nakazumi's blog

文化・歴史・城郭をメインに、時々『気になる事』を記す婆娑羅ブログ!

荒子城

2016年06月01日 | 愛知県の城郭・環濠

 荒子城は、前田利昌が織田家より荒子の地二千貫を給わり、天文13年(1544年)に築城した前田城の出城である。 規模は東西約68m,南北約50mで、一重堀を巡らしていた。戦にそなえたというよりは一族の生活の居城である。荒子城主は前田利昌、前田利久(利昌の長男)、前田利家(利久の弟)、前田利長(利家の子)と続いた。前田利家が天正3年(1575年),越前・北ノ庄へ封じられ、天正9年(1581年)には前田利長も越中府中へ移ったために廃城となった。現在城址には、冨士権現天満宮が建立されています。

[所在地:名古屋市中川区荒子4丁目]

アクセス>名古屋臨海高速鉄道おおなみ線・荒子駅下車徒歩約10分

荒子城の概要

城址に建つ冨士権現天満宮 ▼前田利家卿誕生の碑址

 

前田利家と荒子城の概要

 2016/05/14 訪城 


前田城

2016年06月01日 | 愛知県の城郭・環濠

  前田氏は尾張国海東郡の土豪で、ここ前田城を居城として近在に勢力を張っていた。前田城は規模が東西約109m,南北約218mの平城である。居城した前田利昌は、織田信秀の与力である。前田利昌の四男の前田利家は、荒子城ではなく、この前田城で天文7(1538年)年に生まれ,7歳の時に前田城の出城の荒子城へ移ったという説もあります。

 天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦の際、羽柴秀吉についたため、織田信雄・徳川家康連合軍に攻められ、前田城主前田長定など前田一族の多くが討死し、前田城を守っていた前田城主前田長定の子前田

長種は降伏し、加賀前田家を頼って落ち延びた。戦後前田城は破壊された。前田氏発祥の地である城址には、後に前田利家の叔父・前田利則が出家して、前田速念寺初代となる浄土真宗・前田速念寺を建てた。

[所在地:名古屋市中川区前田西1丁目]

<アクセス>近鉄名古屋線・伏屋駅下車徒歩約5分

前田城址に建つ前田速念寺山門 ▼前田城址碑

 

前田城址に建つ前田速念寺本堂

              兜のような本堂

2016/06/14 訪城