nakazumi's blog

文化・歴史・城郭をメインに、時々『気になる事』を記す婆娑羅ブログ!

テロ組織ISISの指導者が、イスラエルで治療

2015年03月01日 | テロ関連ニュース

 テロ組織ISISの首領アルバグダディ師が、イラクとシリアの国境付近の町カイムヘの空爆で負傷し、治療の為イスラエルに渡航しました

 イラクの通信社アルヤウム・アルサーメンによりますと、ISISの一団が占領地ゴラン高原のほうへ行きからイスラエルに入ったところが目撃されているということです。

 ドイツの諜報機関に属するある関係者は、「アルバグダディは、国境付近におけるISISのリーダーの一行への空爆で重傷を負った」と語りました。アルバグダディ師は、ゴラン高原に入るとともに、イラク軍とISIS有志連合軍の戦闘機の標的から外れた地域で治療を受けています。

 フランスの新聞ル・モンドも「カイムへの戦闘機の攻撃で、ISISのリーダーの一団が標的にされたが、その中にはアルバグダディも含まれた」と報じています。

(ソース) 2/28付   http://japanese.irib.ir/


加納城

2015年03月01日 | 岐阜県の城郭・環濠

 加納城は、文安2年(1445年),美濃国守護代斎藤利永によって築城されたと言われています。守護土岐氏の居館革手城の近接地でした。16世紀初め頃、土岐氏による福光城(岐阜市福光町)への守護所移転を契機に衰退が始まり、天文7年(1538年)頃に廃城となったといわれています。関ヶ原の戦い後に、徳川家康により天下普請として慶長6年(1601年)から3年を費やして改修・築城された平城です。石垣や建物には同じ年に廃城になった岐阜城の用材が転用された。完成後は、徳川家康の娘婿の奥平信昌が10万石で入城した。奥平氏断絶後の後、大久保氏、戸田氏、安藤氏、永井氏と続いて幕末を迎えた。明治5年~6年(1872年~1873年),城内の建物は全て取り壊され、堀は、明治から昭和にかけて埋められてしまいました。現在、本丸は、加納城址公園となり、国指定史跡で石垣だけが当時の面影を留めている。

[所在地:岐阜県岐阜市加納丸の内]

アクセス>名鉄・加納駅下車徒歩約15分

加納城の概要

加納城の城下町      ▼17世紀後半の加納城

 

加納城の平面図

本丸の石垣(国指定史跡)

本丸の石垣

 

本丸の石垣

 

本丸の石垣

 

2015/02/28 訪城

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奥平信昌 (1555年~1615年)

 姉川の合戦に父貞昌と共に出陣。一時武田氏に仕えるが、のち徳川家康に再出仕。天正3年(1575年)の長篠の戦では、長篠城を死守し、織田・徳川連合軍大勝の勝因をなす。天正4年(1576年)、新城城主となり、かねてからの約束通り徳川家康の長女亀姫を娶る。関ヶ原の戦の後、京都所司代。慶長9年(1604年)、上野小幡3万石から美濃加納10万石に加転。