僕の旅と彼方の友と

旅が好きアマチュア無線が好き、そんな僕の呑気な日々を綴ります。

「大江戸旅物語」 春のうららの編

2006年04月12日 19時44分48秒 | 旅の思い出
 船に乗って浅草から日の出桟橋まで、隅田川及び東京湾クルーズを楽しみました。12橋や川岸の桜を眺めながらと言いたかったのですが、会社の人達と話に夢中になって、じっくり景色を堪能出来ませんでした。惜しい事をしました。

 船内は平日にも関らずそこそこの混雑ぶりでした。左の画像は2階席でお客さんはおとなしい人が多かったようです。

 こちらは1階席で、飲酒も喫煙も出来ます。お客さんは賑やかな人が多かったようです。


 浅草から40分程で日の出桟橋に着きました。  
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「大江戸旅物語」 唐獅子牡丹編2

2006年04月11日 19時25分07秒 | 旅の思い出

 推古天皇36(628)年3月18日未明のことでした。今の隅田川に投網漁をしていた漁師の檜前浜成(ひのくまのはまなり)、竹成(たけなり)兄弟の網に一体の仏像がかかりました。それを豪族の土師真中知(はじのまなかち)は、尊い観音像であることを知り、深く帰依して自宅を寺とし、その観音像を奉安し、礼拝供養に勤めました。これが浅草寺のはじまりだそうです。
 大化元(645)年、勝海上人がこの地に留まり観音堂を建立、また夢告によりご本尊は秘仏と定められ武蔵国の観音信仰の中心地となりました。
 現在の本堂再建工事にあたって出土した数々の遺物から、金龍山浅草寺は少なくとも平安期には大寺の伽藍をここ武蔵野の一漁村に構えていたことが判りました。
 実際に観音様を見ることは出来ません。一寸八分の金無垢の観音様らしいのですが、秘仏ということで公開はされていないようです。像は金無垢では無いという話もあります。が、そもそも実存するかどうかも分りません。誰も見たことがないのですから。そもそも仏教では偶像の崇拝を否定していたこともあります。あると言えば有る、ないと言えば無い、別にそれで良いのかもしれません。

 お香が焚かれています、たぶん毎日。仏様の食べ物だから毎日焚くのです、とお坊さんが言っていました。煙を体の悪い部分に擦ると良くなる、という伝えがあります。僕は、否定も肯定もしません。

 五重塔は浅草寺本堂・雷門・宝蔵門と同じ天慶5年(942)武蔵守、平公雅(たいらのきんまさ)により建てられたと伝えられていますが、長久2年(1041)火災によって倒壊し、寛永12年(1635)再建、同19年炎上したという記録が残っているそうな。その後慶安元年(1648)三代将軍徳川家光公により再建され、寛永寺・増上寺・天王寺の塔とともに「江戸四塔」として親しまれ後の明治44年には国宝指定を受けていましたが、なんと昭和20年3月14日戦災により焼失。江戸の大地震・関東大震災にも強かった五重塔は人災には弱かったようです。昭和48年11月1日に鉄骨鉄筋コンクリート造りで回廊式"塔院"の上に五重塔を建てる「塔院造り」の方法で再建され、回廊式の塔院には霊牌殿があり百体の聖観音像と信徒の方々が納めた1万2千基の永代供養の位牌が安置されています。
五重塔の最上階にはスリランカのイスルムニヤ王立寺院から奉載した「聖仏舎利」(仏陀の遺骨)を納め、途中階には信徒奉納の「五輪宝塔」が奉安されています。五重塔は昭和20年戦災による焼失までは観音本堂に向かって右側に位置していましたが、昭和五重塔は左側に建造され、地上53.32m(塔のみ48.3m)を誇る高さは京都東寺に次いで高い五重塔です。
                 浅草槐の会HPより

 最近ではどこの観光地でも見かけるようになりました。一度乗ってみて話の種にするのも良いかもしれません。
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「大江戸旅物語」 唐獅子牡丹編

2006年04月10日 05時32分58秒 | 旅の思い出

 浅草といえばやはり「雷門」です。何度来てもこの堤燈は大きく感じます。942年に天下泰平と五穀豊穣の祈りをこめて造られたそうです。左右に風神と雷神が安置されているところから「風雷神門」と呼ばれていましたが、それがいつのまにか「雷門」といわれるようになりました。現在の雷門は昭和35年に再建されたものです。
 仲見世は平日だというのに込み合っています。ここは、300年近い歴史をもつ日本で最も古い商店街の一つです。徳川家康が江戸幕府を開いてから、江戸の人口が増え、浅草寺への参拝客も一層賑わいましたが、それにつれ、浅草寺境内の掃除の賦役を課せられていた近くの人々に対し、境内や参道上に出店営業の特権が与えられました。これが仲見世の始まりで、元禄、享保(1688~1735)の頃といわれます。
江戸時代には、伝法院から仁王門寄りの店を役店(やくだな)と呼び、20件の水茶屋が並び、雷門寄りは平店(ひらみせ)と呼び、玩具、菓子、みやげ品などを売っており、次第に店も増え日本でも一番形の整った門前町へ発展していきました。       浅草仲見世商店街振興組合さんの広報より引用
 画像では仲見世の裏通りは閑散としていますが、こちらも老舗がありそこそこ人通りがあります。表通りでお祭り気分を味わった後、静かな裏通りのお店で食事するのも良いかもしれません。

 欧州やアジアなど色々な地域の人々が観光にいらしていました。「EDOKKO(江戸っ子)」が国際的言葉になる日も近いかもしれません。

 

 
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「大江戸旅物語」 海行かば編2 

2006年04月09日 01時32分55秒 | 旅の思い出

 靖国神社の境内に「遊就館」という博物館があります。ここには、日本の戦争中の事物の展示がされています。画像はあまりに有名な海軍機「零戦」です。
 この「零戦」は昭和49(1974)年南洋、ラバウルの旧日本海軍航空基地で見つかった主翼胴体と昭和59(1984)年ミクロネシア、ヤップ島で発見された5機の零式艦上戦闘機を日本に持ち帰り、復元が昭和55(1980)年頃から始まりました。
 この機体は昭和18年11月25日ごろ三菱重工、名古屋大江工場で製作されましたが40年間も南洋の熱帯に放置されていた為に機体の殆どが朽ち果て、復元するのは不可能と思われました。しかしそれらの機体をすべて完全に分解して使用できる部品を調べたところ内部の部品はかなり使える事が分りました。
 主要機体はラバウルから里帰りした四二四○-一(4240-1)の主翼胴体の使用できる部品と、その他の使用できる部品を集め新しく作りましたが 、特に主翼の桁の製作は一番重要なものでした。
 機体を解体したところ、四二四○号機と四二四一号機の部品が使用されており、当時の工場がいかに混乱していて生産を急いでいたか想像できます。
 と・・・説明書きにありました。ちなみに飛行可能かどうかまでは記載されていませんでした。最後までお読み頂き、有難う御座いました。

 何故か汽車(C-56)の展示もありました。

 高射砲の展示もありました。説明書きを読まなかったので由来は分かりません。人物と比較していただくと、迫力がお分かり頂けると思います。夜間に航空機を撃ち落すにはサーチライト2基による三角測量で 高度を測り迎撃したそうな。
 モデルのお二人はTさんとMさんです。

 こちらは「回天」です。かなりの大きさでした。全長は14mで直径1.0m全重量は8.30トンあるそうです。これに、1.55トンの炸薬を積んで使用したそうです。中央にある垂直の筒は潜望鏡です。手前に写っているのはエンジンで燃料は酸素と灯油だそうです。シュノーケルは無くても大丈夫だったのでしょうか。これを潜水艦を母艦にして敵地に赴いたそうです。
 初めて使用されたのは昭和19年11月8日、ウルシー環礁、パラオのコッスル水道に在泊の艦船攻撃のためでした。

           
 「彗星」と「桜花」です。どちらも海軍機です。「彗星」は日本の航空機としては珍しい液冷エンジン(愛知「アツタ」32型)を搭載するも、整備の難しさや生産が追いつかず、稼働率が低すぎて戦力にならなかったそうな。画像をクリックするとエンジンを見ることができます。
 歴史上で実用された有人のロケット戦闘機はこの「桜花」とドイツのメッサーシュミット「Me-163」だったと思います。もっとも「桜花」は艦船攻撃で「Me-163」は爆撃機への迎撃と使用目的は異なりましたが・・・。いずれにせよ、音速を超える速さで攻撃されるということは、被害を受けた後に接近してくる音が聞こえてくる訳で、相手国の兵隊さんはさぞ恐怖したに違いありません。陸海軍の共同開発の「秋水」は実用化の前に終戦となりました。


   海ゆかばみずづくかばね 山ゆかば草むすかばね
            大君の辺にこそ死なめ かへりみはせじ
                            「万葉集」の内 大伴 家持 
 
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「大江戸旅物語」 海行かば編 

2006年04月08日 16時58分18秒 | 旅の思い出
 平成18年4月7日とある会社の旅行がありました。ここは靖国神社の神門前です。今日は平日と言う事もあって参拝している人も疎らです。
 拝殿前です。勿論「有難う御座います。」のお参りをしました。僕はどこかの国の首相ではないので、誰からも文句は言われません。

 境内ではまだ桜が咲いていました。靖国神社と桜の縁は古いらしく、明治3年に木戸孝允によって神苑内に染井吉野が植えられたのが始まりだそうです。現在境内には染井吉野をはじめ、山桜など800本を数えるそうです。

 東京における染井吉野の開花標本(基準)木が境内に3本あるそうです。その内の一本に数輪の花が咲くと開花が宣言されます。
 桜は染井吉野山桜の他にも、寒桜富士桜緋寒桜枝垂桜ウコン桜なども有るそうです。

 境内の白鳩です。個体数が大分減っているそうです。色が目立つので襲われ易いのが原因とか・・・。
  頑張れ、戦え、白鳩君!
 
 
 
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今日は会社の旅行です。

2006年04月07日 06時46分58秒 | 僕の日記
 今日は会社の旅行です。靖国神社や浅草寺、隅田川12橋めぐり等の予定です。旅費は残額会社持ちです。旅行積み立て等はやりません。

 毎年一泊か二泊の社内旅行ですが今年は珍しく日帰りです。 

 観光バスや船に乗るのは久しぶりです。まあ、のんびりゆっくり羽を伸ばします。
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DVDへの画像コピーについて

2006年04月06日 19時50分16秒 | 僕の日記
 HDDの中に画像ファイルがかなり溜まってきました。20GB位は有るかもしれません。いいかげんに整理しないと訳が分らなくなってしまいます。全て静止画なのでCDでも良いのですが、まあ量がありますのでDVDへコピーする事にしました。ディスクは登山や旅行等カテゴリー毎に分けますが、その前に一枚のディスクにどの位のデーターが入るか試してみる事にしました。ディスクはTDKのDVD+RW(以下DVD)でライティングソフトはDrag'n Drop CD+DVD4(以下DD)です。
 DVDは公称4.7GBなのですが、プロパティで空き容量を見ながらコピーしていくうちおかしな事に気が付きました。使用済み領域が3.8GBあたりから空き領域が0バイトになっているのです。でも未だコピーすべくPCは動きます。そして、さらにコピーし続けると最終的に開き領域0バイトのまま8.936GBまでコピー可能でした。概ね倍のデーター量です。
 何故だか良く分かりませんが、何だか少し徳をした気分です。
 
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皇鈴山と登谷山 その7

2006年04月05日 19時53分24秒 | 岳人倶楽部

 登谷山に牧場があります。ちょっと寄ってみる事にしました。


これは馬です。えっ!見れば分りますか。失礼しました。


 これは山羊です。えっ!これも見れば分る。また失礼しました。


 これは牛です。はい、見れば分りますよね。またまた失礼しました。


 これも多分、山羊です。  


 これは鶏です。ご存知なのは承知致しております。あえて明示させて頂きました。 


 これは豚です。しかしこの牧場は何でもありなんですねぇ。それが言いたかったんです。

 最後に少し小さめの画像で表示させましたが、これは何でしょうか。生意気にソフトクリームなんぞを食べています。人語を解しているようです。「神津牧場の方が美味しかった。」などとのたまわっています。「これで一つ350円かぁ。」なんてケチくさいことも言っています。一応、知的生命体なのかも知れませんが、否!あれは痴的生命体だと言う人もいます。


皇鈴山と登谷山
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携帯電話を換えたいです。

2006年04月04日 19時53分36秒 | 僕の日記
 現在使用している携帯電話SO505iのカメラ部の調子が良くありません。シャッターは切れるのですが、画像が出なくなりました。CCDの寿命なのでしょうか、良く分かりません。とにかくモブログで画像のアップロードが出来ないと言う事になります。もう5年位でしょうか使いました。
 新しい携帯電話を買おうと近くの電気量販店に行ったのですが。気に入った機種の在庫がありません。幾つか候補を挙げておいたのですが、どれも有りませんでした。取り寄せには1ヶ月位かかるとか・・・。う~ん、夏には新しいハイスペックのFoma出ると聞いていますし、もう少し待ってみることにしました。
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皇鈴山と登谷山 その6

2006年04月03日 19時42分49秒 | 岳人倶楽部
 これが壊れた乾電池です。取り替えたばかりなのですが液漏れを起こしました。初期電圧は普通1本あたり1.6V以上あるので8本直列で13V近くの電圧となる筈なのに10Vに満たない状態でした。「変だな」と思いながらも使っていたら、異音が発生しました。たぶん電池がかるく破裂したのでしょう。電池の入れ方を間違えたのでしょうか、原因がはっきりしないのが不安です。

 電池ケースを外して本体内側もふき取ります。コード類に付着した液もふき取ります。ベトベトして少し気色悪いです。

 なんとかふき取れたようです。少しでも残すとそこから錆びが発生して故障の原因になります。FT-817の構造上、漏れた液が基盤にまで達しないように出来ているようでした。助かりました。

 そんななか、S氏はのんびりと景色を堪能していました。春の陽気のせいか霞がかかっているのが少しだけ残念です。冬場に来たほうが遠くまで見渡せられるそうですが、寒いので来たくありません、今の時期の景色で僕は十分です。

 さて、もう一組持ってきた予備の電池に入れ替えて無線再開です。
JA1HEB JH1OLF JJ1PSM/1 JM1ECB の各局とお繋ぎ頂きました。有難う御座いました。         de 7M4NFW
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皇鈴山と登谷山 その5

2006年04月02日 00時35分19秒 | 岳人倶楽部
 登谷山は皇鈴山の隣にある山です。山頂から山頂まで15分位でしょうか、山ですから多少のアップダウンはありますが、難なく行く事ができます。

 
ハイキングコースの案内板で今後のコースの確認をします。この辺りはこのような案内板や標識がいたるところに有り助かります。

 緩やかな登りです。落ち葉が沢山あるのが気になるところですが、そこまで整備してくれとは僕には言えません。

 手前の電波塔が建っているところが登谷山のはずです。画像で見ると随分遠くに見えますが、そうでもありません。

 登谷山山頂からの風景です。冬の天気のよい日には、東京湾まで見えると地元のアマチュア無線家が教えて下さいました。遠くの空が澱んでいるのは、たぶんスモッグです。嫌ですねぇ。

 さてこの景色を眺めながら無線を始めようと心弾ませながら無線機を取り出したところ、なんと濡れています。飲料水のボトルのキャップはしっかり閉めてありました。どうやら、乾電池が液漏れを起こしたようです。「新しく取り替えたばかりなのに」と訝りながらウェスでふき取っています。しっかりと完全にふき取っておかないと後が大変です。
                        つづく       
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巷で噂の「クークル」

2006年04月01日 16時06分32秒 | 僕の日記
 一字違いで大違い、ハケに毛が有りハゲに毛が無し。こちらは、そうでもなさそうです。

 こちらはご存知、世界最強の検索エンジン「グーグル」です。僕もよく使っています。例えば「nfw」の文字列で検索すると1秒以内に56万件以上のヒットがあります。


 そしてこちらが「クークル」。やはり検索速度は速いです。とある日本人が作りました。

 ロゴもトップページも良く似ています。どちらが使いやすいかと言うと何とも言えません。好みによりそうです。  
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