古来より、近畿と西国を結ぶ要所である尼崎には、戦国時代に細川高国によって城郭が築かれていた。豊臣時代からの尼崎郡代である建部政長は、元和元年(1615年)大坂夏の陣の戦功により、10,000石に加増され、諸侯に列し,尼崎藩を立藩するが、元和3年(1617年)播磨国林田へ転封となった。代わって、近江国膳所より戸田氏鉄が50,000石で入府し、幕命により、戦国時代の城跡に3重の堀をもち、本丸には4重の天守と3重の櫓をもつ尼崎城を築城した。
尼崎城は、大物川と庄下川が大阪湾に注ぐデルタ地帯に築城された城で尼崎城に直接舟が横付けできたことから、海に浮かんだような城であった。戸田氏の後は、青山氏4代、そして正徳元年(1711年)桜井松平忠喬(ただたか)が46,000石で入り、以後桜井松平家の支配が7代と続き、明治を迎えた。
明治6年(1873年)の廃城令により、取り壊されが、家電量販店・旧ミドリ電化の創業者である安保詮(あぼあきら)氏が、約12億円の私財を投じて4層の城壁の大天守(高さ約24m)と2階建て多聞櫓の小天守が江戸中期の『尼崎城分間(ぶんげん)絵図』などを基に、鉄筋コンクリート造りで平成30年(2018年)11月に再現された。
[所在地:〒660-0826 兵庫県尼崎市北城内27]
<アクセス>阪神電車・尼崎駅下車徒歩3分。
▼再現された天守閣
▼尼崎城の絵図
▼戸田左門氏鉄公の概説
▼再現された天守閣
2019/03/29 訪城