今シーズンの花祭りも残すは3月の東栄町布川地区のみである。花祭りシーズン以外も、東栄町、豊根村で開催されるイベントに行ったり、花祭りに関する催しに行ったりする。過去には自分には場違いな名古屋大学で行なわれたシンポジウムに参加したこともある(苦笑) 下粟代地区の花祭りの会所に題名のワークショップの案内が貼ってあった。昨日今日開かれ、これまで記録してきた映像を観られるという。昨日は夜勤明けだったので、今日行ってきた。ちなみに、この映像記録活動も名古屋大学が関わっている。
会場は東栄町の花祭会館である。僕が花祭りを知った場所である。十数年前に当時の職場の同僚と東栄町をドライブした際に寄った。同僚は花祭りに興味無かったかもしれないけど僕は興味を持ち、本来は人数揃わないと観させてもらえないビデオ映像を、当時の伊藤館長さんに頼んで観せてもらった。ただ、その時点では本物を見てみようとまでは思わなかった。ちなみに、本物を見てみようと思ったきっかけは、「とりあえずデモンストレーションを見に」と行った東栄フェスティバルで河内地区の実演があり、隣に偶然地区の人がいて解説してくれ、誘われたからである。
中に入ったら、受付に東栄町古戸地区出身で豊川市在住のIさんがいた。開催スペースに通された。既に古戸の湯立て神事の映像が流れていた。昔の映像を観ている様な映り方だった。スタッフからアンケートを渡され、映像を観ている合間に記入した。しばらくは僕1人だったけど、11時過ぎてからポツポツとやってきた。偶然開催日に会館を訪ねたっぽい一般見学客らしい人もいた。もちろん、東栄町の人もいた。
ぶっ通しで映像を流すというので、昼ご飯を食べに一旦退場した。FACEBOOKの花祭り繋がりで「山のレストランさかた」という名前を度々目にし、一度行ってみようと思っていた。Iさんから観光マップを貰い、その店へ向かった。洋風の建物だが、和食もあった。女将さんが上品な方で、接客が良かった。「さかた御膳」を食べた。特に美味しかったのは鮎の塩焼きで、身がしっとりとしていて臭みが無かった。
花祭会館のワークショップ開催スペースに戻った。まだ古戸の「市の舞」だった。このままだと「花の舞」まで観れる程度だろうと思い、リクエスト可だというのでキリのいいところで何かリクエストしようと思った。そこへ設楽町下津具地区の花キチ兄さんが来た。仕事の合間に寄ったそう。古戸は下津具と開催日が同じなので、古戸の映像を興味持って観始めた。古戸の歌ぐらはしっとりとして風流である。去年本物を訪ねた際は、花宿を離れてもしばらく歌ぐらが脳内で聴こえ、口ずさんでしまった。今回も同じ状態となった。
同じく下津具と開催日が同じ豊根村下黒川地区をリクエストすることにした。元々東栄町で豊根の花祭りの映像を観るのが面白そうと思っていた。向こうには親子連れがいるし、人気どころの「花の舞」と何らかの鬼の舞をとリクエストした。まず「花の舞」。囃子が聴こえにくかった。
鬼の舞の前に他の人からのリクエストで同地区の「一の舞」、東栄町月地区の「市の舞」が流された。「『いち』の舞」での振草系、大入系との違いをみようということだろう。月の「市の舞」は天井の一力花に届くくらい採り物を掲げていたなあ。そして、僕のもう1つのリクエストを受け付けてくれた。下黒川の「榊鬼」となった。
2時位に小林地区のN夫妻が来て、下津具地区の「榊鬼」がN夫人からのリクエストで流された。下津具には行ったことがなく、鬼の面の写真をネットで見たくらいである。下津具は独特感あった。釜には蓋がされていて、下に火鉢が置かれていた。笛の音が高く、拍子の速いところ以外はかすれる様に吹かれた。もう1匹の鬼が釜を軸にして榊鬼と対称の位置にいて、反対の向きで所作をしていた。別の鬼も背中に榊を挿していたし、子鬼というよりは分身みたいな感じだった。なんか幾何学的で、東洋の呪術というよりは西洋の魔術みたいに思えた。榊鬼が背後から抱き上げられて退場するところが面白かった。
同じリクエストで、同地区の「地固め(剣)」が流された。神社の社殿内で舞っていた。当然釜はなく、独特の舞の空間だった。下津具、行ってみたいなあ。
4時半でおしまいということなので、花祭りみたいにシメとして「湯ばやし」をリクエストした。ただ、地区を指定しなかった。スタッフがNさんと相談して、月のが流された。ギャラリーの数が凄かったなあ。終盤停電というアクシデントがあったみたいで、それで選んでくれたのかも。停電で暗くなっている最中も延々とお湯を掛けていて、明るさが戻って舞庭が映されたら、豊根村上黒川地区みたいに地面が水浸しだった(笑)
映像を観ながら歌ぐらを口ずさんだり、本物の場にいる様に楽しめた。実は明日もワークショップがあり、デジタル映像の活用法についての講演会があるそうである。仕事で行けないので、資料だけ貰ってきた。大がかりで行なった活動も、地区が利用してくれなくては徒労に終わってしまう。是非活用されて欲しい。アンケートに書いたけど、歌ぐらの教材を作って欲しいなあ。歌ぐらをせいと衆が唱っていない地区もあるが、東栄町御園地区は復活させたと聞いてるし、復活可能だと思う。
最後は「とうえい温泉 花まつりの湯」でリフレッシュしてきた。歩行湯が無くなって寝湯になっていた。内風呂に入ると、三河湾の臭いがした(苦笑) 泉質はナトリウム・カルシウム-塩化物泉だそうである。
上がってから、この前は時間が合わずに買えなかった土産物を買った。以前には置いてあった好きなオニ揚げが置いてなかった。羊羹、東栄チキンなどを買って会計する際に聞いてみたら、「もうウチには卸していない」と言われた。豆腐屋さんが廃業ではなく取引が無くなった様である。しかし、静岡県の厚揚げ、豆腐は売られていた。どうして売られなくなったんだろう?国道151号のドライブインはまだ扱っているかなあ?
他の土産物も色々なところのものがあったけど、三遠南信、近隣の県のものならまだしも、香川県の卵かけごはん用しょうゆが売られていたり、何でもアリかよ・・・。 「花まつりの湯」は東栄町の一大観光施設であり、人気の日帰り温泉である。土産ものを製造業者と連携してもっと開発すればいいのにと思う。豊根村は道の駅のリニューアルオープンで新商品が出たし、観光施策も頑張っていると思う。東栄チキンさんも、燻製を復活してくれないかなあ?
盛り上がりが落ち着き、「三ツ舞(扇)」。せいと衆が太鼓の人が唄う歌ぐらの上の句を聴き、舞庭の上に貼られている歌詞を見ながら下の句を唄った。大抵、右から左へ歌が移っていくが。マイク、スピーカーを使う様になったので、太鼓の人がどの歌を唱え始めたか分かりやすかった。僕も歌ぐらを唱えた。歌ぐらは神楽らしさを醸し出す。歌ぐらをせいと衆が唄っていない地区もあるし、いつまでも歌ぐらが唄われていって欲しい。「三ツ舞」は神座の前で舞子が交差する所作が呪術的である。
やちの手。豊根と違ってゆっくりではあるが、やちをバトントワリングの様に操るところが好きである。
当地区は舞が始まるのが遅いので、「榊鬼」が外が明るくなる前位から始まる。今年は午前6時頃から始まった。僕のミスで伴鬼をダブルブッキングしてしまい、「山見鬼」で舞ってここでも舞おうとしていたH君に古戸地区の少年と替わってもらった。失礼なことをしてしまって申し訳なかった。もう1人は月地区のK少年で、東栄町で花キチ少年といえば彼を思い浮かべるくらいである。マイ面を被り、上手く舞った。そのそばでは友達が見守り、共に舞った。子ども同士のそういう花付き合いの光景がいいなあって思う。
照明が暗くされ、親鬼様の登場。当地区の面はホント大きくて、迫力がある。
年齢比べの問答。
伴鬼も親鬼様と共に竃に片足を掛け、鉞を上下する。伴鬼をやる時、自分も神の役割を担っているんだなあって実感する。
車の中でちょっと休んでから舞庭に戻ったら、「四ツ舞(やち)」をやっていた。
「翁」。下粟代の翁はお茶目なところがあり、これが下粟代名物第二弾である。今年は五郎丸選手ネタだった(笑) しっかりラグビーボールまで作ってるし。
ラストの盛り上がりどころである「湯ばやし」。歌ぐらの中の「こぎひろい」が一部唱われた。「こぎひろい」は舞では「湯ばやし」において唱われ、祭具の由来を説いている。これは歌詞が舞庭に貼られていないので、全然唄えなかった。僕が持っている花祭りを中心とした東栄町の祭り行事の本に歌詞が載っているので、それを写して来年持っていこうと思う。舞子じゃない少年も湯たぶさでお湯を振り撒き、1人の少年が湯たぶさを貸してくれたので、一緒にお湯を撒いた。
「茂吉鬼」。なんとか伴鬼を2人確保でき、初めて全ての伴鬼をお役御免となった。これについては、ありがたいことに「○○さんが今年鬼舞わなかったので寂しかった」、「なんで舞わなかったんだ?」という声があったが、共に初体験である伴鬼二匹を少年が指導する場面が生まれ、花祭りを継ぐ少年が注目されることになったので、結果として良かったと思う。1人は外人さんをスカウトした。イスラエルの人だそうである。下粟代で外人さんが舞うのは初めてではないだろうか。
さあ、どこに蜂の巣の中身が落ちるだろうか?例年通りの所かな?その通りだった。なんとか1枚祓い銭を拾えた。ライバルを増やしたくないので、落ちた場所は教えません(笑)
舞のラストは「獅子」。おかめの上に獅子が被さるかまけわざがあり、五穀豊穣、子孫繁栄を祈願する。また、湯たぶさを咥えてお湯を撒く。
神返しの神事と同時進行で片付けがある。お世話になったお礼として手伝っている。神事が終わらないと片付けできない状態まで片付いたので、「しずめ」を観た。花太夫さんの威厳が伝わってくる。
片付けが終わり、ご苦労振舞いをよばれた。飲食の前に会計報告、花太夫さんからのお言葉、保存会の1人からのお言葉があった。保存会の人の言葉で、「少人数だけどなんとか無事花祭りを終える事ができた」という話があった。当地区は特に戸数が少ない。よそ者としてはただただ存続を願うことしかできない。へぼ飯のおにぎりが美味しかった。苦手な人が多いだろうけど、僕は好きである。やはり、五郎丸選手ネタの事が話題となった。
お開きになった後、車の中で休んでから帰路に就いた。またひとつ思い出が加わった。変わり者の私を受け入れて下さっている地区の皆さんの広い心に感謝している。また来年の花祭りを楽しみに生きていこう。
十数年お世話になっている地区である。午後7時頃に到着した。花宿手前の橋が新しくなっていて、旧の橋に繋がる道と、川沿いにスペースができていて、花宿近くに多くの車が停めれる状況だった。到着時は地区の皆さんが食事中だったが、ほどなくして出てきて、目の前を通り過ぎる際に挨拶した。
毎年ちょっとした変化点がある。太鼓の脇に歌ぐらの譜面台が設けられていた。
当地区は湯立て神事を念入りに行なう。印を結ぶところがカッコいい。
干し柿が五方の縄に掛けられた。舞庭(まいど)は四角形であるが、花祭りの方位は東西南北中央である。せんじの部屋の扉の所に二回掛けられ、食事中のせんじ担当の人達がすぐに取っていった。他のところも、誰かが取って他の人にも分けていた。
竃の湯が煮えたぎっていた。換気扇を使っているので、湯気が幻想的に上がり、漂った。
せんじを受けにAさんとお連れさんと共に行った。まだ消防団の人達が食べていた。これまでは消防の人達が食べ終えてから一般の人が入れた。消防団の担い手が少なくなっている。
「市の舞」の囃子が聴こえてきたので舞庭に戻ろうとしたが、第二のせんじの場であるいろりの所に、地区出身で豊橋在住の僕と同じ苗字の人がいたので、しばし話した。去年は仕事で来れなかったそうである。
舞庭に戻ったら、「地固め」が始まっていた。
今年は若い舞子が確保できた様で、他のお役目もある中年層の人達は大助かりだったと思う。段々とせいと衆も集まってきた。
「花の舞」。当地区のこの舞の装束は前垂れがあって、模様、色合いが大陸要素の匂いがする。
湯桶の手の前に消防による「湯ばやし」が入った。下粟代名物第一弾である。大いに盛り上がって、アンコールの声も挙がり、舞子が再度舞った。
なぜか、私が伴鬼のスカウト役を担っている(苦笑) 部屋番から各舞2人ずつ確保して欲しいと頼まれた。「山見鬼」は豊川の花キチ少年H君と、蒲郡出身で毎年来てくれている人のお連れさんに頼んだ。「と~ほへ て~ほへ」とせいと衆が熱心に囃した。しばらくしてから照明が暗くされ、親鬼様が登場。どっしりとした雰囲気となった。笛を吹きに神座へ上がったが、全然吹けずに邪魔となってしまった(汗)
②へと続く
雪が降っていないどころか、道路脇などに雪が無い正月の花祭りは珍しいね。運転は安心だった。会場近くの「湯~らんどパルとよね」に入った後、当地区の舞は早く始まるので、午後5時過ぎに会場入りした。「撥の舞」が始まっていた。東海テレビの「祭人魂」が収録に来ていて、来月13日放送と聞いた。一昨年は東栄町中在家地区を取りあげた。もしかしたら、僕も映るかも。
「地固め(扇)」。当地区の舞はひとつひとつの動作を踏みしめる様な感じである。会場は屋内で、釜の火が常にくべられているので、舞子は熱そうだった。釜から離れていても熱気があったし。当地区の太鼓は体の芯まで響いてくる。
特殊なケースで、次は「しずめ」。
「地固め(やち)」。汗を垂らしながら舞っていた。花祭りに通い続けていると、単純なことでも今更気付くっていうことがあるんだけど、やちの下の部分(刀の部分として名前があるんだろうけど)に色紙が巻かれていて、2人のものは赤と黄色と別々だった。
「花の舞(扇)」。
三陸の人が豊根村に移り住んだことが縁で、美味しいホタテが売られる様になった。今年は牡蠣も売っていた。肝臓のために牡蠣をよく食べた(苦笑)
「一の舞」。強く叩かれたいチャレンジャーが釜の周りを囲った。僕も釜の近くに立ったけど、熱かった・・・。さらなる兵は上半身裸に。なんか、腰の辺りをよく叩かれて、「ガキの使いやあらへんで 笑ってはいけない~」みたいだった(苦笑) 強く叩かれて悶絶している少年達(笑)
「山見鬼」。当地区の鬼の舞は拍子が速く、柄を地に着けた鉞をグイッと押し出したり、鉞の操り方がカッコいい。面の黒い線が血管みたいで、恐ろしい形相である。
大晦日の午前中までみかん切りで疲れていて、正月は寝正月だったから体を動かしてなく、体調はベストではなかった。もう1回目の仮眠を温泉に停めた車の中でとった。会場に戻ったら「三つ舞(剣)」に進んでいた。中学生2人と青年が舞っていた。花祭りは高校生、青年の舞手がいないのが厳しい現状である。1人の中学生がせいと衆や見守っている中学生と掛け合いをしながら大きく舞っているのが微笑まく、嬉しかった。
「榊鬼」。僕も鬼の舞でこの舞が一番好きだけど、カメラマンも好んで撮る対象にしている様である。年齢比べの問答をした後に榊を手で引く所作、松明を鉞で打つ「たい割り」が神聖である。
「味噌塗り」。味噌が入った鍋を持った人が舞子のそばにいて、たっぷりの味噌が使用された。僕も顔にたっぷり塗られた。「湯ばやし」、「一の舞」で上半身裸になる坂宇場の人がここでも裸になっていた。
巫女を味噌塗りから守るばばあ。
顔に味噌がまだ塗られていない人が次々と味噌塗りのそばに連れて行かれて、味噌っ子が増殖(笑)
再度車の中で仮眠し、戻ってじきに「湯ばやし」。釜の中の湯が無くなってもバケツで湯、水が投入され、何回も湯たぶさで撒かれた。せいと衆も地面もびしょびしょになった。
最後は温泉で花祭りを盛り上げてくれた中学生をねぎらい、帰路に就いた。疲れていた体力、気力も花祭りで授かったパワー、ご利益でいくらか快方した。そして、お世話になっている東栄町下粟代地区の花祭りが次の週末と迫ってきた。国道には既に案内の看板が立っていた。