いつも私のブログは気持ち悪いですが、今日は一段と気持ち悪いです。
お笑いと全く関係ないです。
申し訳ありません。
今更ながら、籠の城のことを思い出しています。
田所先生は、一体どうやってあのお話を考え、そしてまとめ上げたんでしょう。
あのお話、たくさん気になるポイントはありますが、私が一番気になったのは「意志」というところだったりします。
籠側の人間は、城側の人間に支配されている。
やることなすこと、全て城側の人間の命令に従う。
自分の意志なんて関係ない。というより、意志を持つという概念自体がない。
だから、ヤマシギもモズもヤツガシラも、自分達の今の生活に何の疑問も抱いていない。
でもそれは、とてもおかしくて、とても違和感のある状況。
ウミネコがそれを訴えても、3人にはすぐにはピンとこない。
上手く伝わらない。明らかに隔たりがある。(これを上手く描き出した脚本・演出・役者、みなさん本当にすごいと思ったのですが)
でもそれは、あくまで意志とか自由とかそういう観点から見た時の話だということに、しばらく経ってからやっと気づきました。
実は、自分のことを全て誰かに決められるって、すごく楽で、すごくいいことなのかもしれない。
自分のことを自分で決めるって、時々すごく辛くなります。
考えても考えてもどうしたらいいかわからない。
当たり前だけど、責任は全て自分にある。
どうでもいいやと、投げ出してしまいたくなることが多々あるのも事実で。
全て決められた通り、全て人の言う通りに動いて、それが成り立つなら、どんなにいいか。
自分が傷つくこともない、自分が人を傷つけることもない、それが成り立つなら、どんなにいいか。
でもこのお話は、それを肯定しませんでした。
ウミネコ、ヤマシギ、モズが外に出ようとした時、モズだけが「俺は行けない」と言う。
結果としてはモズは外に出なかったけれど、それは、自分で考えて、自分で決めたこと。意志。
自分がただなんとなくその場にいるのか、自分が望んでその場所にいるのかで、見えるものは違ってくるのかもしれないと。
でも田所先生、私にはそれが出来そうにありません。自分の意志がどこにあるのか、全然わかりません。
ヤマシギの言葉が頭から離れません。
「価値ある人生って何だよ?」
でもこの後、ウミネコがどんな言葉を紡いだか、思い出せないんです。
「自分の行きたい場所に行って、自分の見たいものを見る。それが自由」
私、どこに行きたいのかわからないんです。
意志ってなんだろう、自由ってなんだろう、価値ある人生ってなんだろう。
正直に言うと、私は今すぐにでも、田所先生に聞きたいです。何を思ってこのお話を書いたのか、そして、先生自身はどう思っていらっしゃるのか。
でももし、これをお尋ねできたとして(絶対ないですけど)、お答え頂いたとしても(もっと絶対ないですけど)、それは自分が考えて、自分が出した答えではないってことですよね。
籠の中の生活は、ある意味では楽。
そんな世界がもしあるとしたら、そこに身を投げてみたい気もします。
実際にどうなるかはわからない。
ただ、だけどきっと、そこにいたら、楽しくはないんだろうな、ということだけはわかるんだ。
ヤツガシラみたいな、純粋でキラキラした気持ちを、最初からずっと持ち続けることは出来ないだろうな、ということだけは思うんだ。
そもそも、私は籠の中にいる人間ではない。
色々と嫌なことが多くて、色々と傷つくことも多いけれど、だからこそ、楽しみがある。嬉しさがある。
意志を持って、それを貫くってことは辛い。
だけど、もう少し頑張ってみます。
あぁもう、何をごちゃごちゃ書いているのでしょうか。
本当は今日、こんなこと書くつもりじゃなかったのに。ワンサイドラブの感想書こうと思っていたのに。
FIGAROでさっくんにきゅんとしたこととか、M-1直前特番が楽しみすぎることとか、今日のコント広場のライスのネタがまたまた私にどストライクだったりとか、チュートのANNRのこととか、そんなことを書きたかったのに。
何をやっているのでしょうか。
とにかく、こんなことを考えるのは、一旦休憩にしよう。
明日は、バイトが終わればM-1だ!
好きなことのために頑張る、これも私の意志、なのかな?
お笑いと全く関係ないです。
申し訳ありません。
今更ながら、籠の城のことを思い出しています。
田所先生は、一体どうやってあのお話を考え、そしてまとめ上げたんでしょう。
あのお話、たくさん気になるポイントはありますが、私が一番気になったのは「意志」というところだったりします。
籠側の人間は、城側の人間に支配されている。
やることなすこと、全て城側の人間の命令に従う。
自分の意志なんて関係ない。というより、意志を持つという概念自体がない。
だから、ヤマシギもモズもヤツガシラも、自分達の今の生活に何の疑問も抱いていない。
でもそれは、とてもおかしくて、とても違和感のある状況。
ウミネコがそれを訴えても、3人にはすぐにはピンとこない。
上手く伝わらない。明らかに隔たりがある。(これを上手く描き出した脚本・演出・役者、みなさん本当にすごいと思ったのですが)
でもそれは、あくまで意志とか自由とかそういう観点から見た時の話だということに、しばらく経ってからやっと気づきました。
実は、自分のことを全て誰かに決められるって、すごく楽で、すごくいいことなのかもしれない。
自分のことを自分で決めるって、時々すごく辛くなります。
考えても考えてもどうしたらいいかわからない。
当たり前だけど、責任は全て自分にある。
どうでもいいやと、投げ出してしまいたくなることが多々あるのも事実で。
全て決められた通り、全て人の言う通りに動いて、それが成り立つなら、どんなにいいか。
自分が傷つくこともない、自分が人を傷つけることもない、それが成り立つなら、どんなにいいか。
でもこのお話は、それを肯定しませんでした。
ウミネコ、ヤマシギ、モズが外に出ようとした時、モズだけが「俺は行けない」と言う。
結果としてはモズは外に出なかったけれど、それは、自分で考えて、自分で決めたこと。意志。
自分がただなんとなくその場にいるのか、自分が望んでその場所にいるのかで、見えるものは違ってくるのかもしれないと。
でも田所先生、私にはそれが出来そうにありません。自分の意志がどこにあるのか、全然わかりません。
ヤマシギの言葉が頭から離れません。
「価値ある人生って何だよ?」
でもこの後、ウミネコがどんな言葉を紡いだか、思い出せないんです。
「自分の行きたい場所に行って、自分の見たいものを見る。それが自由」
私、どこに行きたいのかわからないんです。
意志ってなんだろう、自由ってなんだろう、価値ある人生ってなんだろう。
正直に言うと、私は今すぐにでも、田所先生に聞きたいです。何を思ってこのお話を書いたのか、そして、先生自身はどう思っていらっしゃるのか。
でももし、これをお尋ねできたとして(絶対ないですけど)、お答え頂いたとしても(もっと絶対ないですけど)、それは自分が考えて、自分が出した答えではないってことですよね。
籠の中の生活は、ある意味では楽。
そんな世界がもしあるとしたら、そこに身を投げてみたい気もします。
実際にどうなるかはわからない。
ただ、だけどきっと、そこにいたら、楽しくはないんだろうな、ということだけはわかるんだ。
ヤツガシラみたいな、純粋でキラキラした気持ちを、最初からずっと持ち続けることは出来ないだろうな、ということだけは思うんだ。
そもそも、私は籠の中にいる人間ではない。
色々と嫌なことが多くて、色々と傷つくことも多いけれど、だからこそ、楽しみがある。嬉しさがある。
意志を持って、それを貫くってことは辛い。
だけど、もう少し頑張ってみます。
あぁもう、何をごちゃごちゃ書いているのでしょうか。
本当は今日、こんなこと書くつもりじゃなかったのに。ワンサイドラブの感想書こうと思っていたのに。
FIGAROでさっくんにきゅんとしたこととか、M-1直前特番が楽しみすぎることとか、今日のコント広場のライスのネタがまたまた私にどストライクだったりとか、チュートのANNRのこととか、そんなことを書きたかったのに。
何をやっているのでしょうか。
とにかく、こんなことを考えるのは、一旦休憩にしよう。
明日は、バイトが終わればM-1だ!
好きなことのために頑張る、これも私の意志、なのかな?