【東京慰霊堂】
東京都墨田区横網2丁目3−25
関東大震災、東京大空襲の戦災で亡くなられた方、163000柱を供養している。
渋沢栄一も顧問をされていた。
お盆も過ぎてしまったがお線香を上げてきた。
仏教各宗派による供養だが、神道やキリスト教、イスラム教の造形も伺える。
【朝鮮人慰霊碑】
東京にいた朝鮮の人々1万人も亡くなられた。
空襲の被害者は300万人、死者は10万人を超え、7万人は 隅田川に身を投げ亡くなられたとも言う。
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見出しは、墨田川の花火大会のもの。
私は20年程前浅草の国際通りに住んでいた。
思い出深いのがこの隅田川の花火大会😔
毎年、観に行こうと出掛けるが、観れる場所が無い💦公園にビニールシートを敷いてる人もいるが、木々に覆われ公園からは全く見えない😅
音だけ聞こえ時折、交差点の真ん中や通行帯から見えるが、立ち止まることは許されない。結局、場所探しにウロウロしてるうちに、終わってしまう。
最終的に諦めて、部屋の窓を開けたらナント見えた😳
結局!隅田川の花火大会は、会場から見ることはできず、高層階と屋形船から見る花火大会だということがわかった😂
そして、
橋の付近を人々が何処に行けばよいのか分からず右往左往と歩く光景をみていると、
東京大空襲🔥を偲ばずにはいられない。
浅草側の台東区と、慰霊堂のある墨田区に挟まれ『墨田川』が流れている。
1945年、38万3000発1665 t の 焼夷弾が投下された。
両側から爆撃され、逃げ場を失った人々は橋から対岸へ逃げ様とするが、対岸からも人々が逃げてくる。
火災の煙は成層圏1万5000m まで上がり
風速100m の強風が吹き、火の粉の竜巻に覆われ、墨田川に身を投じ亡くなられた方7万余。
「今も隅田川には何万の亡き骸が眠る」と言う。
東南アジアに眠る戦友の為、元大日本帝国軍人の老人らがかつては慰霊ツアーにいかれたりしていたが、たまたまその様な老翁からなんとなく洩れ聞いた話しだ。(今は御存命ではないと思うが)
墨田川の花火大会は、徳川吉宗の時代に飢饉で亡くなった方を供養するために始まったとされる話しがあるが、Wikipedia はこれを全力否定している。
確かに文章としては正しく、史実としては そうなのかもしれない。
しかし、後世の人々がご先祖様の時代に亡くなった人々を悼む気持ちで、そのような精神性による信仰を後で加えたとしても、
決して間違った事ではないと思う。
例え起源が慰霊の花火ではなくとも、
供養の打ち上げ花火として、慰霊する者がいてもよいだろう。
多くの人が見れなくなってしまった隅田川花火大会、立ち入り禁止エリアはその場所なのかもしれない。
コメントありがとうございます✨
そうですね。思いを馳せることって大切ですね。
私は時々路傍の小さなお地蔵様に花が供えられているのを見ると、手を合わせ置かれた方への思いを馳せたりしてます。
山奥の小さな祠にもお酒が置かれていたり、
79年経った今でも、ピカで生き残った木に千羽鶴がかけられていたり、
ガードレールや街路樹のお花、
気がつけば、
あちこちに、人々の思いや手向け溢れてますね。その手向けに、また思いを馳せたり、、
日本人の精神性っていいですね
やはり感謝です✨🙏
ありがとうございます。
この世の万物、ご縁のある全てにおいて、思い、想いを馳せること、そして、小さな事でも良いから、手向ける行為は大切な事と思います。
まずは、身近な馳せる行為の実践こそ大切な事と思いました。
やはり、徹底感謝でしょうか?(^.^)
温かなお話しをありがとうございますo(^o^)o
感謝です。
ひいこ(ᵔᴥᵔ)