【大洗磯前神社】
茨城県東茨城郡大洗町磯浜町6890
⛩️御祭神
大己貴命(大国主命)
少彦名命
縁結びの神様❣️と医薬の神様💊
文字どおり、
大洗海岸の磯の前にある神社。
水戸藩主・徳川光圀公(水戸黄門)
の命により今の拝殿・本殿が建造されたとの事。
本殿の、茅葺屋根の曲線美が見事😍
茅葺のこうした意匠は珍しい。
創建の由緒は、
865年、
大己貴命・少彦名命が降臨し、
「東の海で国造りをしていたが、
また民を救う為に帰ってきた」と言い
建立されたと言う。
⛩️摂社
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大洗磯前神社が創建された
865年は、
藤原良房により天皇の実権が握られ、桓武天皇以来、69年ぶりとなる国家祭祀執り行なわれた年であり、
この創建エピソードは、神社の社伝などではなく「文徳天皇実録」に残されている為、決して無関係では無いと思われ、
当時の中央と東国の関係を考える上では、大変興味深い。
藤原良房を恐れた政敵が、皇太子を東国へ逃がそうとしていた事から、
藤原良房は政変を起こし、皇太子を廃して自分の甥を皇太子にしてしまい、文徳天皇に擁立して実権を握った。
藤原良房は、
日本初の人臣太政大臣・摂政となり藤原氏の摂関時代を開いた大人物であり、
他氏や他藤原氏が排斥され、天皇の実権が藤原良房のものとなった真っ只中に、
大洗磯前神社が創建された事が日本「文徳天皇実録」に記されていると言う事は、常陸の国と天皇家(藤原氏)の関係からも深堀りしてみたくなる。
(🙄古来、東国と言うと鹿島神宮だったが藤原氏系の新たな拠点として刷新されたとか?)
当時は、国造(地方官)が神社の祭祀を掌握していた様な時代だ。
降臨されたと言う、大己貴命様と少彦名命様は、この頃より千年近く前の人物であり、実際には両神に投影される人物がいたのかもしれない🤔
常陸の国と言うと、
鹿島神宮がタケミカヅチを祭っているが、
北へいくと、50㌔間隔程度で
⛩️大洗磯前神社
⛩️御岩神社
⛩️国魂神社
⛩️いわき大國魂神社
と、大己貴命(大国主命)を祭っている
パワースポットが続いている。
まずは、いつかこの
大己貴命樣の四社参りをしてみたい。🙏⛩️
✨✨✨✨✨✨✨✨
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