壱岐の島
⛩️【壱岐神社】長崎県壱岐市芦辺町瀬戸浦233
⛩️【龍蛇神社】長崎県壱岐市芦辺町瀬戸浦
⛩️【龍光神社】長崎県壱岐市郷ノ浦町片原触398-1
壱岐の島は、2000年以上前から続く非常に歴史ある島で、朝鮮半島と日本列島の中間にある島々のひとつ。
古くは【一支国】と言い弥生時代から海上交易で栄えた。
壱岐・対馬は日本列島とアジア大陸の中間にあることから、国境の島々として日本遺産に認定されている。
神社密度、日本一と云われるほど、狭い島内に、
神代、古代、中世、近代、現代まで
創建され続けた神社と
上古からの神々との繋がりと信仰が残る。
今回はその2000年以上の歴史の中で、現代の神社を紹介します。
龍蛇神は文章多めです🙏😅
【壱岐神社】
創建 昭和27年。
島民の方たちが、20年以上かけて創建事業を行い鎮座した。創建は新しいが由縁は古く、700年前の「元寇」いわゆる蒙古襲来の時の天皇、上皇、壱岐国守護が祭られている。
【主祭神】
亀山天皇(上皇)、後宇多天皇、小弐資時公
壱岐の島の宮司さん達は、お一人で何社も掛け持ちをしているので居ないことが多い。祈祷や御朱印なども電話予約が必要。
誰も居なかったので、上殿して祝詞を奏上させて貰った。
【龍蛇神神社】
創建 明治28年
出雲大社より龍蛇神を迎えて祭ったと云われています。
壱岐島 芦辺港の北にある竜神崎の先端の岩場に祭られている神社。
出雲大社と言えば蛇神。🐍
南海より対馬海流に乗ってやってくるセグロウミヘビが、出雲の海に流れ着くと、神様の遣いとして出雲大社や佐跎神社に奉納されるという。
ここ壱岐の島は、南海から日本海へ流れる対馬海流のルート上にある島で
古代出雲族が、南方より海流に乗って日本列島まで渡来してきたことが伺えます。
(諸説ありますが、紀元前ビルマ辺りにあったテンという国から渡来☝️)
また、全国の神様が出雲大社に行ってしまい神社から神様が居なくなるといういわゆる神無月、出雲大社では逆に【神あり月】となりますが、
出雲大社にいく前に、神々達はここ壱岐の島に一度集まってから出雲へ向かったといいます。
【☝️もう一つの出雲について】
壱岐島の対岸、福岡県の伊都島にも
【出雲】という地名と【神在】という地名がある。
福岡県の『出雲』は交差点の信号機に名を残すのみで、住所名には残っていない貴重な地名だ。
糸島はかつての伊都国であり、魏志倭人伝にも記されているとおり、
古代、日本列島の玄関口として存在していた。
『神々はまず壱岐島に集まってから、出雲に向かい神在月を迎える』とは
島根県の出雲ではなく、元々は福岡県糸島市の出雲では?
という可能性もあると思います。😌
それにしても、、、、🤔
出雲大社と言えば「蛇神」でしたが、元々「蛇神」だったものが何故?龍蛇になってしまったかが謎だ、┌(-_-;)
神社から話しはそれますが、
【謎の龍蛇神】
蛇神→龍蛇→龍神、、
※(・–・;)ゞ龍蛇という言葉でくくられると、いつの間にか蛇神→龍蛇→龍神になり、蛇神が居なくなる説
(これは、合わせとずらしというテクニックです)
本来、蛇神信仰には意味があり「龍も蛇も同じである」という考え方は無い。
現代人には、古代では「龍も蛇も一緒である」と考えられたと信じられているが、
実際、蛇神を信じている人々が龍に宗旨替えさせらてしまったのは
多民族による影響があったと思われる。
一体
いつどこで、『龍蛇』という造語が生まれたのだろうか🤔
日本の【龍神】は中国から伝わったインド仏教起源が多い。インド仏教守護の蛇神が中国に伝わると、中国人は蛇神を全て龍神にかえてしまい、日本へは八大竜王・善如龍王という存在となって仏教とともに伝わってきた。
しかしこの龍蛇神という存在は、中国仏教(北伝)の龍神ではなく、それより何世紀も前に中国の江南地方かインド北東あたりから南西諸島を経由し伝わってきた、仏教とは関係の無い別の存在のような気がする。🤔
仏教より出雲の歴史の方が古いのだ。
大物主(出雲の大国主命)の起源は月氏系で、中国の南・インドの北あたりで蛇神を崇めていたといいます。
南北の強国に挟まれ、日本にまで逃げてきたのが大物主命です。
南海ルート=セグロウミヘビが日本列島にまで流れつく黒潮に乗り、対馬海流で壱岐・出雲へと辿り着いた。
着いた当初は、まだ蛇神だったのだろうか、、?
インドでは、蛇はいみきらわれ霊鳥ガルーダや孔雀明王に退治されてしまう様な存在ですが、蛇神を崇めた民族がインドに逃げ仏教に帰依した存在が
『ナーガ(蛇神)』という仏教の守護神とになったかと思われます。
インドには龍という存在はいません。
中国人によって蛇神は龍神に変えられましたが、
龍神でもなく、蛇神でもない、
『龍蛇神』という何ともいえないファジーな存在は何処でうまれたのか、、
🤔爬虫類型宇宙人?
(※ちなみに中国で「蛇竜」とはワニのことを言う、、)
出雲で神の使いである『セグロウミヘビ』が、龍に似ていることから「龍蛇神」という造語が生まれたらしいが、いつの時代の事かは不明、、?
出雲の国譲りによって変えられたか、
元々は出雲ではなく、
中国江南地方の稲作文化の龍神と、
インド北東の蛇神文化に挟まれた地域でこの二つが習合し『龍蛇』は誕生したのかもしれません。
▲▽▲▽▲△▼△
そらあ、🐍蛇のイメージより🐉龍の方がカッコイイでしょうけどさ、
私は巳年なので、龍が蛇の上位概念みたくなって一緒にされるのはあまりいい気がしない( ̄ヘ ̄;)。
と、言いつつ龍の神社が続きます😌✨
【龍光神社】
やっと話しが神社に戻った🙏💦
創建不明 鎮座平成6年
戦時中に司令部が置かれ東の見上神社に遷されたが、島民の手で元に戻された。
壱岐島で一番高い山(と、言っても標高212m)「岳の辻」の展望台横にある小さな神社。
岳の辻園地駐車場より歩いていく。社殿はなく小さな祠と龍が鎮座している。
龍の像が咥えているのは夏みかんでなく黄色い玉。見た目と違い本体と同じコンクリート製でぷにぷに感はない。😂
正面から
龍は爪の数によって神格が高く、五本爪は中国皇帝につかわれる。
日光東照宮の龍は、徳川家康が中国皇帝に遠慮したせいか三本爪。
😮こちらの龍神さまは、よく見るとナント七本爪だ。
この七本爪龍を建立された、
明皇帝や徳川家康よりも凄い方とは、一体どんな方なのだろう、、
(八木さやちゃん?😳)
⛩️休みしし 古き神々 とこしえの
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壱岐の「岐」とは辻のことで境界という意味があります。
岐の神(クナドの神)とは、
境界線を守る神で、悪いものが入ってこない様に境界を守っている神。
塞の神(ふさぐ神)や、
古事記では、猿田彦がヤチマタ(道の岐路)に立ち、ニニギの命らの行進を待っていた事からヤチマタの神、猿田彦も、岐の神と同じとされている。
壱岐と書いて
壱=もっぱら
岐=境界線
という意味にもなる。
文字通り、壱岐の島は元寇から太平洋戦争まで、海峡を渡って日本列島に来る者たちを迎えうつ拠点でもあった。
元寇では襲来してきた蒙古軍らと必死で戦い、鎌倉幕府の壱岐國守護や御家人も壱岐の島で命を落とした。
正史には記されていないが、島の伝承では島民の数が2ケタになってしまったという、、
ここには、そうして日本を守ってくれた存在達も眠っている。
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とりとめのない話しを最後まで読んで頂きありがとうございました🙏✨
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