最近、フォトショットのスポット投稿が続いていましたが、久しぶりの古代ミステリーの投稿です。
「朱」の謎を解く、そこそこ長文ですが、興味がある方はご覧ください。
【朱の起源】
人類が最初に出会った顔料は朱(赤)だ。原始人の残した洞窟の壁画などに使用されている。
赤は冴えが強く発色が良い。隠ぺい力にも優れ、色の中ではとてもパワフルな色で、文字どおり「朱に交われば赤くなる」というほどの最強色だ。
赤い顔料には、主に3種類あり最もメジャーなものが「ベンガラ」=赤鉄鉱
最も貴重なものが、「朱」=水銀朱を含む辰砂という鉱石で、
鉛を焼いて赤くした赤鉛を「丹」という。
日本では、赤い顔料を総称して「丹生」と言い神社の朱塗などに使われていた。
「丹生都姫神社」
古代より丹生を産出するエリアには、丹生都姫、にほつ姫などが祭られている。
日本人に赤は相性が良いらしく、紅白や日本国旗、巫女さんの緋袴など白と対比させて好んで用いられてきた。
因みに、ちょっとややこしいが本来「朱」とは赤色の事をいい、朱(赤)の補修材に安価な代用品として使われていたのが現代の私達が言う朱色の顔料だった。
朱は無機水銀であり有毒な有機水銀と違い、「丹」と言った様な薬にも使われていた原料で、古代のみならず最近まで消毒や殺菌にも使われていた。但し如何なる成分でも過剰に摂取すれば腎機能に障害を起こす様に、朱もこの限りではなく同様に害となる。金メッキのメッキ材料にも使われる為、金の様に或いはそれ以上に貴重な材料だった。大仏の金メッキでは、気化させるにあたり大量吸引による被害があったらしい。
魏志倭人伝に登場するヒミコも、魏国への貢ぎ物に「朱」辰砂を献上しながらも、魏国からは「丹」=赤鉛を望んだというほど赤い顔料は必要とされていた様だ。
丹生は縄文早期(約1万年前)の縄文土器の着色から、銅鐸、ハニワ、装飾具などあらゆる製品に着色されてきた。
【死者への施朱】
古代日本には「施朱」という習慣があった。遺体の頭部や胸を中心に赤い顔料を塗って葬るという習慣だが、古墳時代の終わりに消滅した。赤い骨が発見された当時は、生者のものか?死者のものか?がまず考えられたという。入墨に使った顔料が死後に骨と共に残ったとも考えられる。
古墳時代の施朱は消滅手前で最盛となり、亡骸だけでなく墓室の地面に散布されたり天井や壁も全て赤くして、何層にも塗布したり、顔料も朱とベンガラを使い分けたりなど施朱には様々な方法があった。
これは、「殯」もがりの習慣と結びつけて考えられ、死霊の呪いを封じるといった呪術的なものだと信じられている。
しかし、こうした呪術的信仰は一時期中世の日本で盛んだっただけで、何千年、何万年と伝統的に続いてきたものでは無く、時代を越えた根拠があるものでは無い。
古墳時代だけでなく、弥生時代、縄文時代にも施朱が行われていた事が発見されていて、日本列島の先住民族と渡来人、文化の違う民族、文化の違う時代まで同様な「死霊の呪い封じ」で行われていたという事は考えにくい。宗教や信仰は、民族や時代によっても異なるものではないだろうか。
そして、縄文時代・弥生時代、古墳時代まで共通した文化というのは他に類例がなく、驚くべきことだが、何故ここまでいくつもの時代を超えて続いてきたのかはよく解っていない。
施朱が行われるのは、祟りを恐れた呪い封じではなく、もっと違う理由があるのかを考えてみたい。
【即、鎮圧的手段】
施朱の研究者によれば、古代人の風習に対して、即「悪霊の鎮圧的な手段である」として安易に結論付けてしまうのは理論的な裏付けに欠けていて、説得力が無いという。
しかし、日本人のオカルト好みもあってか実しやかに「祟りを恐れ呪いを封じた」などと呪術的心理と結びつけられる方が多い。むしろ無難に置きにいく感じで、呪い封じは枕詞の様に受け入れられる様だ。
特に祟りを恐れたというのならば、菅原道真や平将門など無念に亡くなられた方の弔いには、朱塗りが多く施され調伏されていたなどと、濃淡がエビデンスとしてもっと存在していてもよさそうなものだが、実際全てに根拠がある訳ではない様だが只「赤は魔封じの色」に使われたと信じられている。
しかし、現代の私達が日の丸や紅白を見て、「呪い封じだ」とは思わない様に、古代人も同様に、赤は呪い封じとだと即は思わないのではないだろうか。
「呪い封じ」の呪術的な信仰が生まれる以前から、赤は馴染みの深い色であり、呪術信仰の象徴としてどこまでも時代を遡っても良いという初歩的なミスを犯すわけにはいかない。
そして現代人は古代人に対して、必ずといってよいほど
「テクノロジーは劣っている」
「原始的・土俗的な呪術信仰」である
と結論付けるバイアスが強く働き、滅多にこの域を出ることが無い。劣ったものとして見下す姿勢はバイアスというより、もはや信仰に近い。
施朱に関してはどうだろうか?
施朱は日本の古代遺跡だけでなく、汎世界的な風習で人類共通の習慣であり、すくなくとも3500年前はエジプト、中国、日本で施朱が行われていた。
時代を越え、文明を超え全ての人々は「死霊の祟りを恐れ封じ込めた」と断言するには、少し無理がある様に思える。
古典的な信仰心とは別に、文明、国、民族に限定されない「人類に共通する何か別の由来があるのでは、」と、探求してみたくなるところだ。
しかも、施朱の習慣は人類だけではない。起源はもっと古く3万年前・旧石器時代の原始人から、30万年前~ネアンデルタール人、50万年前~北京原人に至るまで、人類のみならず、旧人、原人の時代からあった習慣だという。
この、言語さえ未発達な時代から既に宗教や呪術が存在していたとも思えず、火、道具、そして宗教以外の何か、もっと太古からあるホモ属共通の習性があったとまずは考えてみても良いかもしれない。
そして、その元々あった習性が宗教発生後に埋葬儀礼に変化していったのではないだろうか。
「呪い封じだった。」を除外してみて、原初からある習性として考えた場合、どの様な可能性が考えられるだろう…
【魂魄の幽冥道】
中国の鬼とは、日本の鬼とは違い亡くなった方の霊のことだ。
「魂魄」と言い、人は亡くなると魂は天にあがるが、魄は弔わなければ地に還らず、地上を彷徨う浮遊霊となる。この浮遊霊のことを鬼と言い、鬼の道とはこの幽冥道のことを言う。
なので、人を殺すことよりも人を殺して弔わない事の方がもっと悪いこととされていた。
呪い恐れて封じるというよりは、人の道として弔う。
(魂=ソウル、魄=スピリット、鬼=ゴーストと言った感じだろうか)
そして、火葬、土葬、鳥葬、風葬など弔い方は文化や宗教によって違いはあれど、
故人を還してあげることは、生あるものとしての節理だ。
地に還すという点においては、赤色を亡骸に塗布しておくことは理に適っているのかもしれない。赤については「赤の魔除けの力を信じた。」と想像し、それが説明の根拠になっていることが多いが、ここでこの手法から一歩外に出てみて「赤」の特質を考えてみる。
赤の顔料はマイナスの電荷であり、人の皮膚の表面荷電はマイナスなので、塗布した場合は斥力の働きが生じるのだろうか? (化学は苦手だが…)もう少し進めてみる。
若いころ、調色の仕事をしていたことがあった。(調色=顔料を配合し色を作りだす)
当時はコンピューター等より人間の目の方が正確で、機械では色差6までしか読み取れなかったものを、調色職人は肉眼で色差0.2まで判別しなければならなかった時代だ。特に「赤」の調色は人体への影響が強いため、赤の調色を長時間続ける事の危険性などを指導されていた。壁床全面を赤く塗った部屋に三日間いると人は精神に異常をきたすと教えられた。
「赤」を見続ける事は本当は疲れた。波長が長い為、その分トーンパリエーションが豊富なので沢山見なければならないのだが、あまりに刺激が強い為に口紅の調色をする職人さんは一日4時間くらいしか働けないそうだ。
宇宙観測に無くてはならない「赤方偏移」という現象(地球から遠い星ほど波長が伸び可視光は赤に偏る)で知られる様に、宇宙一波長の長い色である「赤」を目に照射し続けることはリスクが大きいのだと思うが、逆に、色指圧に使うには(カラーパンクチャー=色を皮膚に当てる刺激法)最強な色である事は間違いないだろう。
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では、生身の人間でなかったらどうなのだろうか?
この場合は、仮死状態の人だとする。
古代では、脳死判定などなくショック状態や仮死状態でも死亡している状態と認識された。
その為、埋葬後に生きを吹き返したりする事もしばしばあり、確実に再生が不可能と認識されるまで、安置する期間、いわゆる「もがり」殯が行われた。故人に対する思いや人々の再生への願いが強いほど、期間は長くなる。
キャノンは、星の出ていない暗闇でも撮影できるカメラを開発したそうだが、肉眼で暗闇であっても僅かな光(光子)は存在していて物質は反射して色は存在しているらしい。
紫は波長が短く散乱しやすく届きにくい色だが、紫外線などに至っては健康な人体の表面だけで被害を及ぼす。
逆に赤は人体の中にまで深く入る色で、波長が長いことにより、電子レベルでは色の中では最も人体に入る色(波長)であり、僅かだが細胞分子を励起させる可能性もあるのではないだろか。そして、健康な人体でない場合は、この暗闇レベルの微弱なエネルギーでも反って良いのかもしれない。
こうした皮膚表面へのマイクロカレント(微弱電流)による刺激は、最近のエステでもフェイスローラーをはじめマイナスイオン効果を狙ったものが多くなってきている。
意識があれば薬草を煎じ、意識がなければ針やお灸で人体に刺激を与え反応を引き出す。
これが私達がイメージする古代の医学の限界だと思うが、更にもう一つ、
意識も生体反応も無くなった人へ、
蘇生術的な最終手段として施す、
「施朱」=赤顔料の塗布という施術があったのではないだろうか。
勿論、そこには科学的根拠もなければ、宗教や信仰もない。
頭部や胸を中心に、赤の顔料を塗布し、
ただ、そうすることで生き返らなければ、死んでいる状態と認識されるだけだ。
ホモ属(原人・旧人・現人類)の習性として、それが備わっていたのではないかと思う。
習慣と言うよりも、もっとバイオミメティクス※的なデフォルトの習性なのかもしれない。(※工学的にも応用可能な生物機能・習性)
アリやハチは社会性のある生物だが、ハキリアリは集団で農業を行う。葉を切り出して、巣に運び湿度や温度を最適にした環境の中で、葉にアリ茸というキノコを植え付けてそれ育て食料としている。不要となった葉や、亡くなったアリは同じ場所へ運ばれていき塚を形成する。
法律も信仰も、科学的知識も存在しているとは思えないが、テクノロジーとしては成功している。この様な、知識も呪術的な信仰もなく、原初のホモ属が自然と持ち得ていた習性と考えてみることは出来ないだろうか。
活性化を起こす入射は、顔料の粒子の大きさによっても違うと思われ、何層にも塗布したり顔料や顔料の粒子を使い分けたりなど、多様な仕様が遺跡から発見されているのはその為なのかもしれない。
長くなったが、「祟りを恐れた呪い封じ」という施朱の考え方に対し、他の考え方はできないだろうか?との思いで書き綴ってきた。
それはこれらの事が、呪いを封じる手段とは到底思えないからだ。
私には、目にいっぱいの涙を浮かべ、ボロボロと大粒の涙を溢れさせながら、
悲しみを堪えて懸命に朱を施している人々の姿が、思い浮かぶ。
悲しみの涙もまた、ホモ属共通の特質だ、
愛する人、大切な家族や友人を失った人々が、
子を亡くした親が、親を亡くした子が、
祟りを恐れ呪いを封じをしている様には思えない。
結果として埋葬儀礼となる前は、脳死判定ならぬ施朱判定ともいう様な、最後の施術として朱を施したことがあったのではないだろうか。
亡くなられた方への思いは、今も昔も変わるものではないと思う。
故人への思いは、宗教や儀礼を超えた思いがあり、呪い封じの様な考えにだけ留めることは、その心を損なってしまっている気がしてならない。
ご先祖様や亡くなった方を大切に思う気持ちは、人は、恐れより愛情の方が強いだろうとの思いから、施朱についての「呪い封じ」否定論を拙いながらも書いてみた。
最後まで御覧頂きありがとうございました。✨✨✨✨✨🙏
※参考文献
朱の考古学 市毛勲著 雄山閣考古学選書
古代の朱 松田濤男 ちくま学芸文庫
『Bonus shot』
広島の爾保姫神社から、和歌山の丹生都姫神社に向かう途中、
雲が割れ、矢印の様に空が一直線に丹生都姫神社の方角を指していた。
近づくと、ゴールはこの辺りですと言わんばかりに空に円ができてきた。
不思議な天空ショーを見られたおかげで、運転もさほど疲れを感じることなく和歌山へ到着。
和歌山県「丹生都姫神社」
広島県「爾保姫神社」
辰砂(朱水銀)が採れたという黄金山に鎮座する。神功皇后による由緒。
爾保姫=爾保津姫(にほつ姫)は、丹生都姫(にうつ姫)と同じ神様と考えられている。
神功皇后と関わりのある神社は、「丹」ではなく「爾(に)」が比較的使われている気がする。
ちなみに、こちらの爾保姫神社は原爆でも倒壊を免れた。倒壊しなかった被爆建物として登録されていたが、2007年に不審火で焼失。
氏子さん達は、数億円を集めて新しい拝殿を再建されたという。
それでも資金は足らず、神殿などは再建する事ができなかったが、
2013年、伊勢神宮の遷宮により、旧社殿のヒノキ材を譲り受け再建された。
地域の氏子さん達と神様の関係がとても良く、
巨大なパワーストーンの様な黄金山のエネルギーと、爾保姫さまが人々を守り続けている様な気がする。
氏子さんの中には、爾保姫さまのご子孫の方もいらっしゃるのではないかと思う。
生ある者と、御先祖様とはこの様なものかと、仏教伝来以前から続く古来日本のあり樣を感じた。
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