ちゅう年マンデーフライデー

ライク・ア・ローリングストーンなブログマガジン「マンフラ」

「ロンググッドバイ」あるいはギムレットで泥酔した渋谷の夜

2010年09月22日 | 
 村上春樹訳・レイモンド・チャンドラー「ロンググッドバイ」を読む。このチャンドラーの名作は、長いこと清水俊二訳「長いお別れ」が定番だったが、清水版は細かいところはすっとばして訳されていたらしく、村上版は、完全翻訳版ということになるそうだ。確かに活字は大きくなったとはいえ、ボリュームも大分アップしている。

 たぶん20代の後半に清水版を読んで、ペリカンブックの原書も購入し、折をみてチャンドラーで英語の勉強でもしようかと思っていたが、どちらも本棚にしまわれたままになっており、僕の英語も上達しなかった。そんなわけで、様々なシーンは断片的にしか覚えていなくて、マーロウとアイリーン・ウェイドがベッドをともにしそうになったことや、殺されたシルヴィアの姉リンダ・ローリングとマーロウが終盤で寝てしまうことなど、まったく記憶になかった。「ロンググッドバイ」のマーロウは42歳。アイリーンやリンダは30歳前半。男も女も充実したSEXが楽しめる年代だ。マーロウは聖人のように禁欲的ではないのだった。

 清水版を読んで、まっさきに実行したのは渋谷のバーに行ってギムレットを飲んだことだ。当時は日活映画に出てくるようなたたずまいの店「門」で、ひたすらギムレットを頼み、泥酔してしまったことが記憶にある。それでも、この小説は、ずっと心の中に切なさを残していて、中身は相当忘れているのに図々しいが、最も好きな小説のひとつだった。村上版は、訳者がハードボイルドといわず準古典小説と述べるように、戦後アメリカの都市文学の一つとして提示してみせたといえる。翻訳小説は、かつては往々にして訳者が大学教授であったりすると、風俗関係にくわしくなくて頓珍漢な翻訳をすることがあるが、そうした面では村上版は、信頼できるだろう。まあ、チャンドラーに関しても、「ロンググッドバイ」に関しても、熱狂的なファンがいるので、いいかげんなことは言わずにおこう。だが、今回読んで、テリー・レノックスの戦争体験が物語の根底にあるように、この小説が戦争と無関係ではなかったという意味で「ロンググッドバイ」は戦後文学なのだと思った。それにしても、僕が生まれた1953年とは、「ロンググッドバイ」が書かれ、小津の「東京物語」が発表された年だった。
 
 さて、「ロンググッドバイ」といえば、ロバート・アルトマンの傑作映画がある。これは、原作プロットをつまみ食いした、原作とは別物の快作なのだが、小説発表から20年後の1973年の作品であり、これまたベトナム戦争末期のアメリカの退廃の影を感じさせる出来栄えになっている。個人的には、僕の同時代的アメリカ映画のベスト10に入る映画ではある。

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