心の平和を求めて・・・

夫と別居中→調停離婚成立。
私の身近で起きている「性格や考え方に偏りを持つ人」との戦いの記録です。

はじめに・・・このブログについて

自己愛性パーソナリティ障害の元夫との戦いの記録をつづっています。 パーソナリティ障害の人と付き合っていくのは 色々な苦労があります。 この障害の人は相手を思いやることができません。巻き込まれると自分の考え方や、人間性まで深く傷つけられてしまいます。 自分のやってきたことを一度まとめて記録にしようとブログを 立ち上げてみました。
はじまりは2005年4月6日から。
現在別居中(ダンナが勝手に出て行きました)→調停離婚が成立しました。

覚え書き↓
2009年11月  ダンナがまたおかしくなりはじめた。
2009年12月  ダンナがまた出て行った。(二度目の別居)
2010年 2月  姑とのバトル。これ以降一切連絡を取っていない。→姑の電話で暴言。

以前、ずっと気になっていたこと、でも聞けなかったこと。

2010-04-16 23:47:20 | 

今でもずっと気になっていることがある。
でもずっと聞けなかった。
そんな疑問も私はさらりと受け入れて過ごしてしまったことを
今では物凄く後悔している。

付き合って3ヶ月ほどでダンナは結婚しようと言い出した。
当時、私はダンナのセンパイと付き合っていた、
リーダータイプで趣味とか好みがとてもかっこいい人だった。
だけど私はそんな彼にある日振られたのだった。
わざと私の友人(女性)と一緒に車の中でしゃべっている姿を見せつけて
私を突き放した。
そんな辛い思いをしていた頃に優しくしてくれたのがダンナだった。
私はきっと何かを錯覚していたのかもしれない。
色々な事があって私たちは付き合うようになった、
そしてダンナは何故か結婚を焦った。
ダンナは貯金無かった。お金にだらしない人間ってほどではないけど
お金のたまらない人だった。あればあるだけ使ってしまうのだ。借金は車とか、
そういうものくらいしかしない。

ダンナは着るものに無頓着な人だった。
無頓着すぎてびっくりすることもあった。
信じられないくらいくしゃくしゃのポロシャツを着て現れたり。
普通の感覚とちょっと違う気がした。
だけど私は「服代がかからなくていい、おしゃれじゃなくてもいい」なんて良く思ってしまった。

部屋ももの凄く汚かった。
今思うと極端に物を捨てられないダンナ、
元カノでさえ「気持ち悪い」と言っていた、小さい頃の人形(?)なんかが
並べてあって不思議だった。
布団も恐ろしいくらい汚いシーツだった。
母親が一緒に住んでいるのに、どうして気遣ってもらえないのだろう?と不思議だった。

もっと不思議だったのはダンナの部屋はハナレにあった。
ダンナは敷地内のハナレの家の2階に住んでいた。その一階にはダンナの祖母が住んでいた。
本屋にはダンナの両親と、弟の部屋があった。
私はどういういきさつでダンナがハナレに住んでいたのか、知らない。
たまたまなのかもしれないけど、凄ーーく汚い部屋といい、
不思議だなって思った。

見るに見かねて私は手作りで布団の敷布を作ってあげた。布団の敷布を全て新しくかえてあげた。
お母さんが(のちの姑)何か変な顔をしていたのがほんの僅かに思い出せる記憶だ。

まあそれもダンナの謎の一つではあるけど、
もっと気になっているのは、ダンナが結婚を焦り、私はお金をためてからにしないか、
って思った。
私が通帳を作るから毎月いくらかそこへ入れて貯金していこうと。
それが溜まったら結婚したらどうかなって。
だけどそういう事は全く出来ないダンナだった。

後々もそういうことで何度も喧嘩した。
私は将来のために貯金をしたいと言うのに、将来どうなるかなんてわからないのに
お金をためるなんて無駄だと言い、貯金できる余裕のある生活費を全く入れてくれなかった。
そして私が車を購入する為に出すお金を渋ったりするとやはり同じように
どうしてお金出してくれないのか、そんなに貯金してどうする・・・と言うのだった。
そう、全く計画性も無く、先のことを考えられないのだ。

それもまだいい、もっと気になっているのは・・・

もうほとんど結婚が決まってしまってある日、ダンナが言った、
10代の頃に女の子を妊娠させたことがあると言い出した。

私はびっくりした。それは何か許せない気がした。
だけどもう何もかも決まっていた。結婚とか決まっていなかったら私はそこで
絶対に別れていたと思う。だけどもう後戻りできないところでそう告白された。後戻りできないところでカミングアウトしたのだろうか。
私は少しダンナを責めたと思う、どういう人なの?!と。
ダンナは言った。
「そんな、全然大丈夫な子だったんだよ、ヤンキーだし、中絶してもなんとも思わない子だったから」と。

最近思う、中絶をなんとも思わない女性なんて、いないと思う。
それを全然大丈夫って言い切ってしまうなんて・・・
それからかなり経ってからその話を姑にしたことがあった。(結婚してから)
凄く驚いていた。「○(ダンナの名前)が、そのことあなたに話したの?!」と。
私には内緒にしておきたかったことのようだね。
私は自分も聞きたくないし、それ以上何があったか知ることは無かったけど
想像するにダンナは女の子を妊娠させてしまい、どうせ姑が後処理をしたんだろうな。
どんなことをしたんだろう。想像するのも何だか怖い。

ダンナがおかしいときに言っていた、
「あの人たちは一体何をしてきたんだろう・・・公務員の名の下で・・・
 一体どんな悪いことをしてきたのか・・・わからない・・・」

きっと私が知らないところで色々な事が悪い事をして来たということがあるんだろうなと思う。
知らない方が幸せってこともあるのかもしれない。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やっとまとめ終わりました。

2010-04-16 09:26:05 | 

やっと過去と現実の記事がつながりました。
意外と長かったです。そして思い出したくない嫌なことがいっぱい思い出され
辛かったけどきちんと記録に残せてよかったと思います。

私は「昨日の夕飯何食べたか思い出せない」くらい記憶力が無い人間です。
そんな私でも辛いことは辛いとして心に残ります。
辛いから残るのか・・・わかりません。
だけど辛い、だけではいけない気がして何がいけなかったのか、
思い出すのも辛いけど思い出して見直してみたいと思い綴ってみました。

だけど・・・結局、自己愛性パーソナリティ障害の人の気持ちなど
どれだけ考えても解らないのでした。
それもよくわかりました。

ダンナは出会った頃から「奇妙な人」でした。
そんな個性的なところが「面白い」と安易に思って付き合ってしまいました。
そういう若い頃の「奇妙な部分」も思い出したら書いていこうと思います。

ダンナはしばらく前に携帯料金引き落とし口座の変更届を
自宅に置いていって以来、何も連絡はありません。
この書類はどうしたらいいんだろう。(笑)
私に判を押してソフトバンクに持っていけ、ということなのか
ダンナに連絡しろと言うのか・・・
とにかく勝手に机に放置していったもの、私はどうすることもできません。

ダンナにしてみれば「気が利かない」かもしれないけど私は超能力者ではないので
わからないことはわからないです。
人はコミュニケーションの生き物だと思います。
それが夫婦であってもコミュニケーションは大切なことだと思います。
人には自分以外の人の心の中なんてわからないのだから。
言葉ってやっぱり大切だと思います。
そうして言葉にする努力もせずに、人に努力を強いるような・・・
私はそれは違うと思う。
私はちゃんと会話をして思っていることを理解しあいたいと思います。
そうして色々な気遣いなどができるんじゃないのかなって私は思います。
ダンナはそれが出来ない人。

自分の想いが通じなければ「まあしかたない」くらいに思えばいいものを
「許せない、なんでわからないのだこいつは!」になるのです。
とても無理です。

今どんな治療をしているのかな?・・・それよりちゃんと病院通っているのかな?
今はメールも全然来ないから様子もわかりません。

まだ「妻として」、元気でやっている?どうしている?と気遣いたくなる気持ちも
かなり心の中に強くあります。
だけどそれが何にもならないこともわかっています。
ダンナが大きな期待をしてしまうこともわかっています。
だからあえて私はこちらからダンナに関わらないことにしています。

この先どうなっていくのだろう・・・。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする