ヤマをひとつ越えました。
実家から帰って次の日から始まった劇団は大変なヤツでした。
演出家くんは本当に演劇が好きなやつで、本当にやりたいことがあふれ出てくるやつで、本当に面白いやつで、ゆえに求めてくるものに妥協がない。
「舞台装置はね、白い洞窟の中で岩がひとつひとつ取れて、とれた岩に座れて、で、壁には絵を描けるんだけど最終的に光沢のある黒になるの!で、最後に岩の割れ目からパーッと光が差すの!」
とかキラッキラした目で言ってくるのです。
「ん?!」
って思ってもできないと言わないのが舞台監督で、演出のやりたいことを実現させるというのが舞台監督だと思うわけで、でもさすがに気が遠くなるわけで、映像に行けばいいと思ってしまうわけで・・・
装置のプランナーと照明のプランナーと頭を抱え、ビバホームを5時間うろうろしたのも今では良い思い出です。この時期は他団体の公演が重なったり、帰省シーズンだったりで叩き(舞台装置の制作)を手伝ってくれる同輩・後輩があまり来られず、照明と舞監がナグリとノコをもって叩き場に通うという珍しい事態になりました。
この叩き場というのが「屋根はある」という場所。酷暑の中、世の大学生が遊び惚けてる夏、雀は釘の打ち方が上手くなっていき、丸ノコとジクソーが使えるようになりました。
そして演出家くんは初主宰に重ねて、本も書いて主役の次くらいにたくさん出演するという無謀すぎる子で、本がなかなか上がってこない。やっと上がったのは小屋入りの3日前でした。
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