僕はFACEBOOKをやっているのだが、繋がりのある「とよね村観光協会」のページからタイトルのフォトコンテストを知り、応募する事にした。豊根村はガズームラの1つである。
もちろん、花祭りの画像である。その中で、一番の自信作を投稿した。コメントにて所感を述べたが、豊根の子ども達の花付き合いって、ホントいいなあって思う。それを伝えられる画像だと思う。
実は、はじめ投稿したものは、タイトルに必要な「ムラ名」を入れ忘れた。そこで、再投稿した。なんとか認められた様で、締め切られた作品の中の1つとなった。さあ、入選できるかどうか。
http://gazoo.com/mura/campaign/photo2012/list.asp?aID=tohkai
鉄活動自体久し振り。昨年末はみかん切りの手伝いで休みが潰れたし、今年に入ってからは花祭りに行ってたからねえ。
ホント、日車が近郊にあるのは、ネタもらえてありがたい。いつも連絡線に撮りに行っている。あまり風景は良くないけど、近いし、ゆっくり走り、踏切を発動させたり、踏切信号を赤にするために一旦停止し、運ばれる車両をゆっくり眺められるのがいい。そして、牽引するDE10の警笛も聞けるし。
出場1時間位前に、DE10が日車に送り込まれる。
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午前10時50分頃、警笛が聞こえ、出場してきた。日曜日ということで、撮影者はチラホラいた。踏切信号を赤にするため、踏切を発動させるために一旦停止している間に車両を鑑賞。
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先頭車は間になっていた。
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10年以上通い続け、親しくさせていただいている地区の花祭りの日がとうとうやってきた。会場近くに車を停めたいので、早目に出掛けた。
地区の人達はせんじ(接待の場)で食事をとっていたので、扉を開けてご挨拶した。そして、舞庭(まいど)へ行き、始まりを待った。天井等が模様替えされていた。
午後7時から湯立神事が始まった。当地区はこれを念入りに行なっている。途中、HN:だんきちさんから「せんじで食事を」と呼ばれ、せんじの係の人達と一緒に食事をした。「おい、三ヶ日!」(私は蒲郡在住)なんて、わざと呼ばれたり(苦笑) 今年から地区の人達が半被を着るようになっていた。鬼のピンバッジも着けていた。
貫禄ある花太夫の「ばちの舞」。
「市の舞」。豊根系(大入系)は「一の舞」、東栄系(振草系)は「市の舞」という「いち」の漢字の用い方か?豊根系の様に榊で観客を叩いては廻らず、身体をひねり、厳かに舞い、最後は舞庭各所で高く跳ぶ。
さて、花祭りを行なっている地区はどこも人手不足である。地区出身の人が花祭りの日には故郷に戻って役を務めたり、地区に縁がある子どもが舞ったりしている。全くの外部の者である私は当地区を中心に片付けなど手伝えるところは協力している。だんきちさんは今年、準備から協力された。花祭りに協力する行動のベースであり、気持ちがあれば誰でもできる事、それは応援する事!(笑) これがなかなか支えになる様で、「周りで大いに囃してくれるから元気に舞える」なんていう舞手の声もある。
当地区は戸数が少なく、特に人手不足である。20代がおらず、もしかしたら30代もいないかも(もし30代の方いらっしゃいましたらごめんなさい)しれない。しかし、毎年舞っている若者3人が現在19、20歳となった。小さい時には役目以外は会場外で元気に遊んでいた彼らも、今は大きく立派に成長した。そういえば、この地区及びその周辺が校区であった粟代小学校が廃校になった頃から、会場の外で遊ぶ子どもを見なくなったなあ。ここは「成人の日」の前の土日が開催日で、新成人を祝うにはピッタリ(笑) 20歳の人(上の写真)とその弟さんはこの地区ではなく町内別地区の人(共に大学生だから現在は町外にいるのかも)であるが、今でも舞を務めてくれている。20歳になった人へのお祝いの気持ちをメッセージにした布を自前の半被に貼り、舞庭に出た。祭りが始まってから時間がそんなに経ってないし、細いマジックで書いてしまったから、そう注目は集まらなかったけど、気持ちを伝えることができた。私はこれからの担い手である若い人達、特に子どもさんを積極的に応援している。これからも舞などで役を務め、花祭りを好きであり続けて欲しい。
「地固め(扇)」。ここの舞は振り子の様なテンポ良いもので、こちらも自然と体が揺れる。
「花の舞(盆)」。せいと衆(周りで「てほへ」と囃したりする人)も徐々に集まり、盛り上がってきた。1人ずつ神座(「かんざ」:囃子の舞台)の前で飛ぶ所作のところで、出番以外の子どもの口にみかんを入れた。中には要らないって言う子もいるけど、今年は皆口にしてくれたなあ♪ 毎年来るみかんのおじさんとして認識され、受け入れてくれてるんだろうね(笑)
時々、家から持っていったみかんを会場にいる人達に配った。そしたら、「花の舞」で舞ったある子どもさんがなんと拙ブログを花祭りの自由研究の資料で使ってくれたそう。そんなたいそうな内容ではないんだけど(恐縮) でも、興味持ってくれた事が嬉しい。
「山見鬼」の時間が迫り、熱気を帯びてきた頃の舞に間がある時には、せいと衆が乱舞した。
ここは消防団の「湯ばやし」(湯は掛けない)があり、盛り上がる。一旦会場の外に出て、戻った時には人がいっぱいになっていたので、写真は無し。
「山見鬼」の鬼様が出る前と戻った後には、供鬼がせいと衆からあたたか~い指導を受けながら舞った。3匹登場し、皆私がスカウトした人(笑) 去年、一昨年と舞ってくれた人とそのお連れさんはお願いしやすかったが、1人は花祭り自体初めての訪問で、いきなり伴鬼体験(笑) すっと応諾していただけた。私のスカウトアンテナは感度が高い(笑)
舞庭の電気が落とされ、鬼様登場。ここの各親鬼の面はデカくて迫力、威厳がある。
「三ッ舞(扇)」。せいと衆は「てほへ」と囃す以外にも「歌ぐら」という短歌調の歌の下の句を唱える。私は昔言葉の「歌ぐら」が好きで、一緒に唱えている。舞庭上部に歌詞が貼られているので助かる。 「秋過ぎて 冬咲く花とは 今日かとよ 風ものどかで 八代に咲く花」
「同(やち)」のところで神部屋(「かんべや」:支度部屋)に呼ばれた。「榊鬼」の伴鬼のお役目である。この頃は人も少ないので、小心者な私は「伴鬼やるんだったらここで」と志願している。去年、一昨年と舞ってくれた同じ蒲郡生まれの人(今は東京在住らしい)が「山見鬼」の後も伴鬼の姿のままで神部屋にいた。ありがとうございます!もう1人も去年舞ってくれた人。2匹は赤い鬼で、1匹緑の鬼が入る。1匹だけ緑がいるのは、何か意味があるのだろう。熟れる前の青い柿の様なもので、未熟な鬼という事か?なぜか私はいつも緑の装束を渡される(笑)
ところが、「同(剣)」になってもまだ「てほへ」と聞こえてきて、「こりゃあ、野次られるなあ」って不安になってしまった。でも、静かすぎるのもなんで、自分にとってちょうどいい程度の囃され方で、舞う元気が出て良かった。なんか、緑鬼の面の長い鼻が好きだそうで、ナデナデされた(笑) 「榊鬼」では問答があり、偉大な鬼様のお供でいられ、光栄であった。親鬼と共に、生命の再生を図る「山割」の所作をした。かまどに足を掛け、鉞(まさかり)を上下に振る。終わった時には完全に明るくなっていて、地区によっては「茂吉鬼(朝鬼)」の時間ぐらいである。
まだまだテンション高持続状態(笑) 寝ずに舞庭へ戻った。「岩戸の舞」。醜い面とおかめが見物人の顔に味噌、ご飯を付けてまわる。子孫繁栄の意味があるので、女性が中心に付けられる。すりこぎが男性、しゃもじが女性のシンボルである。昔はすりこぎの姿がリアルに男性のシンボルだった。
「巫女」が出ている間は醜い面、おかめは外に出ていて、「巫女」が戻ったら舞庭で舞う。この舞だけの笛の調べが楽しい感じである。
「火の祢宜」。突然、会場隅でしゃがんで携帯電話を取り出して「もしもし」したのに爆笑。下粟代の人達は茶目っ気があるよなあ。
「一力花」という祈願奉納を受けた、臨時な舞の「花の舞」が朝にも行なわれる。昔は結構「一力花」の舞があったと思うが、今年は3つの祈願をまとめての1舞であった。
「四ツ舞(扇)」。扇を持つ前には「ゆわぎ」を持って舞い、大きく見える。囃子が朝らしい爽やかな調べである。私は「歌ぐら」でも「四ツ舞」の調べが好きだが、普段はこの時間一旦寝ているし、なかなか音程がつかめなかった。太鼓の人が唱えているのを聴いて、自分も唱えた。地元のせいと衆同士が悪徳ない野次の掛け合いをしていた。朝に合う様なものだった。これは地元内での人間関係がなければならないし、私の性格からも、私に出来る様なものではない。
この舞の後に1時間位寝て、再び舞庭へ。「翁」が出ていた。また神部屋に呼ばれ、「茂吉鬼」の伴鬼のお役目を仰せつかった。「湯ばやし」向けの蛍光が入った黄緑色で、「下粟代が好き」と背中に書いた半被を着る機会がなかなかないなあ(汗) 「湯ばやし」の舞手の1人から「みかんおやじ」という懐かしい呼ばれ方をされた(苦笑) 豊根だと子ども達から「みかんおじさん」と呼ばれているが。
一度「榊鬼」で出てるから、周りに人がたくさんでも萎縮することなく舞えた。「茂吉鬼」では「びゃっけ(湯ぶた)」(天井の飾り)の中にある「蜂の巣」と呼ばれる袋状のものが槌で落とされる。中には銭が入っていて、観客が奪い合う。
引き続いて「獅子」の尻役。腰をかがめるので腰が痛かった。なぜか脚は鬼を2つやってるのにまだまだ平気な方だった。
舞が終わり、神返しの神事が始まった。同時に片付けも行なわれる。片付けを手伝った。
地区の皆さんのご苦労をねぎらう場(直会)に私も呼んでいただけた。私、だんきちさん、奥さんが地区出身の人、地区出身の人の花祭りへの協力に対する感謝の言葉が述べられ、頭が下がった。「今年は体調不良などの事情で祭りに参加できない人もいて特に人手不足だったが、これからは常にこういう状態になると思う」という話があった。これからも協力していきたい。へぼ(地蜂)飯のおにぎりが珍しかった。色々なものをお土産にいただき、ありがたかった。
お酒を飲んだので、車の中で寝て時間を過ごした後、帰路に就いた。楽しい時間をありがとうございました。また来年もよろしくお願いします!
見学の前に会場すぐそばにある「湯~らんどパルとよね(兎鹿嶋温泉)」に入った。休みの日にはいつも銭湯に行ってるけど、やっぱり温泉の方が癒されるわあ♪ 見覚えある顔のおじいさんが来たので話し掛けた。下黒川の人だそうで。花祭りの話などをした。また、下黒川出身の親子とも再会した。下黒川の花祭りは上黒川の前日である。祭りの疲れを取りに来たのだろう。
午後5時頃にあがり、会場へ。ちょうど舞が始まったところだった。今年は映像記録のためフラッシュ撮影自粛が要請されたので、感度を上げての撮影であった。
「地固め(扇)」。豊根系(大入系)は舞庭の四角形の辺に沿って舞う部分がある。後半の拍子では「ド~ンドンドン」と時々強く太鼓が打ち鳴らされ、会場に響く。
同地区では本来神返しの目的である「しずめ」が「地固め(扇)」の後に行なわれる。
「地固め」が「やち」、「剣」と再開される。年が高めの人達が「さ~るを喰ったか よ~舞うな」など「てほへ」以外の囃子声を出していた。こういう囃子言葉も最近はなかなか聞かない。
そろそろお酒が欲しくなった(笑) サービスでつけてくれた焼いた里芋にニンニク入り味噌をかけたものがおいしかった。
幼児、小学生が舞う「花の舞」。今年デビューの幼子がお父さん、お母さんに大切に抱えられて舞庭に登場した。お父さん、お母さんの操り人形状態で舞っていたが、舞庭に立った子どもの成長を喜び、これからの健やかな成長を願う時である。
「一の舞」。豊根系では榊で会場の人達を叩いてまわり、盛り上がりどころの1つである。思いっきし叩いてくれアピール満々に上半身裸になった人が格好の餌食に(笑) 僕は近くに子どもがいたためか強くは叩かれなかった。
「山見鬼」。ここの鬼は顔をクックと横に振り、柄の尻を地に着けた鉞を前に押し出す仕草がカッコいい。ここの面は額に血管が浮き出た様な線が描かれていて、恐面である。「て~ほとへ とひゃひゃ」と、せいと衆が囃子声を上げ、会場のボルテージは最高潮に。
雰囲気がパッと変わり、「三つ舞」。ここの「やち」、「剣」では、舞庭の角で思いっきり刀を前に突き出す。角に人がいようがお構いなく突き出す様に言われているそうで、角に進んできたと同時に突き出すので、この場所にいる人はご注意を。自分、初めて行った時ビビったから(苦笑) 豊根系の「三つ舞」はハードな舞で見応えある。
「榊鬼」。問答や燃えた木に鉞を打ち付ける「たいわり」という独特な場面があるので、カメラマンが集まる。
「味噌塗り」。会場の人達の顔に味噌を付けてまわる。地元の人なんか、べっとり塗られていた。僕もすすんで塗られた(笑)
「巫女」にちょっかいを出そうとする「味噌塗り」を先に出ていた「婆」が妨げる。「味噌塗り」が引っ込んだ後に、温泉で使って濡れたタオルで顔に付いた味噌を拭おうと車に戻ったら、フロントガラスが凍結していたのはもちろん、タオルも凍っていたよ(苦笑)
この後も「祢宜」、「翁」、「四つ舞」と続き、そして盛り上がりどころの「湯ばやし」。カメラを一眼レフから「壊れてもまあいっか」なコンデジに替えて撮影。いつ湯をかけてくるかと待ちながら「てほへ」と囃した。ついに湯をかけてきた。釜の湯が無くなったらバケツで”水”が継ぎ足され、冷っ!体がびっしょり濡れた。地面は水浸しになった。
「獅子」まで見届け、ビショビショになったのでまた温泉に入った。ちょうど温泉オープンの午前10時に「獅子」が終わった。坂宇場から来ていた中学生も入るというので、一緒に入った。花祭りが好きで、興味があって最後までいてくれて、花祭りのこれからの担い手として頼もしい。温泉には上黒川の人をはじめ会場で見た人が多く入っていた。
さて、舞の部分の話は以上で、次は舞の周りの人間模様、交流について。坂宇場の中学生には同所の今シーズンの花祭りの写真を、上黒川で去年舞い、話した少年達には去年の写真を渡そうと持ってきていた。しかし、中には今年は舞わない少年がいて、従兄やお父さんに写真を預けた。ほとんど(全部?)の地区では地区の子どもだけでは舞手が足りず、地に縁がある子どもにも舞ってもらっている。しかし、よその子だと高校受験がある中学3年になる前には引退してしまい、さらには花祭りにも来なくなる。寂しいし、やはり存続のため感は否めない。もちろん、否定はしないが。
坂宇場には10年前にも行っており、その時の写真を坂宇場から来ていた中学生に見せた。2年生がその時4歳だから舞デビューの頃にあたり、多分自分だろうという写っている幼子を指差した。また、坂宇場の女性にも見せて、自分が舞っている写真を見つけて、懐かしがっていた。昔の姿が写った写真と現在の姿を見比べるのも面白い。こうやって写真を他人に見せることもできるので、僕は写真をPCに保存するだけでなく、現像するようにしている。
会場に来ていた中学生はあまり会場におらず、外に出ては時々会場に戻ってきていた。きっと深夜の暗闇の中で男同士で深めな話をしてるんだろうなあ。そういう友達付き合いが羨ましい。中学生、高校生にとって、花祭りは集合場所なんだろう。また、大人同士の交流も舞庭の周りのあちこちで花が咲いていた。下黒川の人が以前「花祭りは同窓会みたいなもの」と言っていた。花祭りって、祭り半分、交流半分だと感じる。
「人」を感じる花祭り、これからも訪問していきたい。さあ、いよいよ1週間後は親しくさせてもらっている東栄町下粟代の花祭りだ。