そうこうするうちに新年を迎え、仕事が始まって早2週間。遅ればせながら謹賀新年。先週は久々に風邪で熱を出し、ダウンした。週半ばで発熱。仕事の締め切りがあったので、悪寒を抑えながら2日間仕事。その後3日間寝込んだ。熱にうなされながら、子どもと別れる寂しい夢を見たり、寝ながら2段組500ページの「クアトロ・ラガッツィ 天正少年使節と世界帝国」(若桑みどり)をとうとう読破して、首を痛めたり、1週間お酒を口にしなかったこともあって3キロ体重が減った。ようやく正常に戻りつつあり、本格的な始動は来週かなー。すっかり遠赤外線効果のある股引が離せなくなってしまった。
そんなわけで新年になって読んだのは、なぜかキリシタンもの。以前読んだ定番「天正遣欧使節」(松田毅一)を読み直しているうち、暮れに若桑みどりさんが亡くなっていたことを知り、追悼の意をこめて買ったままになっていた「クアトロ・ラガッツィ 天正少年使節と世界帝国」に手を出した。とまらない。圧倒的におもしろい。たとえば、使節の随員の一人だったコンスタンチン・ドラードについて、松田氏は日本人で、ドラードという名前から金細工職人に関係あるのではとするのに対し、若桑さんは、日本人とポルトガル人の混血で髪が金髪だったので、金を意味するドラードと呼ばれたのではと推理する。「活版印刷人ドラードの生涯」(青山敦夫)は、ドラードを主人公にした小説仕立ての伝記だが、ここでも混血説がとられている。金髪の混血のほうが絶対におもしろい。そのほか、少年使節の一人で、帰国後キリシタン迫害の嵐が吹き荒れる中で、唯一棄教した千々石ミゲルの子どもが天草四郎という珍説を紹介したり、宣教師たちの記録を読み解きながら秀吉は6本指だったのではないかといったエピソードも披露するのだが、信長・秀吉の時代をポルトガル・スペインの世界制覇、イエズス会の世界戦略のなかでとらえながら、例えば本能寺の変を、天皇を超えようとする信長の存在、キリシタンをめぐる公家と信長の対立の中で起きた公家の陰謀とするところは圧巻である。
かの南蛮屏風ではないが、あらためてこの時代の都市の風景を想像して見ると、信長時代の日本、とりわけ九州、関西地区は、国際都市の様相を呈していたということだ。宣教師のほか、ポルトガルの商人や船員、奴隷などが跋扈していたことだろう。当然、混血も生まれただろう。ブラジルでは、そうした混血のことをムラートといったはずだが、この国ではなんと呼んでいたのか。歴史にもしはないけれど、もっとも世界に開かれていた16世紀の日本が、そのまま発展していたら、この国の姿は大きく変わっていたのではないか。
それにしても千々石ミゲルの子どもが天草四郎との説は魅力的だ。4人のなかで結婚し子どもを作れるのは棄教者であるミゲルしかいないのだから。ところで、これに関連して読んだ「信長と十字架」(立花京子)では、信長暗殺の黒幕はイエズス会でその糸を引いたのが細川藤孝との説を唱えているのだが、これははたしてどうだろうか。イエズス会に信長暗殺の理由があるとは思えないのだが。
この天正少年使節の話は、その結末を思うと神話的な悲劇といってもいいだろう。後の隠れキリシタン、天草四郎の乱から遡り、6本指の秀吉や、背徳的な宣教師などを絡めながら少年使節の物語を組みなおすと、結構面白いお話になるのではないかと思う。さらに映画にできたらなお面白いのだが、などと思いをめぐらす今日この頃なのであった。
そんなわけで新年になって読んだのは、なぜかキリシタンもの。以前読んだ定番「天正遣欧使節」(松田毅一)を読み直しているうち、暮れに若桑みどりさんが亡くなっていたことを知り、追悼の意をこめて買ったままになっていた「クアトロ・ラガッツィ 天正少年使節と世界帝国」に手を出した。とまらない。圧倒的におもしろい。たとえば、使節の随員の一人だったコンスタンチン・ドラードについて、松田氏は日本人で、ドラードという名前から金細工職人に関係あるのではとするのに対し、若桑さんは、日本人とポルトガル人の混血で髪が金髪だったので、金を意味するドラードと呼ばれたのではと推理する。「活版印刷人ドラードの生涯」(青山敦夫)は、ドラードを主人公にした小説仕立ての伝記だが、ここでも混血説がとられている。金髪の混血のほうが絶対におもしろい。そのほか、少年使節の一人で、帰国後キリシタン迫害の嵐が吹き荒れる中で、唯一棄教した千々石ミゲルの子どもが天草四郎という珍説を紹介したり、宣教師たちの記録を読み解きながら秀吉は6本指だったのではないかといったエピソードも披露するのだが、信長・秀吉の時代をポルトガル・スペインの世界制覇、イエズス会の世界戦略のなかでとらえながら、例えば本能寺の変を、天皇を超えようとする信長の存在、キリシタンをめぐる公家と信長の対立の中で起きた公家の陰謀とするところは圧巻である。
かの南蛮屏風ではないが、あらためてこの時代の都市の風景を想像して見ると、信長時代の日本、とりわけ九州、関西地区は、国際都市の様相を呈していたということだ。宣教師のほか、ポルトガルの商人や船員、奴隷などが跋扈していたことだろう。当然、混血も生まれただろう。ブラジルでは、そうした混血のことをムラートといったはずだが、この国ではなんと呼んでいたのか。歴史にもしはないけれど、もっとも世界に開かれていた16世紀の日本が、そのまま発展していたら、この国の姿は大きく変わっていたのではないか。
それにしても千々石ミゲルの子どもが天草四郎との説は魅力的だ。4人のなかで結婚し子どもを作れるのは棄教者であるミゲルしかいないのだから。ところで、これに関連して読んだ「信長と十字架」(立花京子)では、信長暗殺の黒幕はイエズス会でその糸を引いたのが細川藤孝との説を唱えているのだが、これははたしてどうだろうか。イエズス会に信長暗殺の理由があるとは思えないのだが。
この天正少年使節の話は、その結末を思うと神話的な悲劇といってもいいだろう。後の隠れキリシタン、天草四郎の乱から遡り、6本指の秀吉や、背徳的な宣教師などを絡めながら少年使節の物語を組みなおすと、結構面白いお話になるのではないかと思う。さらに映画にできたらなお面白いのだが、などと思いをめぐらす今日この頃なのであった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます