隆也のお部屋
原本というのか戯曲というのか、全く目を通すことなく
粗筋のみで観劇に臨んだのだけれど、それでも十分についていけた。
蜷川氏らしいユニークな方法が凝らされていて解りやすい。
しかし登場人物についての〝人となり〟までは把握はできていない。
ヘンリーも然り。
熟読している人、していない人、演じる人、演出する人、それぞれの
イメージの持ち方が大きく違うような気がする 「ヘンリー六世」だ。
活字に動きと音(声)をつけた時点で〝違う!〟と感じる人もいるだろう。
私は〝していない人〟であるから隆也さんの演じるヘンリーから
人となりを感じ取るしかない。
イメージの持ち方が多様である人物像を演じるということは難しく
隆也さんにとっても、今までにない役柄に挑戦したんだな~と思う。
その昔の日本と違わず、1400年代のイングランドでも権力、王座を
めぐっての争いは絶えず、まるで節操のない裏切り、寝返りが繰り広げられる。
親や子の死に嘆き悲しむという普遍的なものも描かれるものの
その涙も瞬時に復讐へと変わっていくエンドレスな復讐の歴史劇。
幸せな笑みは殆どなく、苦笑、嘲笑に満ちる人々が舞台上でうごめく。
幼くして王位についたヘンリー六世は信仰をおもんじる平和主義者だ。
それはしごく当然の人間性と思うのだが、この時代においては
稀有な存在となってしまった。
日本でいえば上杉謙信に通じるところも?とも思わないではないが
彼ほど統率力もカリスマ性も持たない、王としては頼りなく、認められることなく
もっとひどい言い方をすれば、この時代の王としては役立たず?なんてね~
上川ヘンリーも終始、困惑と憂いの表情で、妻を迎えた時の喜びも
ひたすら控えめなのだ。
そのような一般的と思われるイメージのヘンリーの中に「強さ」を
感じ、隆也さんは自身が演じるヘンリーにそれを吹き込むと語っていた。
隆也さんが感じたという「強さ」とは、過酷な状況の中でも信念を貫き通したという
強さなのだろうか。果たしてそれが弱さの裏返しなのか、逃げなのか頑固なのか
捉え方も人それぞれなんだろう。
演出家と演者との間での役作りはどのように進めていくのか
わからないけれど、隆也さんが意識された「ヘンリーの内なる強さ」を
意識して観ると、ただ歴史の流れのみの展開だけでない観方ができた。
この舞台の上川ヘンリーをみた限りは・・・・
ヘンリーの強い信念には何もこびりつかない純粋なものだと思いたい。
王位にも執着はなく、多分死に慄くこともなかったのかもしれないし。
もしそうでなかったら周囲の人々と同じく、野望や打算や画策にまみれ
信念など貫くことなどできなかったのでは?と・・・・
でもヘンリーはそれを言葉にして伝えることもしない。
妻子の知らぬところで、ヨークに王位継承を認めてしまうが
それにも彼自身の確たる信念があるのに伝えることをせずに
周囲に怒りを、そして失望させてしまうのだ。
ここでふと我にかえり、ヘンリーのような人がダンナだったら?と・・・
やっぱりマーガレットのように表面的な〝ふがいなさ〟に激怒するかも(笑)
その妻のマーガレットがヘンリーの心に寄りそうという場面がなかったのは
なんだか悲しい。 まぁ嫁いできた時点で心は他の男に!だから仕方ないか。
マーガレットの大竹さんの評判は知っていたし、舞台の彼女を観るのも初めての私。
ただプライベートでの彼女の語り口が苦手なので舞台ではどうかな?と。
さすがに映像、舞台ときっちりと演じわけていて、体力気力共にの熱演だ。
ただ王妃としての〝凛〟としたものが今ひとつしっくりと感じられず
ジャンヌダルクは彼女のコケティッシュな素の部分が垣間見えすぎてしまう。
私にとってはとりわけ〝衝撃的〟ではなく・・・・・ハイ・・・・
今回はベテラン陣の力量にうならされ、頑張っていた若手陣の中で
高岡蒼甫さんは気負いなく、それでいて存在感のあるリチャードを演じてた。
そんなこんなで幾度となく繰り返される戦闘シーンなどをみながら自問自答。
皆、上川ヘンリーの「強さ」を感じとってくれているだろうか?と!!
その・3へ、またまた続く・・・・・
原本というのか戯曲というのか、全く目を通すことなく
粗筋のみで観劇に臨んだのだけれど、それでも十分についていけた。
蜷川氏らしいユニークな方法が凝らされていて解りやすい。
しかし登場人物についての〝人となり〟までは把握はできていない。
ヘンリーも然り。
熟読している人、していない人、演じる人、演出する人、それぞれの
イメージの持ち方が大きく違うような気がする 「ヘンリー六世」だ。
活字に動きと音(声)をつけた時点で〝違う!〟と感じる人もいるだろう。
私は〝していない人〟であるから隆也さんの演じるヘンリーから
人となりを感じ取るしかない。
イメージの持ち方が多様である人物像を演じるということは難しく
隆也さんにとっても、今までにない役柄に挑戦したんだな~と思う。
その昔の日本と違わず、1400年代のイングランドでも権力、王座を
めぐっての争いは絶えず、まるで節操のない裏切り、寝返りが繰り広げられる。
親や子の死に嘆き悲しむという普遍的なものも描かれるものの
その涙も瞬時に復讐へと変わっていくエンドレスな復讐の歴史劇。
幸せな笑みは殆どなく、苦笑、嘲笑に満ちる人々が舞台上でうごめく。
幼くして王位についたヘンリー六世は信仰をおもんじる平和主義者だ。
それはしごく当然の人間性と思うのだが、この時代においては
稀有な存在となってしまった。
日本でいえば上杉謙信に通じるところも?とも思わないではないが
彼ほど統率力もカリスマ性も持たない、王としては頼りなく、認められることなく
もっとひどい言い方をすれば、この時代の王としては役立たず?なんてね~
上川ヘンリーも終始、困惑と憂いの表情で、妻を迎えた時の喜びも
ひたすら控えめなのだ。
そのような一般的と思われるイメージのヘンリーの中に「強さ」を
感じ、隆也さんは自身が演じるヘンリーにそれを吹き込むと語っていた。
隆也さんが感じたという「強さ」とは、過酷な状況の中でも信念を貫き通したという
強さなのだろうか。果たしてそれが弱さの裏返しなのか、逃げなのか頑固なのか
捉え方も人それぞれなんだろう。
演出家と演者との間での役作りはどのように進めていくのか
わからないけれど、隆也さんが意識された「ヘンリーの内なる強さ」を
意識して観ると、ただ歴史の流れのみの展開だけでない観方ができた。
この舞台の上川ヘンリーをみた限りは・・・・
ヘンリーの強い信念には何もこびりつかない純粋なものだと思いたい。
王位にも執着はなく、多分死に慄くこともなかったのかもしれないし。
もしそうでなかったら周囲の人々と同じく、野望や打算や画策にまみれ
信念など貫くことなどできなかったのでは?と・・・・
でもヘンリーはそれを言葉にして伝えることもしない。
妻子の知らぬところで、ヨークに王位継承を認めてしまうが
それにも彼自身の確たる信念があるのに伝えることをせずに
周囲に怒りを、そして失望させてしまうのだ。
ここでふと我にかえり、ヘンリーのような人がダンナだったら?と・・・
やっぱりマーガレットのように表面的な〝ふがいなさ〟に激怒するかも(笑)
その妻のマーガレットがヘンリーの心に寄りそうという場面がなかったのは
なんだか悲しい。 まぁ嫁いできた時点で心は他の男に!だから仕方ないか。
マーガレットの大竹さんの評判は知っていたし、舞台の彼女を観るのも初めての私。
ただプライベートでの彼女の語り口が苦手なので舞台ではどうかな?と。
さすがに映像、舞台ときっちりと演じわけていて、体力気力共にの熱演だ。
ただ王妃としての〝凛〟としたものが今ひとつしっくりと感じられず
ジャンヌダルクは彼女のコケティッシュな素の部分が垣間見えすぎてしまう。
私にとってはとりわけ〝衝撃的〟ではなく・・・・・ハイ・・・・
今回はベテラン陣の力量にうならされ、頑張っていた若手陣の中で
高岡蒼甫さんは気負いなく、それでいて存在感のあるリチャードを演じてた。
そんなこんなで幾度となく繰り返される戦闘シーンなどをみながら自問自答。
皆、上川ヘンリーの「強さ」を感じとってくれているだろうか?と!!
その・3へ、またまた続く・・・・・
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