おー!ワンダフル

ヨッシーも涙こぼれたよ

24番 最御崎寺(ほつみさきじ)④

2015年04月23日 21時15分52秒 | 日記・エッセイ・コラム
夕方5時になりました。
24番 最御崎寺(ほつみさきじ)に到着しました。


車はここで降りて、椎の木の茂る坂道を登って行きます。
風がうなっています。


薬王寺で階段を上り下りしたのがかなりこたえています。
少し悲しい気持ちで歩いています。



お遍路さんもこの方たちが最後でした。
私たちがお参りした時にお寺の人が鍵をかけて帰って行きました。
私たちは隙間から手を入れて、お賽銭を入れました。
箱に入ったのが、音で分りました。



鐘石です。
叩くと中が空洞の「カンカン」と言う様な音がします。


あら! ヤッコさんも来ていました。
でもその実物は生えていませんでした。


御厨人窟(みくろど)③

2015年04月23日 00時57分06秒 | 日記・エッセイ・コラム
左に海を眺めながら、国道55号を走っています。
車は室戸に来ました。16:30です。
「あれー、って言うところにあるんだよー」と娘が言います。
車は道路沿いの砂利のスペースにとまりました。



御厨人窟(みくろど)です。
テレビの新日本紀行で放送されてから、行きたいと思っていた所です。
岬の突端で、波が打ち寄せている所にあると、私は思い込んでいました。


ここが洞窟の入り口です。

弘法大師が青年だった頃にこの洞窟に居住して修行されたと言う伝説があるそうです。
この洞窟から見える風景は空と海だけ。
ここから「空海」の名が。  (ウィキペディアより)



霞んでいて、海も空も良く見えませんでしたね。

洞窟は海蝕洞だということですから昔はここまで波が来ていたのでしょうね。

ここで聞く波の音がまたい良いものだったそうですが、その余裕がありませんでした。

私は真言宗豊山派の家に嫁ぎましたので、お寺から届く資料で、お大師様の修行の話を読んで、とても親しく感じています。
そう30歳のころから、四国・お遍路にあこがれていました。
だからこそ、一人娘を徳島の大学に入れてしまったのでしょうね。
国道55号を走破するこの旅でも多くのお遍路さんをお見かけしました。
歩く人・自転車の人・旅行鞄をコロコロさせて歩く人・リヤカーに家財道具を山積みの人。
このリヤカーの人を見たら、「煩悩が多すぎるな~」と笑っちゃいました。

お遍路については、余裕のできた方のすることと思っていましたが、テレビの放送を見たら居どころの無い人が、何度も何度も死ぬまで歩いている…。
そんなこともあるのだと…。
生きるのはたいへんです。

りんごの花

2015年04月23日 00時08分44秒 | 日記・エッセイ・コラム
カーポートから車を出そうとしたら、白い花が咲いていました。
これまで一度も咲いたことが無くて、「この木 何の木?」と思っていました。
この花の様子は、りんごでしょうね!



それでは玄関前のりんごの木はどうかしら?
あらー!!こちらにもたくさんの花!



叔母はりんごを2本植えたのかしら?
花の色から想像すると、種類が違うのかもしれません。

去年だいぶ思い切って剪定したのが良かったのかしら?

でもこのりんごの木、庭をちょいと直したくて、そのために今、伐ろうとしているのです。
あ~~悩ましい。



この白椿も残せるかどうか、ぎりぎりの位置にあります。