ちゅう年マンデーフライデー

ライク・ア・ローリングストーンなブログマガジン「マンフラ」

いつかハンカチ王子が王子駅で

2006年10月18日 | 
 いくら日差しが強くても頬をかすめる風は、まぎれもなく秋を感じさせる日曜日に、原宿の太田記念美術館に歌麿を観に行った帰り、混雑の原宿駅を避けて代々木まで歩いていると、ビルの日影で感じた秋の風に急に懐かしさがこみあげてきて、それは、もう20年以上も前に晩夏のフランクフルトの街頭で感じた風の感触で、一気に20年の時と空間が一緒になってしまったような不思議な感覚を味わったのだった。

 堀江敏幸の小説は、どこかそんな感覚と似ていて、実際、堀江敏幸の小説ではある言葉や出来事をきっかけに物語は縦横に過去や小説などの異空間にワープする。その緩やかな横移動のカメラのような展開が実に気持ちいい。

 甲子園がハンカチ王子でにぎわった夏が過ぎて、ビル・エヴァンスなんかが似合いそうな季節になってきた本屋で目にしたタイトルが堀江敏幸『いつか王子駅で」だった。

 これはもう「Someday My Prince Will Come」のもじりに違いはあるまいと、そういうセンスを賞賛しつつ早速購入して読み始めると、物語は懐かしい競走馬の世界やら不覚にも名前を知らなかった作家・島村利正の「残菊抄」の世界に、長回しのカメラのようにゆっくり、そして自在に移動しては戻ってくるのだった。やがて主人公が家庭教師をしている大家の娘咲ちゃんの国語の宿題で、ある短編小説を読んでタイトルをつけるというのがあって、主人公は、一読それが安岡章太郎の「サアカスの馬」であると分かるのだが、結局後日咲ちゃんは「サアカスの馬」のタイトルにサーカスも馬も使わない「靖国神社のお祭り」というまったく別のタイトルをつけ、その咲ちゃんの感性をどこかで賞賛しているのは、これが宿題で出たらどう考えたって「いつか王子駅で」というタイトルはつくまい物語に、そうつけてしまうあたり、どこかいい加減に見えながら実はきっちりとした戦略がある作家の告白のようにも読めるのだった。同じ作家の『ゼラニウム』という短編集には「アメリカの晩餐」というのがあって、これもヴェンダースの「アメリカの友人」と「アメリカの叔父さん」というフランスの譬えをもじっている。

 そんなわけで、確かにこの小説は王子が舞台なのだが、そして終盤で「かおり」の女将と王子駅で待ち合わせもするのだが、その小料理屋の名前がタカエノカオリという競走馬にちなんでいたり、陸上部の咲ちゃんが200メートルを走るシーンをテンポイントになぞらえてしまったり、これはもう競馬ファンが涙するような小説で、実際ラストシーンを読みながら不覚にも目頭が熱くなってしまったのだった。
 今度の日曜は菊花賞だが、この小説に出てくる島村利正の「残菊抄」でも読みながら、菊の3連複でも考えてみよう。

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1 コメント

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ダジャレ (ヤクモ)
2006-11-28 10:07:15
コメントありがとうございました.
「いつかハンカチ王子が王子駅」の連想で
「マディソン郡の橋幸夫」を思いだしました.
チョット古いですが.
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