美濃と近江との境目の城として、応永年間に(1394年~1428年)に子守護富島氏が城を築いた。これが長亭軒の城で、長亭軒は松尾山のことである。永禄12年(1569年)、この地域は織田信長によって制圧されたので城も織田信長に帰属した。元亀元年(1570年)、浅井長政が城を修復して樋口直房を入れ置いた。その後、織田信長が浅井長政を討伐後、不破光治が入れ置かれたが、天正4年(1576年)、織田信長の近江平定により廃城となった。
慶長5年(1600年)8月、西軍の総大将・毛利輝元を入れるために、松尾山の山頂には土塁囲いの本丸が構えられ、南側には土塁によって築かれた内枡形虎口が開き、その前面には馬出状の曲輪が構えられ、本丸から東方に延びる2本の尾根筋には、折れて設けて横矢のかかる土塁によって囲い込んだ曲輪が階段状に配置された新城を築かせ、伊藤長門を入れ置いた。
慶長5年(1600年)年9月14日小早川秀秋が15000騎の兵を率いて松尾山の新城に入り、その城主伊藤長門を追い払う。松尾山城は、単なる陣所ではなく、合戦を想定して綿密に築かれた山城である。標高約293mの松尾山からは、関ケ原が一望できる。
【所在地】岐阜県不破郡関ケ原町松尾
<アクセス>JR関ケ原駅~松尾山城登山口駐車場まで徒歩約30分。
松尾山城登山口駐車場~松尾山山頂(松尾山城址)まで徒歩約40分。
▼松尾山登山口駐車場(無料)
登山道は、東海自然歩道として整備されています。
▼松尾山山頂(松尾山城址) ▼小早川秀秋陣跡
▼小早川秀秋陣跡の概要
▼松尾山城縄張り図
松尾山城登山口駐車場から登山道を登り①主郭(松尾山山頂)に来る。
▼松尾山城縄張り図(現状)
▼松尾山城(長亭軒)史
▼主郭(本丸) 主郭(本丸)は、約20m×約40m
2018/09/15 訪城
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関ケ原の戦 慶長5年(1600年)
9月15日、美濃・関ケ原で、東軍・徳川家康(7万4000騎)と西軍・毛利輝元(石田三成)(8万4000騎)が、天下を二分する戦をする。西軍の敗色が濃厚となった正午ごろ、1万5000騎の小早川隊が松尾山を下り、東軍に寝返り、大谷隊に攻めかかり大谷隊壊滅。その後、小西隊・宇喜多隊が崩れ、最後まで抵抗していた石田隊も敗走しはじめた。それまで戦に加わっていなかった島津義弘隊が正面敵中突破をはかって戦線離脱したのはそのあとである。西軍が敗北。