江戸東京博物館で「ボストン美術館蔵・肉筆浮世絵展「江戸の誘惑」」を観てきた。常設館では、荒木経惟「東京人生」も開催中で、肉筆浮世絵という字づらとアラーキーの名前が妙にエロな雰囲気を醸し出しているのだが、実際はぜんぜん、どちらも公序良俗を乱すようなものではなく、浮世絵にしても、アラーキーにしても、それはその多面性ではあるのだけれど、春画の絵巻(春巻?)でも、もっとも春画らしからぬ部分が展示してあったりすると、ちっとも脱がないストリップを見ているようなもんで、展示ケースに向かって「出し惜しみすんな、こら!」なんて品のないイチモツならぬ一声を浴びせたくなるマンフラなのだった。
いずれも保存状態がよく絢爛たる色彩は見ごたえ十分だが、このブログの常連のりへい氏ご推薦の鳥山石燕の妖怪絵巻が異彩をはなっていたし、北斎はやはり天才だと思わずにはいられない。しかし、北斎にしても若冲にしても傑作がこうも海外流出しているのはいかにも惜しいと思うのだった。
いずれも保存状態がよく絢爛たる色彩は見ごたえ十分だが、このブログの常連のりへい氏ご推薦の鳥山石燕の妖怪絵巻が異彩をはなっていたし、北斎はやはり天才だと思わずにはいられない。しかし、北斎にしても若冲にしても傑作がこうも海外流出しているのはいかにも惜しいと思うのだった。