皆神山ピラミッドの投稿で紹介して以来、10年ぶりになる。
長野県の皆神神社と、その周辺の投稿。
雰囲気もなんとなく変わった。皆神神社を囲い込む様にあったゴルフ場はなくなった様だ。
⛩️侍従神社
⛩️少彦名命
預言の的中が未だ有名な近代の宗教家・出口王仁三郎(大本教)の印象が強く残るあやしい感じはなく、小綺麗な石碑がさりげなく整備されていた。
開放されて広々とした、空気感が清々しい。
以前はゴルフ場だったので、裏手から観ることは出来なかったが、
木花咲耶姫が祭られている奥宮は、小さな古墳の様にもみえる。
ご祭神 木花咲耶姫を祭る⛩️浅間神社
鳥居の神額には「三国第一」と書いてある。
木花咲耶姫は山の神「大山祇神」の娘で富士山の神様。
山梨県の富士新倉浅間神社からの勧請だろうか。
「三国第一」をかかげる
富士新倉浅間神社
【小丸山古墳】
頂上の皆神神社から少し下ったところにある。
古墳時代中期の古墳で、このあたりの王の古墳と目されている。
古墳の上には、
大山祇神がひっそりと祭られていた。
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飛鳥時代、西暦645年の大化の改新で、蘇我氏の蘇我入鹿・蘇我蝦夷が倒された後、蘇我派であった古人王(古人大兄皇子)は、身の危険を感じ、
半島への亡命を試み、長野方面から日本海側へ抜ける拠点があった善光寺を目指して逃げた。しかし道半ばで落命し、皆神山付近のどこかへ埋葬されたのではないかという説がある。
一般的には小丸山古墳が『古人王墓』とする説が通説だが、
小丸山古墳は古墳時代中期(約千五百年前)の古墳とされているので、
飛鳥時代(1350年前)の古人王の時代とは違う可能性もあり、古人を祭っている⛩️皆神神社の方が有力なのかもしれない。
皆神神社の他に、古人大兄皇子を祭る神社は寡聞にして知らない。
蘇我氏の甥にあたる古人大兄皇子は、王には即位してなかったとされるが、後に中大兄皇子(天智天皇)が古人大兄皇子の娘・倭姫を皇后にしていることなどから実際は王だったのではないかと云われている。
娘の倭姫に後を任せて出家までして逃げ様としていた事からも、倭姫は姫ではなく王女(皇太女)だった様子もうかがえる。
なんとなく古墳の様にも見えなくはない。
小丸山古墳の大山祇神と、
娘の木花咲耶姫を祭る皆神神社
父娘の祭祀は、古人王と娘の倭姫の存在を想起させられる。
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最後に…。
他に古人王が坐される処は無いのだろうかと皆神山の中を探し、何となく辿り着いた場所。と、『不思議な松』
なんとなく、、というよりも普通は辿り着かないと思われる場所。
地域の方が大切にしている聖地というか墓所の様なところだ。
不思議な松、
何が不思議かと言うと、
とある石塔を覆う様に斜めに伸びている。
周りの松の木と比べ、斜めに生えているが、
あり得ない角度で横向きに立っている。
一見して倒木の様にも見えるが、ちゃんと立っている。しかも、
先端は別段他の木に支えられていると言う程でも無い様だ。
何故、倒れないのだろう?
根に他の木の根が絡み支えになっているのだろか?
それにしても曲り方がおかしい🤔
通常、神木はあり得ない様な伸び方をする事は多い。
木の下には然るべき存在が眠られているのかもしれない。
しかし、大抵は支柱に支えられていて
支えもなく、自重で折れることもなく、
成長を続けている木は見た事がない。😳
不思議な松だった。
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