ポップス1280曲の紹介本かと手に取ったジム・トンプスン「ポップ1280」に、まるでシャブでも打たれたような(もちろん打ったことないけど)衝撃を受けて、すっかりジム・トンプスン漬けになってしまった今日この頃。
「ポップ1280」「おれの中の殺し屋」「失われた男」と扶桑社ミステリーの文庫版だけでは待ちきれず、ペーパーバック版「死ぬほどいい女」にも手を出す始末。これをやり続けるとリバウンドが怖い。みかけと外面はいいが狡猾で冷酷な内なる殺人者を抱えている主人公たちに共感してしまう私がこわい。だから、虚空に放り出されるような結末を迎える「失われた男」(The Nothing Man)には、むしろホッとさせられてしまうのだった。
「失われた男」が書かれた1950年代。アメリカン・ドリームと未曾有の経済成長の一方で冷戦や赤狩り、人種差別に揺れるアメリカ。それは、ブラックミュージックとしてのハードバップの隆盛というドラッグと隣り合わせの精神の解放が進んだ時代でもあった。クリントン・ブラウンは傷痍軍人手当てをもらう南カリフォルニアの地方都市のやり手新聞記者だ。だが、戦争で失ったのは、こともあろうにポコチンで、それをひた隠しに隠しながら、秘密が露呈される不安や思い込みから殺人を重ねていく。結末で警部のスチューキーと立場が逆転する、そのどんでん返しの妙がThe Nothing Manたる所以なのだが、死ぬこと、生きること、殺人者となること、男であることも奪われた存在としてしか存在できない「失われた男」は、虚無に酒を満たして生きるほかはないのだった。
日本語には下品で汚い罵詈雑言のボキャブラリーが少ないので、なんでも「クソ」になってしまうと翻訳者を悩ませるくらい汚い言葉が連続し、舞台設定や主人公のマカロニウエスタン的アナーキーさという点では「ポップ1280」が勝るが、この小説が書かれた半世紀という時間を越えて、今という時代の虚無の姿を提示しているようで、すごいぞトンプスンと喝采を贈りたくなる快作なのだった。
「ポップ1280」「おれの中の殺し屋」「失われた男」と扶桑社ミステリーの文庫版だけでは待ちきれず、ペーパーバック版「死ぬほどいい女」にも手を出す始末。これをやり続けるとリバウンドが怖い。みかけと外面はいいが狡猾で冷酷な内なる殺人者を抱えている主人公たちに共感してしまう私がこわい。だから、虚空に放り出されるような結末を迎える「失われた男」(The Nothing Man)には、むしろホッとさせられてしまうのだった。
「失われた男」が書かれた1950年代。アメリカン・ドリームと未曾有の経済成長の一方で冷戦や赤狩り、人種差別に揺れるアメリカ。それは、ブラックミュージックとしてのハードバップの隆盛というドラッグと隣り合わせの精神の解放が進んだ時代でもあった。クリントン・ブラウンは傷痍軍人手当てをもらう南カリフォルニアの地方都市のやり手新聞記者だ。だが、戦争で失ったのは、こともあろうにポコチンで、それをひた隠しに隠しながら、秘密が露呈される不安や思い込みから殺人を重ねていく。結末で警部のスチューキーと立場が逆転する、そのどんでん返しの妙がThe Nothing Manたる所以なのだが、死ぬこと、生きること、殺人者となること、男であることも奪われた存在としてしか存在できない「失われた男」は、虚無に酒を満たして生きるほかはないのだった。
日本語には下品で汚い罵詈雑言のボキャブラリーが少ないので、なんでも「クソ」になってしまうと翻訳者を悩ませるくらい汚い言葉が連続し、舞台設定や主人公のマカロニウエスタン的アナーキーさという点では「ポップ1280」が勝るが、この小説が書かれた半世紀という時間を越えて、今という時代の虚無の姿を提示しているようで、すごいぞトンプスンと喝采を贈りたくなる快作なのだった。
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