nakazumi's blog

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西尾城

2016年04月20日 | 愛知県の城郭・環濠

 西尾城は、承久3年(1221年)の「承久の乱」の戦功により、足利義氏が三河守護に任じられたことに始まる。この時、足利義氏が築いたのが西条城だという。ここに土着した足利義氏の子足利長氏は吉良氏と称し、この地を治めることとなる。忠臣蔵の敵役吉良上野介はその後裔である。永禄2年(1559年)織田氏と結んだ吉良義昭が今川氏と対抗して敗れ、永禄3年(1560年)には,今川氏に属する牧野成定が入城。しかし、同年に桶狭間の戦いが起こり、今川氏の勢力は衰えてしまう。翌年には松平元康、のちの徳川家康が今川氏から独立し、翌年西条城を手に入れた。西条城がいつ、西尾城に名を変えたのかは諸説があるが、酒井正親が城主の時に変えたと思われる。酒井正親の次男酒井重忠が城を継ぎ、天正18年(1590年)には、酒井重忠に代わって、豊臣秀吉の武将田中吉政が入城し、近世城郭へと変貌させた。城は丘陵地に築かれた平城で、二の丸に天守が建つという特異な城であった。

 慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦功により、筑後一国と柳川城を与えられた田中吉政に代わり、慶長6年(1601年)本田康俊が、西尾藩2万石の初代藩主として城に入った。その後譜代大名の間で城主が次々に代わっている。ようやく落ち着いたのは明和元年(1764年),出羽山形藩から松平(大給)乗祐が入ってからだ。松平氏は廃藩まで5代にわたって西尾城主を務めた。明治の廃城令で天守をはじめ建造物のほとんどが解体された。現在は、石垣、土塁、堀等の遺構、再建された本丸丑虎櫓と鍮石門のある西尾市歴史公園となっている。

[所在地:愛知県西尾市錦城町231-1]

<アクセス>名鉄西尾線・西尾駅下車徒歩15分

木造で復元された三重の本丸丑寅櫓

西尾城の概略図(西尾市歴史公園)

鍮石門          ▼天守台

 二の丸の正門で、二階建ての櫓門。

 

天守台の概要

御殿の略図

旧近衛邸         ▼本丸と二の丸間の堀

 京都にあった旧近衛邸の書院と茶室が、移設された

 

西尾神社         ▼本丸跡

 

本丸の石垣        ▼丑虎櫓

 

丑寅櫓の概説

 

丑寅櫓

 木造で復元された三重の丑寅櫓。本丸の北東に建てられており、内部に入ることもできる。

 

西尾市資料館       ▼水堀

 

2016/04/16 訪城 



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