ちゅう年マンデーフライデー

ライク・ア・ローリングストーンなブログマガジン「マンフラ」

「草枕」なお正月

2006年01月10日 | 
 年が明けると雑誌「東京人」が漱石の特集を組んだり、今秋には「夢十夜」がオムニバス形式で映画化されるという話が伝わったり、「坊ちゃん」100周年とばかり漱石の名前がじわじわと出始めた。

 そもそも山田風太郎の明治ものを読んでいて、その流れで気になり始めたのが漱石だった。暮れに「坊ちゃん」「三四郎」「二百十日」と読んで、新年は「草枕」で始まった。「草枕」も今年で100周年だ。この小説はピアニストのグレン・グールドの愛読書であったらしい。くわしくそのわけを知らないが、漱石とグールドという組み合わせはおもしろい。予定調和的なメロドラマを排したという意味でグールドのバッハと「草枕」はよく似ている。「草枕」でいう非人情とは反メロドラマだろう。
 
 「坊ちゃん」のマドンナにしても「三四郎」の美禰子にしても、美貌の人なのだろうけど結局は俗人で可愛くない。それに比べて「草枕」の那美さんは、漱石の描く女性にしては珍しく艶っぽくていい。西洋画の裸体画に負けじと那美さんの美しさを言葉にしようとする風呂場のシーン、元の旦那との邂逅シーンなどなど、その立ち振る舞いを描くときの筆致ははぎれがいい。
 那美さんは、周囲からはキ印なんて噂されていて、その行動も突拍子もないが、最後の停車場のシーンで見せる「憐れ」に、ほろりとさせられる。だが、この刹那漱石は、次のような一節をもってこの小説を終わらせてしまい、ぎりぎりメロドラマを回避するのである。

「それだ! それだ! それが出れば画になりますよ」と余は那美さんの肩を叩きながら小声に云った。余が胸中の画面はこの咄嗟の際に成就したのである。

 画工である主人公は、那美さんから私の絵を描いてと頼まれるのだが、絵にするにはただ一つ「憐れ」が足りないからと描かないでいた。その「憐れ」が最後の別れのシーンに出てくるのだが、凡庸な作家なら、ここは遠のく列車を涙で見送る那美さんを描くところだろう。だが、漱石はまるで落語の下げのようにして物語を閉じる。

 それにしても、出征する那美さんの従弟久一を城下まで見送る終章の、舟で川を下る場面から終幕へのよどみない文の流れはすばらしい。小説のを読むことの幸福に浸った「草枕」なお正月なのだった。

 もう3年ほど前だろうか。阿蘇の裏の秘湯といわれる温泉で、わずかな灯下、露天風呂につかっていたら、岩陰から湯煙にうっすらと白い影がたちのぼり、やがて灯下に白くつやつやとした女性の尻と背中となって黒い闇に消えていったことがあった。あれは、那美さんだったのだろうか。


コメント
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