今月の雑誌「プレイボーイ」でジョン・コルトレーン特集をしている。いまなぜ、コルトレーンか。生誕80周年だからか。1926年生まれの1967年没、40歳の短い人生だが、残した音楽は強烈だ。
トレーンの名演数あれど、ぼくにとってはやはりアルバム「セルフレスネス」収録の1963年ニューポートジャズでの17分に及ぶ「マイ・フェイヴァリット・シングス」につきる。トレーンの「マイ・フェイヴァリット・シングス」を最初に聴いたのがこの演奏で、まずアナウンスがかっこよくて、ドラムスがロイ・ヘインズと紹介されたときは「エルビンじゃないのか」と思うより、その名前の音の響きがよくて、何かすごいことが始まるぞという期待感をもったものだ。録音状態はよくないが、とにかくトレーンの10分近いソロはすごい。中野のジャズ喫茶で朝一番にこれをかけるところがあったっけ。オリジナルのアトランティック版を後から聴いたときは、なんかふやけてる、悪くはないけど戦闘性に欠けると拍子抜けしたほどだ。
もう一つは「ライヴ・アト・ザ・ヴィレッジヴァンガード」の「朝日のようにさわやかに」だ。だんだん演奏が長くなっていくなかでこの演奏は短い。だからというわけではないが、若い頃、出勤前にこれを聴いて家を出ていたほどだ。マッコイ・タイナーの長いソロの後、疾風のように疾走するトレーンのソプラノ・サックスに鼓舞され、勇気づけられていたのだった。
ある夏の夜、新宿で飲んでゴールデン街の道を花園神社の裏に抜けたとき、サックスケースを抱え、ハンチング帽をかぶった体格のいい黒人がうつむき加減に横切った。ぼくは、思わず「トレーン、ジョン・コルトレーン!」と声をかけた。男は大きな右手をゆっくりあげてそれに応え、すぐ夜と一つになった。
トレーンが日本で公演したのは1966年の夏、その1年後に肝臓がんで亡くなる。でも確かにあれは、ジョン・コルトレーンだったと思っている。
トレーンの名演数あれど、ぼくにとってはやはりアルバム「セルフレスネス」収録の1963年ニューポートジャズでの17分に及ぶ「マイ・フェイヴァリット・シングス」につきる。トレーンの「マイ・フェイヴァリット・シングス」を最初に聴いたのがこの演奏で、まずアナウンスがかっこよくて、ドラムスがロイ・ヘインズと紹介されたときは「エルビンじゃないのか」と思うより、その名前の音の響きがよくて、何かすごいことが始まるぞという期待感をもったものだ。録音状態はよくないが、とにかくトレーンの10分近いソロはすごい。中野のジャズ喫茶で朝一番にこれをかけるところがあったっけ。オリジナルのアトランティック版を後から聴いたときは、なんかふやけてる、悪くはないけど戦闘性に欠けると拍子抜けしたほどだ。
もう一つは「ライヴ・アト・ザ・ヴィレッジヴァンガード」の「朝日のようにさわやかに」だ。だんだん演奏が長くなっていくなかでこの演奏は短い。だからというわけではないが、若い頃、出勤前にこれを聴いて家を出ていたほどだ。マッコイ・タイナーの長いソロの後、疾風のように疾走するトレーンのソプラノ・サックスに鼓舞され、勇気づけられていたのだった。
ある夏の夜、新宿で飲んでゴールデン街の道を花園神社の裏に抜けたとき、サックスケースを抱え、ハンチング帽をかぶった体格のいい黒人がうつむき加減に横切った。ぼくは、思わず「トレーン、ジョン・コルトレーン!」と声をかけた。男は大きな右手をゆっくりあげてそれに応え、すぐ夜と一つになった。
トレーンが日本で公演したのは1966年の夏、その1年後に肝臓がんで亡くなる。でも確かにあれは、ジョン・コルトレーンだったと思っている。
よろしくお願いします。トレーンと時間と場所を共有したなんて、うらやましいです。