ちゅう年マンデーフライデー

ライク・ア・ローリングストーンなブログマガジン「マンフラ」

不覚にも1周忌を前に初めて知ったかの大人の死を悼む。

2010年07月13日 | アフター・アワーズ
 全く不覚だった。1周忌を迎えるまで平岡正明氏が亡くなったことを知らなかった。本屋で手にした追悼本を見ても、洒落で本人が出しているくらいにしか思わなかった。ネットで調べてはじめてこの事実を知った。7月9日が命日とか。昨年の7月は何をしていたのか。なぜ、気がつかなかったのか。何より、平岡正明の死を話題にする人間が周囲にいなかったのが寂しい。そんな環境に自分はいるのだと思うと人生を考え直さなくてはいけないと思ってしまう。先週金曜日に銀座で九州から上京したママダスとキロクで飲んだとき、そんな話題が出て、平岡の名前を知っている人間と話せて少し慰めになったのだった。

 最初に買った平岡本は「ジャズ宣言」。以来平岡節によってわが脳髄に注入されたのは、山下洋輔、山田風太郎、李成愛、エルゼッチ・カルドーソ、ユパンキ、石原莞爾、三波春夫などなど枚挙に暇ない。膨大な著作から好きな1冊を選べば、ブラジル音楽のDJライヴを収録した「一番電車まで」。サンバカンソンと石原莞爾と山口百恵を同時に語れる人は他にいない。エルヴィン・ジョーンズが叩く複合リズムのように平岡節は破壊的な手法で異なった律動を複合させてしまう。名言も数々あるが「アジアのファシストはしもぶくれである」は至言。顔が似ていると思想も似ているというわけだ。さて東京は、今日からお盆だ。平岡大先生の霊も帰ってきているのだろう。心から合掌。

 梅酒をつけて一月半、試飲してみたら結構いける。今夜は、梅酒をすすりながら、オーネット・コールマンの「ロンリー・ウーマン」で平岡大先生を追悼しよう。
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