伊庭氏の出

  

伊庭城の石垣

  

光明本尊(正厳寺)

 正厳寺は、妙楽寺が、元文4年(1739年)本願寺派に転派の際、仏光寺派に残った門徒の建てた寺。

 妙金剛寺、天正7年(1579年)、安土慈恩寺にて安土宗論行われる。伊庭の浄土宗・金剛寺の貞安上人が召されて、織田信長の前で、法華宗の僧との法論に勝ち、織田信長より『妙』の一字を賜り、妙金剛寺と改称した。

正厳寺(真宗仏光寺派)   ▼妙金剛寺(浄土宗)

 

大浜神社・仁王堂の概要

大浜神社・仁王堂・・・鎌倉時代前期の建築

大典禅師踁顕彰碑     大徳寺(臨済宗妙心寺派)

                    大徳寺は、伊庭城主の菩提寺である

 

伊庭御殿遺跡概要

 伊庭御殿地は、徳川家康・家光、上洛の際の宿舎跡。

伊庭御殿地広場      ▼伊庭御殿地と御茶之水址

 


灘三郷から神戸南京町『春節祭』へ

2015年02月22日 | 文化・歴史散策

2015/02/21  灘三郷(魚崎郷御影郷西郷)を経由して、神戸南京町春節祭へ散策に行ってきました。

散策コース>JR神戸線・住吉駅・・・櫻正宗記念館(魚崎郷)・・・菊正宗酒造記念館(御影郷)・・・白鶴酒造資料館(御影郷)・・・神戸酒心館(御影郷)・・・沢の鶴資料館(西郷)・・・神戸南京町『春節祭』・・・JR神戸線・元町駅

櫻正宗記念館「櫻宴」(魚崎郷)                 

 

菊正宗酒造記念館(御影郷)

 

白鶴酒造資料館(御影郷)

 

神戸酒心館「福寿(御影郷)

 

沢の鶴資料館(西郷)

 

神戸南京町略図         

 

長安門

 

神戸南京町(神戸市中央区)

 

 神戸南京町の「春節祭」は、中国で旧歴の正月(1月1日)を祝って数日間繰り拡げられる年間最大の行事です。毎年約50万人が訪れます。今年の神戸南京町の『春節祭』は、2月19日(木)~2月22日(日)の4日間です。


宇治十帖の古蹟と宇治川沿いの史跡の散策

2015年02月18日 | 文化・歴史散策

2015/02/17  京都の公家衆の別荘地・宇治の宇治十帖の古蹟と宇治川沿いの史跡の散策に行ってきました。

<散策コース>JR京都線・宇治駅・・・三室戸寺・・・宇治上神社・・・興聖寺・・・天ケ瀬ダム・・・平等院・・・橋媛神社・・・JR京都線・宇治駅

東屋50帖  東屋観音

椎本46帖  彼方神社

手習53帖  三室戸の京都宇治線沿い西側の碑

三室戸寺(本山修験宗)

 

蜻蛉52帖  源氏物語ミュージアムから三室戸に小道にある碑

総角47帖 宇治上神社の北川、大吉山の登り口にある碑

宇治上神社        ■□■世界文化遺産■□■

              ▼拝殿(国宝)

 

                                                 ▼本殿(国宝)

 

早蕨48帖  宇治神社の北側の一角、散策道路に面している碑

興聖寺(曹洞宗)      ▼山門(竜宮門)

本堂

 

                                                  天ケ瀬ダム

 

天ケ瀬ダム

 

宿木49帖  宇治川左岸、旅館街から離れたところにある碑

 

平等院(天台宗と浄土宗兼用の単立寺院)

橋姫45帖 橋姫神


灘の『酒蔵巡り』

2015年02月14日 | 文化・歴史散策

2015/02/14 灘の酒蔵巡りに行ってきました。

<散策コース>JR神戸線・灘駅・・・沢の鶴資料館・・・白鶴酒造資料館・・・菊正酒造記念館・・・浜福鶴吟醸工房・・・JR神戸線・住吉駅

JR灘駅付近の略図

JR灘駅          ▼沢の鶴資料館

 

樽廻船

酒樽づくり        ▼ミュージアムショップ

 

白鶴酒造         ▼白鶴酒造資料館

 

白鶴の歩み

 白鶴(白鶴酒造)は、昭和2年(1927年)に灘育英会(現在の私立灘中学校・灘高等学校)を設立した。

 白鶴酒造は、日本酒売上NO.1。

 白鶴の設立した私立灘高等学校も日本NO.1の超難関大学への進学校である。

モト摺り

菊正宗酒造記念館

 

釜場

浜福鶴吟醸工房

昔の酒造り工程

 

白鶴酒造資料館で蔵酒N(500ml)2本買って帰りました。


山背古道①

2015年01月28日 | 文化・歴史散策

2015/01/27 山背古道①[木津の旧街道から三角緑神獣鏡32面出土の椿井大塚山古墳へ]のハイキングに行ってきました。

[ハイキングコース]JR京都線・木津駅下車・・・大智寺・・・椿井大塚山古墳・・・湧出宮・・・橘諸兄公旧跡・・・井堤寺跡・・・JR京都線・玉水駅

JR木津駅         ▼大智寺

 

大智寺概要

木津川          ▼泉橋寺

 

泉橋寺概要

 泉橋寺は、別名「橋寺」とも言われ、行基が5畿内(山城・大和・摂津・河内・和泉)に造営した四十九院のひとつである。

泉橋寺の石造地蔵菩薩坐像

 石造地蔵菩薩坐像は、鎌倉時代に造られたもので、高さは約4.58m.丸彫りの石仏としては、日本一の大きさを誇っている。

          椿井大塚山古墳

                  築造期は3世紀末で、山城地方最大の前方後円墳である

 

湧出宮

  中世以来続く一連の宮座行事は、国の重要文化財に指定されています。

 

             拝殿・本殿

 

蟹満寺

 今昔物語集等に記載がある蟹の恩返しの伝承で有名である

 

              橘諸兄公旧跡

 

橘諸兄公  (684年~757年)

井堤寺跡

 橘諸兄が建立した寺院。東西南北とも約160mの規模を誇り,塔や金堂を中心に法隆寺式七堂伽藍の整った大きな寺院であった。

井堤寺跡        ▼井堤寺概略図

 


四天王寺どやどや

2015年01月15日 | 文化・歴史散策

2015/01/14  大阪市天王寺区の四天王寺・六時堂での修正会結願法要どやどや(通称:どやどや)に行ってきました。

アクセス>JR環状線・天王寺駅下車北へ徒歩10分

四天王寺

 

四天王寺境内図

最初は、保育園児・幼稚園児です

  

 

二番目は、四天王寺羽曳が丘中高校生です。

 

 

 

お札取りは、赤組(今宮村)の勝ち、白組(天王寺村)の負けでした。

 

最後は、清風中高校生と清風南海中高生です。

 

 

 

 

お札取りは、白組の勝ち、赤組の負けでした。

 

白組退場         ▼赤組退場

 

 今年も、1/1~1/14の修正会は無事に終わりました。


京都の三閣(金閣・銀閣・銅閣)巡り

2014年12月08日 | 文化・歴史散策

2014/12/07 『京都の三閣(金閣銀閣銅閣)』巡りに行ってきました。[徒歩約20km]

アクセス>JR・京都駅・・・三十三間堂・・・八坂の塔・・・雲院(銅閣)・・・知恩院・・・哲学の道・・・滋照寺

(銀閣)・・・相国寺・・・船岡山・・・鹿苑寺(金閣)・・・JR・円町駅

大雲院(通称:銅閣)[所在地:京都市東山区祇園町南側594-1]

 

銅閣(非公開)  屋根が銅

銀閣寺  [所在地:京都市左京区銀閣寺街2]

 

銀閣

 

金閣寺 [所在地:京都市北区金閣寺町1]

総門

 

金閣

 

 初冬の平日、京都市内を約20Km散策して、円安の影響で外国人観光客が特に増加しているのがよくわかりました。


『やわたのはちまんさん』周辺の散策

2014年09月23日 | 文化・歴史散策

2014/09/21 京阪沿線のやわたのはちまんさん周辺の散策に行ってきました。

ハイキングコース>京阪線・八幡駅・・・岩清水八幡宮・本殿・・・男山散策路・・・八幡木津自転車道線・・・流れ橋・・・四季彩館・・・松花堂庭園・美術館・・・交野天神社・・・市民の森(鏡伝池録地)・・・京阪線・樟葉駅

石清水八幡宮境内図

裏参道より登る

 

石清水八幡宮

 貞観元年(859年)に南都の大安寺の僧行教(紀氏一族)の進言により、翌年の貞観2年(860年)清和天皇が創建した。幕末まで、神仏習合の官寺として、「石清水八幡宮護国寺」と称していた。寛永の三筆の一人である松花堂昭乗も当社に仕える社僧である。明治元年(1868年)の明治政府の神仏分離・廃仏毀釈により、仏式は排除され、神号を「八幡大菩薩」から「八幡大神」と改めた。

石清水八幡宮・本殿

 

トーマス・アルバ・エジソン

 白熱電球の改良に際し、石清水八幡宮境内の竹を使用したため、境内に記念碑があり、2月11日にはエジソン生誕祭が行われています

エジソン記念碑

八幡木津自転車道    ▼流れ橋(流失中)

 

石田神社           ▼四季彩館

 

史跡 松花堂     ▼松花堂庭園・美術館

                  『松花堂弁当の発祥地

 

        ▼さくら近隣公園

 

継体天皇樟葉宮跡伝承地

 

交野天神社

 

市民の森(鏡伝池緑地)

 


岸和田だんじり祭

2014年09月15日 | 文化・歴史散策

2014/09/13 大阪府岸和田市の岸和田だんじり祭に行ってきました。

アクセス>南海本線・岸和田駅下車付近一帯

  だんじり曳行時間

  9/13(土) 

   午前6時~7時半・・・・・・・・曳き出し

   午前9時半~11時半・・・・・・午前曳行

   午後1時~5時・・・・・・・・・パレード、午後曳行

   午後7時~10時・・・・・・・・灯入れ曳行

  9/14(日)

   午前9時~午後0時半・・・・・・宮入り

   午後1時~5時・・・・・・・・・午後曳行

   午後7時~10時・・・・・・・・灯入れ曳行

 南海・岸和田駅前   ▼曳車の準備中

 

 だんじり1台の価格は、約1.5億円です。

 

駅前商店街

 

9/13(土)のパレード順番

パレード・曳行スタート

 

 

 

 

 

 

 

 9/13と9/14の人出は約60万人でした。


新撰組・池田屋騒動と龍馬を訪ねての散策

2014年09月08日 | 文化・歴史散策

2014/9/7  京都の新撰組・池田騒動と龍馬を訪ねての散策に行ってきました。

[ハイキングコース] JR京都駅・・・新撰組不動堂石碑・近藤勇歌碑・・・本光寺(木津屋橋事件)・・・西本願寺屯所跡・・・樽崎邸跡碑(お龍さん実家)・・・近江屋跡(坂本龍馬・中岡慎太郎遭難の地)・・・お龍さん独身時代の寓居跡石碑・・・坂本龍馬寓居跡石碑・・・池田屋騒動石碑・・・坂本龍馬・中岡慎太郎銅像・・・鴨川・・・JR京都駅

不動堂村屯所跡

 不動堂村は不動堂明王院にちなむ地名。西本願寺が、近藤勇・土方歳三らの圧迫に堪耐えかねて、不動堂村に一町四方の土地を買収し、新撰組の要望を聞いて、表門、高塀、玄関、使者の間、客舎、長廊下、近藤、土方の座敷、諸士の部屋、仲間、小物部屋、浴場、獄舎、馬屋、物見櫓のある御殿の大邸宅を与えた。ことごとく西本願寺の負担。新撰組が不動堂村へ屯所を移したのは、慶応3年(1867年)6月である。現在のリーガロイヤルホテル京都あたり一帯である。

 

本光寺(木津屋橋事件)

 伊東甲子太郎が油小路木津屋橋あたりで新撰組の刺客4,5人に襲われて、めった斬りされた。重傷の伊東は、油小路の法華宗本光寺に運び込まれて絶命した。昭和46年京都市が「伊東甲子太郎外数名殉難の地」の石碑を建てた

 

興正寺                                

 新撰組は西本願寺屯所から不動堂村屯所に移る時に隣の興正寺から強引に200両を借り上げた。

            ▼西本願寺の唐門

 

西本願寺屯所跡

 土方歳三が、田舎っぽい壬生から南東約1.5Kmの西本願寺に目をつけて、強引に屯所にした。西本願寺は屈伏して、本堂北の集会所を新屯所に提供せざるを得なかった。

太鼓楼(右側)         ▼お龍の実家(樽崎家跡)

 

近江屋跡(坂本龍馬・中岡慎太郎遭難の地)

 慶応3年(1867年)11月15日夜、坂本龍馬と同志の中岡慎太郎は、近江屋の二階の奥の間で二人が話あっている最中に、佐々木只三郎指揮の身廻組の刺客に暗殺されてしまう。

 

坂本龍馬、お龍の独身時代の寓居跡

 

坂本龍馬が滞在した材木商・酢屋

 

池田屋騒動之址碑               

 元治元年(1864年)6月5日夜、新撰組は、京都市中の探索を続け、ついに旅籠・池田屋で肥後藩士・宮部や土佐、長州の倒幕派浪士の集会を探し当てる。近藤勇、沖田総司、永倉新八、藤堂平助などが踏み込み、斬りあいの末に志士7名死亡、23名捕縛という戦果を挙げた。                                              

             池田屋(池田屋騒動の地)

 

坂本龍馬・中岡慎太郎の像(円山公園)


賤ケ岳合戦の砦跡巡り

2014年08月27日 | 文化・歴史散策

2014/08/26 滋賀県長浜市の賤ケ岳合戦の砦跡巡りに行って来ました。

[ハイキングコース] JR北陸線・木の本駅・・・木の本地蔵院・・・伊香具神社・・・賤ケ岳リフト乗り場・・・賤ケ岳山頂・・・猿ケ馬場・・・大岩山・・・大澤寺・・・黒田御廟所・・・JR北陸線・木の本駅

木の本地蔵院

 柴田勝家との賤ケ岳の合戦において、羽柴秀吉は木の本地蔵院(浄真寺)に本陣をおいた。そして配下の武将に北国街道沿いの山々に砦を築かせ,両軍は対峙した。

 

伊香具神社

 

▲賤ケ岳▲  標高421.9m

 琵琶湖の北端に位置する山で、賤ケ岳リフト乗り場から登山道が整備されています。また、リフトを使うと気軽に頂上まで登ることができます。山頂から琵琶湖と余呉湖の美しい景色が楽しめ、二つの湖の景観と史跡を巡る多彩なハイキングコースが整備されています。 *リフト運行期間:3月中句~11月末

賤ケ嶽合戦戦没者霊地(山頂に行く途中にあります)

 

賤ケ岳砦概略図

史跡 賤ケ嶽

 

  

琵琶湖を望む

 

            余呉湖を望む

 

猿が馬場

 

大岩山▲  標高240m

  大岩山砦は賤ケ岳から東にのびる尾根の先端に茨木城主の中川清秀が急いで築いた砦。隣の賤ケ岳砦に比べて堀切も無く防衛施設が貧弱であったために天正11年(1583年)に佐久間盛政軍8000騎の急襲を受けた。約四時間ほど防戦したが中川清秀軍約1000騎全員討死し全滅した。山頂には、中川清秀の墓が建っています。

大岩山砦概略図

            中川清秀の墓(大岩山砦跡)

 

首洗いの地   ▼大澤寺の梵鐘

 

 大澤寺本堂      黒田御廟所

  

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

賤ケ岳の合戦  天正11年(1583年)

 織田信長の跡目を定める尾張清州会議で、羽柴秀吉と柴田勝家が対立。天正11年4月20日賤ケ岳北側の山から余呉湖畔,柳ケ瀬方面で決戦が行われ、柴田方の前田利家が戦線離脱と秀吉方の七本槍の活躍で勝利。柴田勝家北ノ庄で自刃。

賤ケ岳の七本槍(秀吉子飼いの若武者)

   ①福島正則(1561年~1624年)

   ②加藤清正(1562年~1611年)

   ③加藤嘉明(1563年~1631年)

   ④脇坂安治(1554年~1626年)

   ⑤糟谷武則(1562年~1607年)

   ⑥片桐且元(1556年~1615年)

   ⑦平野長秦(1559年~1628年)

平野長泰は、賤ケ岳の七本槍の中で唯一、大名になれなかったが、子孫は明治まで続き、明治新政府の石高見直しで大名(大和・田原本藩5000石➜10040石)になった

賤ケ岳の両軍(柴田軍・羽柴軍)の配置図

佐久間盛政   天文23年(1554年)~天正11年(1583年)


都塚古墳

2014年08月16日 | 文化・歴史散策

  2014/08/16 奈良県高市郡明日香村にある都塚古墳の現地説明会に行ってきました。明日香村教育委員会文化財課と関西大学文学部考古学研究室が協同して行ってきました都塚古墳範囲確認調査の現地説明会で、普段は、見られない石室内部も見学できました。

 [所在地:奈良県高市郡明日香村大字坂田小字ミヤコ938番地]

アクセス>近鉄吉野線・飛鳥駅より、奈良交通明日香周遊バス乗車。「石舞台」下車、徒歩10分。

 都塚(みやこづか)古墳 

 奈良県高市郡明日香村大字坂田小字ミヤコ938に所在する後期古墳です。正月元旦には金鳥が鳴く金鳥伝説があり、別名金鳥塚とも呼ばれています。都塚古墳は昭和42年(1967年)には関西大学文学部考古学研究室(代表網干義教)により発掘調査が行われ、玄室内には凝灰岩製の家形石棺と棺台の存在から木棺が追葬されていたことが明らかになりました。築造時期は6世紀後半ごろと考えられます。出土遺物には土師器・須恵器・鉄製品等があります。

 墳丘は南から伸びる尾根上に位置しています。墳丘は礫などで構成された基礎層を整形した方墳で、最下段の法面には川原石を施しています。さらに上部の墳丘部分は段上にした石積みが行われています。この段状の石積みは四段分確認していますが、さらに数段増えるものと推定されます。規模については東西の調査区と北側の調査区で墳丘裾部を検出しており、これをもとに復元すると東西約41m、南北約42m、高さは4.5m以上、西側の見かけの高さは7m以上に復元できます。墳丘北部の裾部には幅1~1.5m,深さ約0.4mの周濠があり、北部の法面には人頭大の石材で護岸を行っています。

 埋葬施設は石英閃緑岩(通称、飛鳥石)を使用した南西に開口する両袖式の横穴式石室です。規模は全長12.2m,玄室長は5.3m,幅2.8m,高さ3.55mです。玄室の中央には二上山の凝灰岩を使用したくりぬき式の家形石棺が安置されています。石棺の規模は棺身の長さ2.23m,幅1.46m,高さ1.08mで、内法は長さ1.74m,幅0.82m,深さ0.65mを計り、石棺の総高は1.72mあります。

[参考文献]都塚古墳 2014年8月配布資料より

近鉄吉野線・飛鳥駅  ▼都塚古墳

 

都塚古墳概要

石室の内部の入口   ▼石室の内部

 

 

                                          階段状の石積み・階段ピラミッド形

 


祇園祭・「前祭巡行」

2014年07月18日 | 文化・歴史散策

2014/07/17 京都の祇園祭・前祭巡行を見学に行ってきました。

 祇園祭は、八坂神社の祭りで、毎年7月1日(吉符入)から31日(疫神社夏越祭)まで、1ケ月にわたって行われます。一般には、17日(前祭・山鉾巡行と神幸祭)と24日(後祭・山鉾巡行と還幸祭),その宵山が広く知られています。祭の性格は、単に神社や氏子達だけのものでなく、現在では京都市全体の祭として繰り広げられています。

 京都市役所前付近から見学しました。京都市役所前には、10:30頃から山鉾がゆっくり合計23台巡行して行きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


織姫の里・交野七夕ウオーク

2014年07月08日 | 文化・歴史散策

2014/07/07  大阪府交野市の織姫・の里・交野七夕ウオークに行ってきました。

ハイキングコース>JR津田駅・・・機物神社・・・源氏の滝・・・いきいきランド交野・・・代官屋敷(北田邸)・・・私部城跡・・・逢合橋・・・天の川緑地公園・・・JR河内磐船駅

機物神社

 機物(はたもの)神社の創建は詳らかではないが,社伝によると応仁の乱の終わり頃、ト部兼俱の奉幣があり、その後織田信長、明智光秀、豊臣秀吉等の祈願があったとも書いています。現在のように五色の短冊に願い事を書いて笹竹に飾るようになったのは昭和54年からのことです。毎年七夕祭りが7月6日、7日に催しされています。

 

 

源氏の滝

 交野八景の一つ。白旗池から山地の中を深い谷を造って流れ落ちています。滝の名前の由来は、近くにあった開元寺の元寺が、げんじになったといわれており、この滝は昔修験者が身を清めて修行した大切な場所であった。言い伝えでは、眼病に効くといわれています。

            ▼いきいきらんど交野

 

北田家住宅(代官屋敷)重要文化財

 江戸時代には私部の領主畠山氏の代官をしておられたことから地元では『代官屋敷』として親しまれています。長屋門は、55.8mもあり日本最長です。昭和54年、国の重要文化財に指定され、毎年春と秋に公開されます。北田家は南北朝時代、御醍醐天皇の重臣北畠親房の子顕家の子孫です。南朝没落後、その性をはばかって、北畠の白を除き北田と称したといわれています。地元の名士です。

            ▼井戸とかまど

 

 

私部城(別名交野城)

 私部城は、平地にできた平城で、河内の豪族「安見」氏の居城でした。この城は、連郭式(二郭・本郭・三郭からなる)という珍しいものです。戦国時代には松永久秀が二度も攻めてきましたが攻め落とせませんでした。1578年には織田信長が住吉から京都に帰る時にこの城で休息したとの記録があります。

 

私部城の碑  ▼主郭跡と堀跡

  

逢合橋

天の川