ちゅう年マンデーフライデー

ライク・ア・ローリングストーンなブログマガジン「マンフラ」

死刑囚はグラントリノに乗ってスカイラークを歌うイーストウッド三昧の日々

2009年05月26日 | 映画
 新宿のバルト9。ネットで座席を予約することができる。かつて席とりにダッシュした身としては何かが違うと敬遠していた。同じ映画なら歌舞伎町のきれいとはいえないロードショー館を選んでいたが、クリント・イーストウッド監督「グラントリノ」は、バルト9とピカデリーにかかっていた。ならばと、バルト9の席をネットでとり、「グラントリノ」にご対面。ホテルや飛行機、列車の予約はネットが当たり前なのに、映画というと、なぜか旧態依然の振る舞いになるのだが、まあ、気に入らないけどなかなか便利ではある。

 この映画に出てくるグラントリノとは、フォード社の1972年グラントリノスポーツ2ドアファストバック・ハードトップのこと。排気量7,000ccという超マニアックな車らしいのだが、映画の中で走るのはエンディングだけで、モン族の少年が運転してスクリーンの向こうへと走り去る。ここにかぶるのが、イーストウッド自らが歌うテーマ曲だ。「グラントリ~ノ、グラントリ~ノ」と、幽霊が歌うように低くしゃがれた声で響く。イーストウッド演じるウォルト老人は、自らの命を犠牲にして少年たちの争いに終止符を打つのだが、モン族の少年にグラントリノを譲ったことが、まるでうらめしいといわんばかりに、ウォルト老人が幽霊となって歌っているように思えてならないのだ。

 イーストウッド映画の中で数多登場する十字架の記号だが、この映画で、ついにイーストウッドは自ら十字架と化す。胸に鉄板など入れていないぞ。立ち上がって反撃することもないぞと、ご丁寧にも弾丸が背中を貫通するところまで見せる念入りな演出で、ウォルトの死を告げる。葬られたのはウォルト老人なのか、ダーティ・ハリーなのか、俳優クリント・イーストウッドなのか。肺の病により死期を意識した老人は、復讐、制裁というアウトローの選択ではなく、贖罪と自己犠牲の証として自らの命を投げ出すことでモン族の不良少年たちに、法による裁きをあたえるという犠牲的な精神を発揮する道を選択した。しかも自らの肉体を十字架に化身させて。

 決闘に向かうガンマンよろしくバスタブで身を清めるシーンを挿入する念の入れようで、ならば、グラントリノで乗り付けてコルトをぶっ放すのかとも思いがちだが、やらない。こんなイーストウッドの映画は観たことはない。だが、吐血のシーンでウォルト老人の命がそう長くないことを暗示させているので、いつものように拳銃をぶっ放さなくても、観るものはこの選択に納得することになるだろう。恐らくお得意の早撮りでこの映画も仕上げたのだろう、そんなテンポのよさが伝わるまぎれもない傑作である。

「グラントリノ」の余韻に浸りつつ、「ブックオフ」でダイアナ・クラールの1999年のアルバム「ホエン・アイ・ルック・イン・ユア・アイズ」の未開封が1,250円だったので購入。このアルバムには、イーストウッド監督「トゥルー・クライム」の主題歌「ホワイ・シュッド・アイ・ケア」が入っている。この曲がとてもいい。映画は未見だったので、早速DVDも購入。これが、またまた傑作だ。死刑執行までの限られた時間のなかでその無実を証明していくという絶妙のサスペンス。だからこそ、ラストのクリスマスのシーンで、夜の街をスクリーンの向こうに去っていくイーストウッドのうしろ姿に、これまた絶妙のタイミングでかぶる「ホワイ・シュッド・アイ・ケア」に泣けるのだ。

 CDのライナーノーツだったか何かで、イーストウッドはダイアナがお気に入りで、「トゥルー・クライム」の前作「真夜中のサバナ」でダイアナを使ったとあった。これも早速DVDを購入(紀伊国屋ではいま20%オフ)。でも、実際の映画には出ていない。サントラ盤で「ミッドナイトサン」を歌っていたのだった。「真夜中のサバナ」は、「スカイラーク」などのスタンダードナンバーで知られるジョニー・マーサーの出身地サバナが舞台とあって、全編にマーサーの曲が使われている。イントロから「スカイラーク」がテーマ曲のように流れ、劇中で、娘のアリソン・イーストウッドが「降っても晴れても」を歌ったりする。イーストウッド映画には、本筋とあまり関係のないが、ああ、これがやりたいのね、というようなシーンがよくある。「グラントリノ」なら、床屋で少年に男の振る舞いを教えるシーンとか、この映画は、そのどうでもいいけど、やりたいのだろうというシーン満載の映画で、勝手気ままに作ったサスペンスのないサスペンス映画なのだった。

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