ちゅう年マンデーフライデー

ライク・ア・ローリングストーンなブログマガジン「マンフラ」

こどもの日に「実録・連合赤軍」を観て、「別れの朝」を思い出すこと。

2008年05月14日 | 映画
「こどもの日」に子どもがいないところはないか。あった。テアトル新宿『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』。上映時間も3時間10分。さすがに子どもはいなかった。が、館内は満席。こどもの日に、陰惨な『連合赤軍』の映画を見に来る酔狂な大人とは。だいたいが青春時代を昭和40年代に送ったと思しき中高年だろう。後半になって、トイレに立つ人影が多かったのは、この観客の年齢層故か。

 大雑把に3部構成で、はじめは1960年安保から始まる戦後学生運動史のおさらい。なぜ、連合赤軍は生まれたかを駆け足で解説。中盤がいわゆる連合赤軍リンチ事件といわれた山岳ベースでの陰惨な粛清プロセス、最後があさま山荘での攻防となっている。若松監督お得意の密室劇として展開しながら、連合赤軍事件を徹底して内部から描いた点が映像に力を与えている。あさま山荘を取り囲む外部の状況はすべて音で表されていて、それが緊張感を高め、時折り挿入される上州の山並みの風景にほっとさせられる。このあたりがうまい。恐らく山岳ベースでのリンチは、この映画よりずっとずっと凄惨であったはずだが、リンチは否定しても権力に立ち向かって挫折した当時の若者に対する若松監督の共感がそこかしこに感じられる映画ではある。できたら、山荘の中でラジオをつけると、「また逢う日まで」とか当時の流行った歌謡曲が流れてくるシーンがほしかったが。

 あさま山荘事件が起きた日、ぼくは翌日の某私立大学の受験を控え、練馬にある兄の下宿に寝泊りしていた。同じ下宿に同級生のYがいて、Yの部屋でずっと報道の中継画面を見ていた。明日の受験のことより、事件の展開が気になって仕方なかった。結局それから10日立って事件は終結するのだが、あさま山荘ともつ焼きの「金ちゃん」(いまも健在とか)通いがたたって、みごと受験には失敗したのだった。

 その頃僕が、よく聴いていたのはバッハとモーツァルト、マイルス・デイヴィスなのだが、頭の中で鳴っていたのは、ペドロ&カプリシャスの「別れの朝」(もちろん前野耀子バージョンです)だった。あさま山荘事件は、僕の誕生日の翌日起きたのだが、その1年前、僕は、図書館で久しぶりに会ったKという髪の長い女の子から、誕生日プレゼントにジョン・レノンの「LOVE」をレターメンがカヴァーしたシングル盤(ムード歌謡みたいだったけど)をもらったのだが、それっきり会えなくなっていて、なぜか「別れの朝」を聴くたびにKのことを思い出していた。だから、あさま山荘事件の頃を思うと「別れの朝」とKのことを思って切ない気持ちになるのだった。

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