ちゅう年マンデーフライデー

ライク・ア・ローリングストーンなブログマガジン「マンフラ」

ケニクラのビッグバンドでウフフ

2006年01月25日 | 音楽
去年の夏このジャケットを見たとき、懐かしくて買ってしまった。

 ケニー・クラーク(dr)とフランシー・ボラーン(p)の双頭ビッグバンド(略してケニクラ)、とりわけこの「オール・スマイルズ」と「モア・スマイルズ」「サックス・ノー・エンド」といったドイツのジャズレーベルMPSから出たアルバムは、なぜかモノトーンのヌードを使ったジャケット(カラーになるとサム・テーラーになってしまう)で、70年代に学生ビッグバンドを経験したものにとって、CDの復刻はうれしいかぎりなのだ。

 ケニクラのスタンダード曲集第1弾といったところだが、3テナー、ツインドラムというちょっと変わった編成、なによりもこのバンドはサックスのソリが売り物で、たいがいの曲目に中低音域のややアンニュイな独特のハーモニーでうねるサックス・ソリが出てくる。アレンジはパリの夕暮れが似合うような哀愁ただよう洗練されたヨーロッパ・テイスト(そんなもんあるんかい!)で、霞がかったセーヌの薄暮みたいな独特のハーモニーと荒っぽさも垣間見えるツインドラム、エコーのきいたブラスのサウンドは実に個性的だ。同じ頃人気のあったサドメル・ビッグバンドのファンキーさとは好対照だ。
 
 いまどきのソフトジャズと紙一重みたいなところもあるけれど、1曲目の「レッツ・フェイス・ザ・ミュージック・アンド・ダンス」から「ユー・ステップト・アウト・オブ・ア・ドリーム」「アイム・グラッド・ゼア・イズ・ユー」「ゲット・アウト・オブ・タウン」「ホエン・ユア・ラヴァー・ハズ・ゴーン」「グロリアズ・テーマ」などなどラインナップも佳曲ぞろい。メンバーも、ジョニー・グリフィン、サヒブ・シハブ、ベニー・ベイリー、ダスコ・ゴイコビッチなどなど、歌心いっぱいのジャズマンばかりだから、泣かせどころもこころえている。

「レッツ・フェイス」はフレッド・アステアが「艦隊を追って」という映画のなかで歌った曲。「ゲット・アウト・オブ・タウン」はコール・ポーターの曲だが、このサックス・ソリを聴くと、なぜか「網走番外地」の高倉健を思い出すのだった。
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啄木はワグナー大好きだった

2006年01月25日 | 
 週はじめから連ちゃんで飲み会、ちょっとぐったり。昨夜は4人で生ビージョッキ23杯、熱燗2合徳利12本という成績。あーー、いやだ。

 漱石の「吾輩は猫である」を読み始めた。同時に、吉本隆明「漱石の巨きな旅」を読む。

 ところで、石川啄木がリヒャルト・ワグナーが好きだったといことを中村洪介著「西洋の音、日本の耳」で知った。この本は、大著で値段も5,000円、図書館で借りて読んだ。
 
 まずタイトルが気に入った。主に明治の文豪たちがどう西洋の音楽を聴き、それを消化しあるいは自らの創作活動に生かしたのかという労作。今とは比べ物にならない情報不足の中で、洋行帰りの知識人を中心に西洋音楽が受容され、どのように聴かれたのかを克明にたどっている。

 石川啄木は、土居晩翠の家で、晩翠がヨーロッパから持ち帰った蓄音機とレコードで一晩さまざまな西洋音楽を聴く機会があった。なかでもワグナーのタンホイザーに魅せられ、熱狂的なワグネリアンになってしまったらしい。だが、啄木はワグナーのオペラを見たわけでもなく、ほとんど聴いたこともなくワグナーに心酔していったのだ。実際当時、ワグナーをニーチェやショーペンハウエルと一緒に紹介した学者のなにがしだとか、ドイツに留学した経験のある森鴎外くらいしか、生でワグナーの楽劇を観劇できる機会をもった人はいなかったわけで、明治の知識人の多くは、耳よりも文字でワグナーの楽劇を読み、そのロマンチシズムに酔っていたらしいのだ。ワグナーは明治末に紹介されるやかなりの人気になったらしい。

 それにしても啄木とワグナーという組み合わせは意外だった。生活と思想をすべて歌にしてしまったこの天才的な青年歌人が初めて蓄音機から響くワグナーの螺旋状に展開する弦の波のようなうねりを聴いたときの陶酔感はどんなだったかと思うと僕自身の気持ちも高ぶってくる。
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