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ちゅう年マンデーフライデー

WBCで最も美しかったのはメキシコ戦9回裏、周東選手の逆転ホームインの走りである

WBCで最も美しかったのは、準決勝メキシコ戦で9回裏に逆転のホームインした周東佑京選手の走塁だった。バックネット側から、その迷いのない滑らかな走塁をワンショットでとらえた映像は、野球の周回する身体運動としての魅力を伝えて見るものを興奮させる。四球の吉田選手(歯が白すぎる)の代走として思い切りよく周東選手を送った監督の采配は確かに素晴らしいが、それはドラマとしての野球の面白さだ。この周東選手の走りこそ予定調和を超えた生々しい運動としての野球の魅力だろう。映像を見ると、村上選手が打った瞬間に迷いなく走り出し、打球の行方を確認している大谷選手を挑発するように一気にスピードを上げると、大谷選手が慌てて走り出すようにも見える。そしてホームインのスライディングも美しい。いや、サイコーでした。余計な見出しがうるさいけど、その映像をどうぞ。

https://m.youtube.com/watch?v=rZQCEDkaq9g

ところで、サムライJAPANという呼称には、神国日本とか兵隊日本とか鬼畜米英的なスローガンの匂いがあって、いささか違和感を持っている。たぶん「侍ニッポン」あたりが源流なのだろうが、◯◯ジャパン、◯◯ニッポンの高揚感に何でも収斂させてしまうことは、どこか危ない予兆のように思えてしまう。

そもそも「侍ニッポン」は1931年発表の郡司次郎正の小説で、同じ年に日活で伊藤大輔監督、大河内傳次郎主演で映画化、さらに西条八十作詞の歌まで出て大ヒットした。「人を切るのが侍ならば恋の未練がなぜ切れぬ」と武士の道義と恋の間で苦悩する男の心情を歌っているが、小説は、大老井伊直弼の隠し子として生まれた主人公新納鶴千代の剣術と恋と葛藤が、尊王攘夷盛んな時代を舞台に展開され、桜田門外の変に至る父子の悲劇で終わるというものだ。以下は、美空ひばりが歌う侍ニッポン。映像には東映で東千代之介が主演した同名映画の一部が使われている。

https://m.youtube.com/watch?v=P73c2yP_9o0

1931年、昭和6年は満州事変が勃発した年であり、大陸での戦争が拡大していく時代なので、◯◯ニッポンというスローガンは戦意高揚の時代の雰囲気に合っていたのだろう。しかし、新宿にムーラン・ルージュがオープンしたりエノケンが一座を旗揚げするなど、まだまだ国内は華やかさもある一方、東北地方は冷害、凶作で、娘を身売りに出すような生活を強いられる時代でもあった。侍ニッポンの小説も映画も歌も(メロディの出だしは勇ましいが)内容は決してそんな勇ましくないのは、時代の明暗を反映していたとも言える。
原作の郡司次郎正は、軍国化が進む当時、少なからず大衆の中にあった共産主義への憧れと反感の心情を武士の葛藤に重ねて、共感を得ようと意図したのだという。企画は大当たりだった。

昭和の初めの時代と今を重ね合わせて、危険な時代などというつもりはないが、侍ニッポンとサムライJAPANには確かに同じ匂いが漂っている。

侍ニッポンを原作にした岡本喜八監督の「侍」。主演は世界のミフネ

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