なぞの旅人スーのブログ

鉄道、旅行、その他日記にしたい事を書いていきます。実際の面識が無い方からのコメント、歓迎。荒らしや誹謗中傷は×。

帰宅

2019-10-27 10:21:37 | 旅行
 バスは6時40分頃に名鉄バスセンターに到着。名古屋駅から最寄り駅へ。8時頃に自宅に着いた。締めは八戸駅で買った駅弁。夜勤に備えて就寝した。


 台風による三陸鉄道の被災で予定変更となってしまったが、良い旅ができた。またを楽しみに日々頑張ろう。
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下北半島2日目(恐山)、帰路

2019-10-26 23:59:59 | 日記
 いよいよ恐山に。雨が降ってきた。道は空いてたけど、クネクネしていた。途中、湧き水があったので飲み、ペットボトルに汲んだ。


 車の中にまで火山性ガスの臭いが入ってくると、じきに宇曽利湖と「太鼓橋」が見えてきた。「三途の川」に見立てられている。現在は渡ることができない。


「脱衣婆」と「懸衣翁」石像。「脱衣婆」が死者の衣服を剥ぎ取り、「懸衣翁」が枝にそれを掛け、罪の重さを量るという話から。


 駐車場に到着。車が少なかった。11月から冬期閉山に入り、最後の週末だから混むかと思ったけど、雨だからか?


 まずは「本堂」にお参り。中に入ると、故人の衣服などが納められていた。


 御朱印をいただこうとしたら帳面を車に忘れていたので、受付に断って取りに行った。再び入り、いただいてきた。
 立派な「山門」。


 「地蔵堂」。御本尊が安置されており、「本堂」よりこちらの方が重要かと。


 「地蔵堂」に向かって左から荒々しい岩肌が広がり、火山性ガスが噴出するエリアが広がる。綺麗な紅葉、しとしとした雨模様と合わさって、不思議な雰囲気だった。「無間地獄」。「~地獄」という箇所がたくさんあった。


 所々に石が積まれ、風車があった。恐山は水子供養の場として知られている。風車は水子を弔う玩具とのこと。


 開祖である「慈覚太師堂」。
わらじはあの世に旅立つ死者に向けてのものである。


 所々に像があるが、古さを感じず、昔は何も無かったのかも。


 「極楽浜」。死後の世界だから極楽も表している。東日本大震災の慰霊碑があった。


「八角堂」。ここにも衣服などが納められていた。


 近くに「血の池地獄」があるらしいけど、場所が分からなかった。いつもではないみたいだけど、水が赤くなることがあるそう。

 「八角堂」を振り返る。


 「延命地蔵尊」。


 雨でいい写真があまり撮れなかった。とりあえず一周し、参拝者が追加料金無しで入れるという温泉に入った。


 

 まだ時間があるので、もう一度岩肌のエリアに入り、雰囲気の中に身を置いた。そして、余裕を持ってレンタカー会社に戻った。ちょっと離れたところにある「不動明王」に行けば良かったなあ。それと、見逃したところがいくつかあって残念。
 車を返却し、下北駅まで送ってもらった。列車を乗り継いで仙台駅へ。仙台から名古屋まで夜行バスを利用した。今回はグルメを重視した。もちろん、仙台といえば牛タンである。駅の中にある「牛タン横町」の「利久」という店でテイクアウトにて購入した。そして、バスの中で食べた。ワンランク上の「極」なので、食べ応えがあった。









 




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下北半島2日目(尻屋崎、昼食)

2019-10-26 23:59:58 | 日記
 朝食にはイカ刺しが出た。甘くて美味しかった。


 下風呂温泉には「大湯」、「新湯」、「浜湯」という3つの源泉があるそうで、「かどや旅館」は「新湯」だという。「大湯」、「新湯」には共同浴場があるので、「大湯」の共同浴場に入りに行った。雨が降っていた。


 番台の人から「洗面器で湯を体に掛け、熱かったら水を足して下さい」と言われた。中に客はいなかった。熱さが「普通」、「熱い」という2種類の浴槽があり、もちろん「普通」に入ることに。体に湯を掛けてみると、まあ個人好みではないという熱さ程度だった。ほどなくして、地元の人が次々とやってきた。「熱い」という浴槽に入ってみたけど、「普通」と変わらなかった。地元の人は「普段は熱い」と言っていた。


 この共同浴場は後に閉鎖となり、新たな共同浴場を建設中とのことである。
 実は、下北半島には2つの「鉄」要素がある。1つ目は下風呂温泉にある大間鉄道の工事跡である。太平洋戦争中、大間まで鉄道を敷設する計画があり、工事が行われたが、戦況の悪化で中止になったそうである。その遺構が「メモリアルロード」として整備された。


 足湯があったけど、冬期閉鎖中でお湯が無かった。


 港が見えた。波が高かった。


 恐山だけでは時間が余るので、もう1箇所観光したい。仏ヶ浦は浄土ヶ浜と雰囲気被るので、尻屋崎にした。ただ、路線バスの時間が都合悪かった。バスでむつ市街まで行き、レンタカーを利用することにした。旅館をチェックアウトし、バス停に行ったら、オンシーズンの週末中心に観光周遊バスが運行されているという案内があった。これを利用しても良かったなあ。路線バスの前にそのバスがやってきて、2人1組が乗っていった。
 下風呂温泉に向かう時もそうだったけど、大畑駅停留所で少しの時間停車した。大畑まで昔鉄道が走っていたそうであり、その跡が残っている。これが2つ目の下北半島「鉄」である。なんと、車両が動態保存されているそうである。普段は車庫に入っている模様。




 むつバスターミナルに到着。レンタカー会社に迎えに来てもらった。実は、今日が誕生日で、コピーのために免許証を渡したら「今日が誕生日なんですね。おめでとうございます」・・・とは言われなかった(苦笑) 手続きを終え、いざ出発。まずは尻屋崎に。エリア出入り口に有料駐車場みたいなゲートがあり、遮断機の前で一旦停車するとそれが上がった。灯台があるところへ。車から降りると風がビュービューで、長居できなかった。灯台は中に入れるみたいだが、「強風のため閉鎖中」の案内があった。


 海は荒れていたけど、青さが分かった。穏やかだったら綺麗だろうなあ。


 ここには「寒立馬」という馬が放牧されている。冬期は別のところにいるらしい。灯台に向かう際に馬を見たので、そこに戻った。観光客と監視員がいた。3頭いて、この2頭は母子だという。


 黒い馬もいた。白い馬もいるという。


 「寒立馬」は農耕馬、海藻を運ぶために使われたそう。また、金銭に困った時には売られたそうである。3頭とも林の中に消えてしまったので、先に向かうことにした。
 大間のマグロが食べたかった。大間まで行く時間は無いので、むつ市街で食べられる店を探した。「天一」という店に入った。


 本業は天ぷら屋で、なんと我が地元にある竹本油脂のごま油を使っているそうである。地元の会社であることを大将に話した。


 漬け丼を食べた。いろんな部位を使っているそうで、味の違いははっきり分からなかったけど、食感の違いは分かった。美味しかったなあ。ちなみに、生は「時価」となっていた。





※続く
 

 



 
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三陸2日目、下北半島1日目(下風呂温泉)

2019-10-25 23:59:30 | 日記
 結局、田野畑駅までの運転再開はなかったのでリアス式海岸の展望は諦め、浄土ヶ浜観光にした。バスに乗るため、宮古駅へ。おそらく休んでる時間が長いであろう車両達。


 三陸鉄道の被災に対して支援の申し出の声があったため、同社が義援金の募集を始めた。僕も微力ながら支援しようと思った。どうせ本社がある宮古に行くのだから、直接渡そうと思った。振込手数料、現金書留切手代かからないし。まだ朝早いから本社閉まってるし、浄土ヶ浜観光の後に訪れようとしたけど、バスに乗る前に2階に明かりが点ったので、中に入って支援金を渡し、「頑張ってください」と応対してくれた社員に声を掛けた。


 なお、義援金の送り方については同社HPにてご確認下さい。
https://www.sanrikutetsudou.com/

 浄土ヶ浜ビジターセンタ-に到着。これから南海上を台風21号が通るので、2つの遊覧船は欠航かと思ってたけど、同センター脇にある一般遊覧船乗船券売り場では1便の出航時刻を案内していた。とりあえず先に、近くにある展望台に行った。


 観光の時間が無いので、遊覧船は青の洞窟に入るさっぱ船に乗ろうと思っていた。さすがに小型船は無理だろうと思ったけど、ダメ元で船出せるかどうか尋ねようと、さっぱ船のところで作業している人に声を掛けたら、やはり無理とのことだった。先ほどの乗船券売り場で乗船券を買った。そして、乗り場に向かった。


 行けなかった青の洞窟。


 乗船客が投げるパンを食べようと、うみねこがたくさん船についてきた。


 やはり、船は大きく揺れた。浄土ヶ浜。


 ローソク岩。


 潮吹き穴。波が高いので、波が打ち寄せる度に潮が上がるかと思ったけど、そうではなかった。条件があるらしい。


 観光ガイドでは、東日本大震災や台風19号の被害についても話があった。40分位の遊覧だった。ガイドさんの喋りも上手で、楽しかった。港に戻ったら、次の出船から欠航になっていた。
 浄土ヶ浜。

 
 バスで宮古駅に戻った。買い物でも三陸鉄道を支援しようと、同社のショップに行った。結構いろんな物を売っていた。




 山田線で盛岡駅に行きたかったけど、超ローカル線で時間が合わなかった。「106急行」というバスが1時間に1本走っていて、そちらに客を奪われるのだろう。時刻表通りなら12時過ぎ宮古駅発のバスで今晩の宿泊地である下風呂温泉まで行けるのだけど、バスは遅延しやすいし、台風19号の被災の影響があったらなおさらなので、11時過ぎ発に乗った。なお、「106」は走る国道の号番である。
 三陸の海の幸をどうしても味わおうと、浄土ヶ浜の店で買った焼きホタテを食べ、ビールを飲んだ。


 バスは結構山田線の線路の脇を走り、いくつかの停留所で乗降があった。また、川沿いを多く走り、紅葉が見事だった。


 バスは途中「やまびこ産直館」にちょっとだけ停まった。降りて入った。「ひゅうず」という郷土菓子を買った。材料を見ると、そば粉、もち粉の皮でくるみ味噌を餃子みたいな形でくるんだものであった。歯応えがあった。


 ほぼ定刻で盛岡駅到着。東北新幹線で八戸駅へ。「はやぶさ」号は全車指定席だけど、盛岡駅以北は特定特急券で普通車の空席に座れる。八戸駅からは青い森鉄道から大湊線直通の快速「しもきた」号に乗車。乗車時間まで列車を撮影した。青い森鉄道車両。

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/c8/290920c4a8ce7deebd38e2c741d1b63c.jpg

 乗る予定だった八戸線のE130系。

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/75/91e421f76706a95a6ba4d9863260ddb2.jpg

 キハ100形の快速「しもきた」号は電化複線を爆走し、面白かった。下北駅では大勢いた乗客がほとんど降りた。でも、バスの乗客は少なかった。夜6時過ぎに下風呂温泉に到着し、予約した「かどや旅館」に向かった。


 宿総合予約サイトで同旅館のチェックイン時間が8時まで可となってたので、共同浴場に行ってから夕食にしたかったけど、夕食は遅くして7時からだと言われた。宿の風呂にしたけど、それでも入浴時間がゆっくりとれなかった。お酒の飲んだ後の入浴は体に良くないので。温泉の臭いがすごくして、成分濃そうだった。


 奮発してアワビの刺身、バター焼きがついたコースにした。他にも刺身他種類が多く、美味しかった。名物だというイカは出てこなかったなあ。




 台風21号の影響が気になった。午前中いた宮古市には避難勧告が出ていた。千葉県などでは冠水等の被害があるとのことだった。これ以上各地に被害が出ないことを祈った。




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三陸 1日目

2019-10-24 23:59:19 | 日記
 夜行バスは東京駅の前の停留所である横浜YCATを約10分遅れで発車し、「新幹線に乗るのにあまり余裕無くなるかな?」と不安に思ったけど、東京駅にほぼ定刻に着いた。改札を通ってホームに上がった。乗る「やまびこ41号」はまだ入線していなかった。じきに充当車両であるE5系が入線し、同系に初乗車。停車駅が多く、大宮から各駅ではホームに大勢の乗客がいた。僕は1両だけの普通車指定席だけど、自由席は混雑しただろうな。一ノ関駅で大船渡線に乗り換えだが、時間もあるので上りのE5系を撮影した。

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/2a/54d2632dc9cc672c306a0f6951d41746.jpg

 駅弁を買うことに。「平泉うにごはん」にした。そして、大船渡線キハ100形に乗車した。

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/63/040056a1d9764a1ba2d2c95e27e89cdf.jpg

 発車したら、早速駅弁をつまみに飲んだ。


 気仙沼駅からはBRTに乗車。

※写真は乗車したBRTとは別

 出発直後に専用道のトンネルに勢いよく突っ込んでいって、スリリングだった。でも、すぐに一般道に出た。
 「奇跡の一本松」。東日本大震災で松原に津波が襲い、この木だけ奇跡的に残ったそうである。でも、塩害ですぐ枯死し、例えるならゾンビ状態で保存しているそうである。僕はそこまでするのはどうかと思う。


 結局、専用道を使ったのはわずかで、正午頃に盛駅に到着した。ネットで三陸鉄道のことを調べてたら、岩手開発鉄道という貨物専用鉄道のことを知った。採掘した石灰石をセメント工場に運んでいるそうである。昔は旅客営業もしていたそうである。運転本数が多いとのことで、ネットに時刻表情報もあり、三陸鉄道乗車までに赤崎行が撮れる。長安寺方面の盛川橋梁で撮ろうと、現地に向かった。踏切の警報器が鳴り、いざ撮ろうと構えたら、三陸鉄道の列車がやってきた。逆方向の地に行ってしまった(汗)

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/7a/c77883ed10402398687dc1734d69a4fc.jpg

意気消沈し、三陸鉄道に乗ろうと盛駅に戻った。ホームに出ると、いないと思っていた岩手開発鉄道の列車が長安寺方面に発車していくところだった(泣) どうも時刻表通りには動いてないみたいである。すると、じきに短いホームに赤旗を持った係員が向かっていった。なんとか発車前に赤崎行の列車がやってきてくれないかと願った。踏切の警報器が鳴り、列車がやってきた。

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/5a/1103de7cd10c876e9d7736b8e57c9ce2.jpg

 列車はホームに停車することなく、進んでいった。

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/cf/7de3bec65ae237e3fa779c7f42d621e7.jpg

 撮れて良かった~♪ 結構しっかりしたディーゼル機関車で、黒黄色の斜めストライプが威圧感ある。
 今度は三陸鉄道の撮影地に。乗車したのは計2両の列車だった。

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/1a/ba8d6bba0c0275e4165179a2c91e531c.jpg

途中の恋し浜駅にしばし停車。海が見えた。待合室には文字が書かれたホタテの殻が吊されていた。

 
 この列車には団体客が乗っており、楽しんでいた。その光景を見て、そういった乗客の笑顔が再び繋がっていく希望の光が見えた。
 次の吉浜駅で下車。三陸鉄道は主な駅同士の片道同方向なら途中下車できる切符がある。


 ネットで見つけた撮影地に行ったら、隅に物置の建物があり、小さな畑の区画と柿の木が2本ある、草が広がっているところで、撮るにはグレーな場所だった。滞在中、町内放送でアワビの入札結果の知らせが放送され、かなり高額な金額だった。調べてみると、吉浜地区は干しアワビの産地で、中国にも輸出されているそうである。

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/1b/c1fcbc4ecc7c0023976c3ead7217a588.jpg

 来る途中に三陸鉄道の上を跨いでいる橋があったので、そこで動画を撮ってから吉浜駅に戻った。吉浜駅は可愛らしい駅舎である。


 志村けんが非常勤駅長らしいけど、また本人が来ることあるのかなあ?


 東日本大震災での吉浜地区の被害について紹介されていた。被害は大きくはなかったらしい。


 台風19号の災害状況も報告されていた。


 本が置かれていたので、列車が来るまで読んだ。


 釜石駅に向かい、今宵の宿泊地である宮古まで代行バスに乗った。バスの時間まで時間があったので、土産を買いに行った。バスは他社のもので、三陸鉄道の社員が車掌で乗務していた。乗客はほとんど高校生で、途中で次々と降り、宮古まで行ったのは僕と1組の夫婦だけであった。


 ホテルに荷物を置いた後、三陸の海の幸を食べようと、ある寿司屋に行った。しかし、ネットでは定休日じゃなく、閉店時間前なのに、明かりは点いているけどシャッターが閉まっていた。駅前の海鮮丼の店に行ったら、ここもネットではオーダーストップ時間前なのに「終わったばかりです」と入店を断られた。海鮮の外食は諦め、コンビニでつまみを買い、ホテルで飲んだ。
 

 








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