夢屋だより

那須高原・古民家のカフェ夢屋より、カフェの新着情報・染め織りの記録、その他つれづれ日記などをupします。

ルバーブのご紹介

2012年05月28日 | インポート

見慣れないこの野菜は…そう、ルバーブです。

フキのように見えますが、もっとしっかりしています。見た目からは、味は想像できませんね。

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このルバーブ、さわやかな酸味が特徴で、砂糖を加えて煮ると初夏の風のようなさわやかなジャムになります。

プリザーブにしておいて、パイの中身に使ったりもするようです。

夢屋では、ガレットのおやつメニューに使っています。

そば粉の風味とルバーブの酸味がマッチして、とてもおいしいですよ!

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刻んで鍋に入れて、これから煮るところです。

グリーンときどきピンクのモザイクが、とてもきれいです。


その2

2010年09月18日 | インポート

で、その公演をする劇場というのが、新宿2丁目にある地下劇場で、だいたい何しても良くて壁さえも後で黒に塗り直せば何しても良いという、海のような広い心の劇場なのです。

そして最大の特徴として、24時間使って良いという・・・

そうです。泊まれるんですね~。

小屋入り初日は完全徹夜でした。2日目は役者陣が小屋入りして舞台稽古と場当たり。ここで初めて芝居の全貌を知ることになったため、照明・音響はこの時間に明かりをつくり音を入れ、この日は終了。音照舞監はもう今日は劇場でゆっくり寝ようと話していると、演出家くんが暗転稽古をやりたいと言ってくる。

「スタッフは帰って大丈夫だよ」って、音照舞監がいなくてどうやって暗転稽古するんだ~い!

で、1時くらいには終わるだろうと思っていたら結局終わったのは4時でした。

二日で4時間睡眠というファンタジー。

3日目はゲネと初日公演が終わったところで完全に電池が切れて家に帰る気が起きず、また劇場に泊まることに。劇場にシャワーはついていたのですが「お湯に浸かりたい!」という日本人気質が出てきたため、スタッフ数人と演出家くんで銭湯へ行くことに。

24時の新宿2丁目はもう異空間でした。外国に迷い込んだよう。びくびくしながらも、こんなことがなければ一生来なかったかもしれない世界が新宿にあるんだな~と冒険気分。たこやき屋のおじさんが「学生さん?二丁目になにしに来たの~?」・・・確かに~。

銭湯もファンタジーな空間で、女湯は普通でしたが演出家くん曰く「男湯は自分以外全員入れ墨」だったようです。コインランドリーで洗濯して帰劇場。照明バトンに洗濯物を干して就寝。

しようと思ったら床面の塗り直し作業があったため、雀が寝たのは結局4時。

4日目は起床して立ち上がったら、やたら立ち眩みがする。何でかなーと考えてみたら劇場入りしてから忙しすぎてろくなもの食べてない上に、地下劇場のため日光にまったく当たらず、ビタミンの生成ができていなかったためと判明。スタッフ陣はビタミン剤をのんでしばし日光浴。

4日目は帰宅できたのですが、結局帰るのさえ億劫になりもう一泊。最終日はバラしてそのまま徹夜で打ち上げ。結果的にふとんで寝たのは5日ぶりになりました。

今回よく分かったこと。「演劇はたくさんの人のかなりの無理によって可能になる」


その1

2010年09月18日 | インポート

ヤマをひとつ越えました。

実家から帰って次の日から始まった劇団は大変なヤツでした。

演出家くんは本当に演劇が好きなやつで、本当にやりたいことがあふれ出てくるやつで、本当に面白いやつで、ゆえに求めてくるものに妥協がない。

「舞台装置はね、白い洞窟の中で岩がひとつひとつ取れて、とれた岩に座れて、で、壁には絵を描けるんだけど最終的に光沢のある黒になるの!で、最後に岩の割れ目からパーッと光が差すの!」

とかキラッキラした目で言ってくるのです。

「ん?!」

って思ってもできないと言わないのが舞台監督で、演出のやりたいことを実現させるというのが舞台監督だと思うわけで、でもさすがに気が遠くなるわけで、映像に行けばいいと思ってしまうわけで・・・

装置のプランナーと照明のプランナーと頭を抱え、ビバホームを5時間うろうろしたのも今では良い思い出です。この時期は他団体の公演が重なったり、帰省シーズンだったりで叩き(舞台装置の制作)を手伝ってくれる同輩・後輩があまり来られず、照明と舞監がナグリとノコをもって叩き場に通うという珍しい事態になりました。

この叩き場というのが「屋根はある」という場所。酷暑の中、世の大学生が遊び惚けてる夏、雀は釘の打ち方が上手くなっていき、丸ノコとジクソーが使えるようになりました。

そして演出家くんは初主宰に重ねて、本も書いて主役の次くらいにたくさん出演するという無謀すぎる子で、本がなかなか上がってこない。やっと上がったのは小屋入りの3日前でした。


久しぶりに・・・。

2010年08月17日 | インポート

ブログ復活です。雀です。前回は・・・3月ですね。たっぷりの時間が過ぎていきましたね。

その間に京都宿坊の旅に行ったり、19になったりしました。

ツイッターにはまってこっちに手をつけていなかったのですが、北海道の叔父さんに「書かないとチーズを送らないぞ~」と脅されたので書き始めようと思います。

死ぬほど忙しかったというのも止まっていた理由です。

いえ、冗談じゃなく。

大学で2年になると、装置やら照明やらキャストやら各コースが集まって演出の先生のもと、ひとつの舞台を創るという実習があります。

8月の上旬が本番で、その1ヶ月半前の6月半ばからカンパニーが始動します。

これがもう・・・

毎日15時半から20時まで稽古があるのですが、最終の学バスが20時半に出てしまいます。スタッフはだいたい稽古場片づけでギリギリ。雀は舞台監督助手チーフだったので打ち合わせ等があり、かなりの確率で駅まで40分歩くことに・・・。

市バスで航空公園駅まで出て定期圏内まで乗り継げば楽なのですが、お金がたっぷりかかります。

この稽古期間に綺麗に試験期間が被っており、

学バス乗れない→バイト入れない→お金無い→遠回りできない→徒歩→試験勉強→睡眠不足→寝坊→朝食抜き→でも電車逃す→遠回り→お金無い

という最悪の無限ループ。日芸は生徒を殺そうとしているのではと思いました。

帰宅時間が22時半か23時で夕飯食べて24時から勉強しても4時間勉強しただけで「あれ?なんか明るくなってきたぞ(笑)」という生活。おかしいだろ~う。

夏休みに入ると稽古時間も延びていき、最終的に12時間になるっていう・・・どこの世界に実習で半日使う大学生がいるのでしょう。(ここに)

どこの世界に毎日キャリーを引きずり、「こっちはバカンスじゃねぇぞ!このやろ~」と電車内のキャリー族に心の中でガンをとばしつつ登校する大学生がいるでしょう。(ここに)

家滞在時間は6時間。ほとんどの時間を稽古場で過ごすので季節感ゼロ。夏を感じるのは帰りの電車内で見る浴衣姿のカップルくらいという泣きたくなる雀の青春の1ページ。

でも、ほんとに楽しいカンパニーだったし作品がコメディだったし、演出の桐さんがとっても面白い良い人だったので、稽古場にいるのは全く苦痛ではありませんでした。

打ち上げが終わって所沢駅のプラットホームで朝日を見つつ電車を待っていると、現金なもので1月半家族よりも長い時間顔を付き合わせていたメンツと分かれるのが寂しくなってきます。

まあ、ほっとしないといえば嘘になりますがね。

日芸の演劇学科を目指している方は、悪いことは言いません、もう一回冷静になりましょう。


テオの主張。

2009年08月09日 | インポート

連日暑い日が続いております。皆様いかがお過ごしでしょうか。

雀は毎日、王子の稽古場に通う日々です。楽しい!・・・けどお金がない!演劇って経済的じゃないですね。役者陣もだんだん昼夜の食事が貧しくなってきました。食パンとかもさもさ食べてます。

この間、大学のAO入試と絵画の夏期講習を受けるために、兄が那須から東京へ出てきました。

久しぶりに顔見ましたが相変わらず白い。そしてひょろい。あの地中で育てるウドを彷彿とさせる様子です。それで全身黒ずくめなのでよけいに血の気のなさが目立ちます。

その兄は夏期講習のため朝は7時半ごろに家を出て、23時頃には寝てしまいます。雀は13時から稽古なので9時頃まで寝てるし、稽古が終わって帰ってくるのは24時と、同じ家にいながらほとんど顔を合わせない日が続きました。

そんなある日稽古から帰ってきて風呂に入っていると、シャンプーが凄い勢いで減っていることを発見。

いや、使ってくれても全然かまわないんだけど、

なぜシャンプーしか使わない。

トリートメントとシャンプーと、同じくらいに減るように微調整しながら使ってるんですよ雀は。確かにエッセンシャルはシャンプーだけで十分なサラサラ感かもしれんが、ぜひともトリートメントを使ってもらいたい。

その旨を伝えよう伝えようと思いながらもなかなか会えず、たまに会えると芸術とか社会情勢とかについて語り合ってシャンプーの情勢に結局触れられませんでした。

この兄は根っからの芸術肌で、自分の描きたい絵が描ければそれでいいという人。雀は食べていけなきゃならんという考えから離れられないので、兄の生き方がかっこよく見えたりします。

そういえば小さい頃から兄はコンクールでも描きたいもの描いていて、雀は先生が喜ぶように作文書く子供でした。う~ん、変わっていない・・・。

このままいくと、黄色い絵の具を買うお金を支援することになりそうな気がします。しかしゴッホの場合は、弟はちゃんと定職に就いていたはず。絵描きの兄と演劇人の妹なんて完璧に破滅の構造です。

ぜひとも生きているうちに売れて頂きたい。

「売れると自分の描きたいものが描けなくなる。」

そんなかっこいい言葉を残して、シャンプーだけ空にして、兄は那須へと帰っていきました。