なぞの旅人スーのブログ

鉄道、旅行、その他日記にしたい事を書いていきます。実際の面識が無い方からのコメント、歓迎。荒らしや誹謗中傷は×。

東九州の旅 2日目② 大分(臼杵石仏、鉄輪温泉)

2019-02-22 23:59:54 | 旅行

 臼杵石仏は平安時代後期から鎌倉時代にかけて彫られた磨崖仏群だそうである。4つの群があり、うち「ホキ石仏第二群」は修復工事中であった。そのため、見学料金が少し割引になっていた。でも、大きいから中尊阿弥陀如来像が遠くからでも見れた。寺ではないので、写真撮影禁止の注意書きは見なかった。保存のためか、各石仏群は建物内にあった。

 「ホキ石仏第一群」は4つの小群があり、そこに願文や経巻を収めたであろう台座に穴のある石仏があった。地蔵十王像は黄色くなってるのが神々しい。

 「山王石仏」。童みたいな愛らしい顔。



 「古園石仏」の入口手前には金剛力士像がある。左側は欠落してしまっている。


 「古園石仏」。大日如来像は仏頭が落ちてしまっていたそうだが、修復されたそう。


 石仏は凝灰岩でできているそうだが、木像よりも劣化しやすいのだろうね。観光客が少なく、乗るバスまで時間があったので、ゆっくりできた。
 下に降りて満月寺へ。膝から下が土に埋もれている仁王像。


 満月寺。


 鐘を撞いてもいいというので撞いた。前回はいつ鐘を撞いたことがあるのだろう?


 散策エリアがあり、松下幸之助とか有名な人の心に響く言葉の石碑がいくつも立っていた。




 雨が降ってきたので、無料休憩所兼土産販売店に入った。大分といえばかぼすだね。焼酎飲む時に入れよう。


 ひな祭りが近いので、園児作のひな飾りが飾ってあった。


 今宵の宿は別府の鉄輪温泉である。まず、大分駅にバスで向かった。遅延が酷かった。しかも、駅前ロータリーには入らないという。大分駅から別府駅まで電車で移動し、バスに乗った。スマホを見ながら宿の位置とバス停の位置を確認し、最寄りのバス停で降りようとしたけど、1つ行き過ぎてしまった。宿に向かう途中に「ひょうたん温泉」があったけど、10月まで改装で家族風呂のみの営業だそう。いい日帰り温泉施設だそうで、晩はここに入ろうと思っていたのだが。そして、予約した「旅館 みゆき屋」に到着した。


 案内された部屋。


 お風呂に入る前に、素泊まりなので食べ物とお酒を買いにスーパーへ。戻って風呂に入った。貸切制で、扉に札を掛けてから入る。準露天風呂2つに入った。源泉かけ流しである。






 部屋に戻ったら、布団が敷いてあった。温泉に入った後の酒は格別だなあ(笑)

 


 

 

 


諏訪之瀬島到着

2011-04-30 23:38:03 | 旅行

 午前4時頃、船の揺れで目が覚めた。天気予報から、あまり揺れないだろうと見込んだのだが、アテが外れた。すぐに酔い止めを飲んだが、効くまで気分の悪い状態が続いた。
 午前6時頃、一番北の口之島に到着した。朝日が見える時間である。以南の島も紹介していくが、トカラの場所を知らない人もいると思うので、船舶位置表示盤の画像も載せる。




 中之島は新しい岸壁になっていた。待合所をしっかりした建物にすれば良かったのに。




 平島。


 午前10時頃、最初の訪問地である諏訪之瀬島に到着した。宿は違うが、熊本の母子もここで降りた。港では子ども達が島オリジナルのTシャツの売り子をしていて、購入した。島のTシャツがまた1着増えてしまった(苦笑) 車で今回お世話になる民宿「御岳」に送ってもらった。女将さんが外で待っていた。早いところ釣り餌を冷凍庫に預けようとしたのだが、臭いが食品に付くからと、基本的にお断りだそう。開封前だし、刺し餌のオキアミだから、臭いは強くないんだけど。ご主人に預かってもらう事になったが、ご主人はあまり宿にいないし、女将さん経由だと意思伝達もうまくいかない。他の生き物の釣り餌では分からないけど、オキアミを使った釣りをやろうという人には不向きな宿である。
 また、宿には清潔を保つためのルールがあり、注意書きがある。扉はすぐ閉める、男性は小用を座って(洋式トイレ)しなければならない等。注意書きに無い事もあるが、清潔を意識した行動をとれば問題無い。問題ある行動をとれば、女将さんからはっきり物言われる。だが、そのルールのおかげで、綺麗で清潔な環境で宿泊できる。座りションは辛かったが・・・。私は大きい方も洋式でするのは苦手で、今ではほとんど洋式だから困る。
 早速尋ねてみたい事があった。諏訪之瀬島には、道路で繋がってなく、船でしか行けない「作地温泉」という温泉がある。しかも、凪いでいて、潮のタイミングが合ってる時にしか渡れない。宿は船を所有している。1人だと船代が高く付くので、他に希望者がいないか尋ねたところ、同じ宿のグループが希望しているそう。しかし、今日は波が高くて船を出せないと言われた。
 お昼ご飯までの間、少し散策をしようと外に出た。1人の若い男性が声を掛けてきた。昨年移住してきたそうである。移住者が最近多く、現在60人程が島で暮らしているそう。一緒に道を歩いて案内してくれた。諏訪之瀬島はトカラの中では面積が広いが、歩ける範囲は狭い。 学校からは楽器の音が聞こえてきた。部活動は音楽をやっているそうである。運動部に力を入れている学校が多く、小規模校だと運動部だけというところもあるが、珍しい。
 宿に戻ってお昼ご飯を食べた後、女将さんが「午後からは島内観光で良いか?」と訊いてきた。今日は温泉に行けないし、釣りは後の日にして散策しようと思っていたので、「はい」と返事した。そしたら、電話で何か申し込んでいるではないか。ツアーに申し込まれてしまった様である。内容、料金も分からない。断るのは気まずいし、観光客としてできるだけお金をその地に落としていきたいと思うので、そのまま迎えに来るのを待った。
 矢澤さんという男性が迎えに来た。参加者は私1人で、贅沢である。メインはトレッキングであった。山桜の南限である「ナベダオの桜」から山に入った。ただ、私はTシャツに膝位までの丈のズボン姿で、「ヒルがいるかもしれないが良いか?」と訊かれた。行かないのはもったいないし、単に血が出るだけだろうと安易に考え、希望した。


 道が全然分からないコースであった。これはガイドが付いていないと無理である。


 植物の説明もしてくれた。幹が横になった木。


 尾根からの見晴らしは最高。


 溶岩の台地に出て、車に戻った。諏訪之瀬島の御岳(おたけ)は今でも火山活動をしている。火口周辺は立入禁止となっている。結局、ヒルにやられる事は無かった。
 他、各見どころを周ってくれた。諏訪之瀬島には飛行場がある。旅客機が離発着する訳ではなく、個人の飛行機が降りる事があるらしい。元々は、リゾート開発で造られたもの。空港として使用してくれれば、観光に、島、村の人の生活に便利なのに。無断で入れない所なので、ツアーに参加したおかげで入れた。


 滑走路の下にはトンネルがある。


 飛行場に続く道に書かれていた謎の「行」の文字。飛行場から出る向きであった。矢澤さんは今まで存在に気付かなかったそうである。


 この島のガジュマルは物凄く大きかった。腰掛もあった。


 「根神・湯治場牧区」。草を生やすために最近野焼きしたそうである。「湯治場」という文字がある。諏訪之瀬島には活火山があるのに、何故か集落付近に温泉が無い。ここを掘れば温泉が出るかもしれない。


 火山活動監視の施設。


 「藤井富傳翁の墓」。諏訪之瀬島は火山の噴火でいったん無人島となったが、この人の尽力で奄美からの入植があった。また、土砂崩れで埋もれてしまった、人が住んでいたエリアもある。自然災害に遭いながら、この島は生き続けている。「ヒッピー」と俗称される、宗教、自給自足生活の集団も過去にあった。今でも島に残っている人がいて、矢澤さんもその1人だという。それと、島に入って最初に話した男性の様に、Iターンの人もいる。諏訪之瀬島は全国各地から人が来て成り立っている島である。


 神社にも入った。


 切石港の先にある「乙姫の洞窟」。中に大きな石があった。




 崖に生えるマルバサツキ。こんな栄養分無さそうな場所に生えるのは何故だろう?


 学校に入ってみたくて、矢澤さんにリクエストして入らせてもらった。このご時世、勝手に入る訳にはいかないし。平島の分校となっている。


 中にある郷土資料室を見学した。矢澤さんが作成した、作地温泉についての資料もあった。


 体育館は平成20年にでき、十島村の学校では一番最後にできたそうである。学校と道路を挟んだ向かいにあった。島唯一の横断歩道があった。


 トレッキング、飛行場入場はツアーに参加しないと無理だし、説明を聞きながら、話をしながらの島巡りは楽しかったので、ツアーに参加して良かった。料金は5千円であった。
 まだ夕ご飯まで時間があり、通り過ぎてしまったところもあるので、今度は徒歩で散策した。村役場出張所。乗船券はここで買う。


 公民館には素朴な感じの土俵があった。昔は大人が相撲を取ったが、今では子どもが祭りの行事の1つとして相撲を取るそうである。




 診療所。
 

 村の島々では島内に発電所を持っている。


 各島では肉牛を飼育しているが、種牛は初めて見た。貫禄ある体付きであった。


 元浦港まで降りる道からは綺麗な海岸線が見えた。


 元浦港は切石港が状況により使えない時にフェリーが着く事があるそうである。


 海は荒れてきていた。荒れた海は黒いイメージがあるが、トカラの海は荒れると波打ち際が碧くなる。


 崖には美しい鳥がとまっていた。山も多いトカラは、野鳥の楽園でもある。


 曇っていたが、雨はたまにポツリと降る程度で、何とか天気が持って良かった。宿に戻ってシャワーを浴び、夕食をいただいた。島で食べる刺身は美味しく、こちらでは刺身をあまり食べたくなくなってしまう。テレビで、沖縄、奄美が梅雨入りした事を知った。宿泊客は私の他にグループだけで、中に入り辛かったので、食事後は部屋に戻り、早く就寝した。




 





 


フェリーとしま 乗船

2011-04-29 23:59:40 | 旅行

 今年のGWもトカラ(鹿児島県鹿児島郡十島村)を旅する事にした。昼前に家を出て、夕方鹿児島市内に入った。まずは「トカラ結プラザ」で土産を買った。帰りだと店が開いている時に行けない。品数の少なさは相変わらず。お菓子が土産に都合いいんだけど、塩飴しか置いてない。もっとお菓子を作って欲しいな。島バナナアイスクリームを自宅に宅配してもらう形で購入した。手際の悪さも相変わらず。お客さん来ないの・・・?ネット販売が主なのかもしれない。


 道路を挟んで隣には、十島村役場がある。村役場が鹿児島市内にあるのである。その方が都合いいからである。なお、三島村も同じく鹿児島市内に村役場を置いている。


 私の離島の旅には、悪運がついてまわるものである(汗) 次に、釣りで使うオキアミを買いに「トカラ結プラザ」からちょっと歩いたところにある釣具屋に行ったのだが、閉まっていた。廃業したのだろうか?もしやっていなかった時のために、さらに先にある釣具屋を見つけておいて良かった。重たい荷物を背負い、かなり歩いたけど・・・。


 「フェリーとしま」の待合所に行って乗船券を購入し、買った釣り餌を冷凍扱いで預けた。大きな荷物をロッカーに入れ、市電に乗って温泉の銭湯に向かった。鹿児島市内の銭湯の多くは温泉だそう。今回は「錦湯」(「荒田八幡」下車)というところを選んだ。外観は近代的だが、中は古い感じだった。美味しいものではないが、飲泉もした。


 飲食物を購入して、「フェリーとしま」の待合所に戻った。ところが、またアクシデントが。コインロッカーが開かないのである(焦) 乗船券販売所の人を呼び、開けてもらったが、時間が掛かった。
 トカラは私の様にリピーターが多い。そういう人と再会するのも楽しみである。2年連続会っている熊本の母子を見つけ、声を掛けた。
 出航時刻は23:50なのだが、乗船は10時からできる。船に乗り込み、上にあるレストランで熊本の母子と乾杯した。


 船内には名文が掲げられている。


「トカラには刻をこえて生きつづけるものがある(太字)  そこにはなにもない、 という人がいた。いや、そこにはすべてがある、 という人もいた。透きとおった目と曇りのないこころで、トカラの島々に立てば、いったいそこに何が見えるのだろう。それはだれに聞いてもわからない。人は自分でも気づかずに旅に何かを求める。求めるものがちがえば、見えるものもちがう。トカラの旅は、流れることを忘れた刻(とき)への旅、そしてそれは自分を見つめる旅でもある。海と空と人々は、旅人を優しく迎えいれ、やすらぎと平穏を教え、いのちの不思議をあますことなく見せてくれる。さあ、トカラへ、自分を探しに。」

(ボード変わって)「それは神々の刻印なのかもしれない。(太字)  そこにはただ島があり、ただ人々の暮らしがある。ほかには青い海と、澄んだ空と、透明な時間があるだけだ。原始、人の暮らしとはこのように美しいものだったのにちがいない。訪れるすべての人の心に深く刻まれる、神々がつくり、神々が守り、魂のおもむくままに、生を舞う島々、トカラ。」

 

 まさに、この文章の通りである。観光でまわるところは大きく分けて2つ。1つは海、山の自然である。もう1つは島人の生活圏である。歩けば島人に出会い、出会えば挨拶し、会話することも多い。信仰の場も特徴ある。私の場合、人との出会いを求め、人の良さを再認識する旅だと思う。島人と、旅人との出会い(再会)を求めて、さあトカラへ。客室に戻り、眠りについた。