犀川と浅野川に挟まれた小立野台地の先端に、天文15年(1546年)、石山本願寺の支院金沢御堂が創建された。天正8年(1580年)、織田信長の命により柴田勝家・佐久間盛政が金沢御堂を攻略し、その地に佐久間盛政が尾山城を築いた。賤ケ岳の合戦で柴田勝家についた佐久間盛政が処刑され、前田利家に尾山城が与えられた。その後二の丸・三の丸などの曲輪を拡張し、総構を築いて加賀、越中、能登の3ケ国120万石にふさわしい天守のある近世城郭金沢城と城下町を整備した。慶長7年(1602年)天守は落雷で焼失したが、以後再建されることはなかった。
明治4年(1871年)の廃城令で、金沢城の不要な建物や門などが取り壊されましたが、現在、金沢城公園として整備され、二の丸の菱櫓・橋爪・橋爪門続櫓・五十間長屋などが復元されています。
[石川県金沢市丸の内]
<アクセス>①JR金沢駅からバス
②JR金沢駅からタクシ約10分。
▼金沢城の概略図
▼石川門…金沢城の裏門である。 ▼石川門の櫓門
表門(中央)、二重櫓(左)、櫓門の屋根(右)
▼五十間長屋
左右に長く延びる五十間長屋。二重の多門櫓で、左手は橋爪門続櫓、右手は菱櫓。
▼橋爪門続櫓 ▼菱櫓
▼二の丸
▼極楽橋 ▼三十間長屋
二の丸と本丸の間にある空堀に架かる橋
2018/03/16 訪城