悩んでいます

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ
現在の悩み、心のうち

最近気になることは

2017-09-25 06:57:15 | 日記
23・24日は連休の人も多かったことでしょう。
どんなふうに過ごしましたか?

私は外を走ったり、草取りボランティアをしたりでした。

まあ平凡な普通の生活でした。

そんな中でも、ちょっと気になることがいくつかあったので
今日はそれについて書いてみることにしたいと思います。

まず一つ目は、走っているときにハッとしたことです。
それは、前日まで全く気付かなかったのに
突然ヒガンバナが真っ赤な花を咲かせていたこと。

それもまさに秋分の日の頃なんですよね。
今年はお彼岸の2日前ぐらいに咲きました。
私が走るコースの一つに川岸コースがあるのですが
その川岸の崖のようなところに固まって咲いていて
遠目にも鮮やかで、彼岸花が咲いたなと分かります。

年によって気温や太陽の当たり方などが違うだろうに
なぜヒガンバナは毎年同じような時期にパッと咲くのだろうか?
これは私が毎年感じることです。
不思議でしようがありません。

二つ目は果物についてです。
スーパーの果物売り場で最近イチジクが売られていること。
私はイチジクが結構好きなんで時々買います。

軸の方から皮をむくとするりとむきやすい。
それを私は半分くらいに切って食べているけれど
子どもの頃はそのままほおばって食べていましたね。
今はじっくり味わいながら食べるために
小さく切っているけれど・・・。

中は薄赤紫色のような小さな粒が見えて
食べるとほんのりした甘みが口に広がる。
これが何とも言えずに美味しいと感じます。

イチジク農家さんがイチジクを収穫するのが早朝だと聞いています。
朝早く取り入れして出荷してくださっているおかげで
美味しくいただいています。感謝です。

三つめも果物のことです。
私が好きな秋の果物がもう一つあります。

それは柿なんです。
子どもの頃に柿の木に登っては柿をもいで食べていたから
きっとその記憶が元にあって柿が好きと思うようになっているのでしょう。

富有柿、西条柿など柿にもいろんな種類があるようだけど
たいていどんな柿でも美味しく食べることが出来ます。

渋柿は焼酎をふりかけて渋抜きをしたり
皮をむいて干し柿にしたりして食べますが
渋柿も手を加えることで美味しく食べられるので好きですねえ。

子どもの頃、何という柿か分からないですが
棚の中にしばらく置いて全体が真っ赤に熟すまで待ち
熟したのを母が食べさせてくれていました。

食べるときには、皮はしっかりしていましたが
中の実の部分は柔らかなゼリー状になっていて
それがとっても甘くておいしかった記憶があります。

若い人が話すの聞いていたら
「中がジュクジュクしているのは気持ち悪くて食べられない。」
と言っていました。

「え?そうなの?あれってとっても甘くておいしいんだけどね。」
と私は心の中で呟いたんですけどね。

いい季節になりましたね、早く柿を食べたいです。
早くスーパーに並ばないかな。
楽しみにしている私です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

すごい人・・・

2017-09-21 21:57:52 | 日記
世の中にはいろんな人がいるけれど
この人は素敵だなとか、すごい人だなと思う人はいますか?

私は、最近出会った人で、すごいなあと思う人がいます。

ひょんなことから出会うことになりました。

その人は年配の男性です。
小さな声で穏やかに話をする人で
どんな人に対しても大変丁寧に語り掛けたり
微笑んだりしています。

一見したら、すごい人だなんて全然思えないのだけど・・・(失礼!)

でも、その人が、実は私から見たらすごい人なんです。

その人のことを知れば知るほどに、
その人と自分の違いを大きく感じてしまいます。

これまで、日中は会社で働き
夜はいろんな会合に出ていたそうです。
そしてその会合では、大きな役割をもち
会の中心として活動してきたというのです。
○○会の会長とか、○○会の幹事とか、
たくさんの会で活躍してきた人のようです。

だから会社の仕事が終わってからも
家にすぐ帰ることができないばかりか
夜遅くまで会合に参加する日々が続いたというのです。

それを支えてきた奥さんもすごい人だと思うけれど
やはり私が一番すごいと思うのはその人です。

仕事が終わったら、ちょっとのんびりしたい、
そう思う人が多いと思うのですが(私は完全にその口です。)
自分自身のためだけではなくて他の人や会のためにまた集まりに参加するなんて
なかなかできないことではないでしょうか?

なぜそこまでできるのか?
なぜそうまでして活動してきたのか?
きっとその人の中に何か強い信念があったからなんでしょうね。

しかもその人は大変だと言いながらも
その大変さを楽しんでいたかのような話しぶりです。

「いろいろ行くところや会合などがあって
 時々忘れていることがあってね・・・、
 それを思い出させてくれるのは家内の一言なんだよ。」ーと言われる。

「今日は〇時から~ですよ。」と言われてハッと思い出し
また着替えて出かけることがあるーとも言われてました。

でも、そんな自分の姿を思い出して楽しそうに話されるのですから
へ~すごいなあと私は思うのです。

前向きです。
行動することをいとわず楽しむことができるのだから。

穏やかに人の話も聞かれるから安心感があります。

けれども聞くばかりではなく、自分の思いもボソッと言われる。
きっとこれまで意見が対立しそうな会議もあったでしょうが
この人はお互いが気まずくならないような語り掛けをされて
会をうまくまとめられた方だろうと私は想像します。

どうしたらそんなふうになれるのだろう?

その人の言動を身近に感じさせてもらいながら
その秘密を私なりに解き明かしてみたいと思っているところです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2017-09-20 23:47:54 | 日記
今日、私は目を合わせることの大切さについて
強く感じたので書いてみたいと思います。

私は大体が恥ずかしがり屋で、自分から知らない人に声をかけるのが苦手です。

スポーツジムに行くと、同じような時間帯に来る人は決まっていて
顔見知りの人が何人かいるわけですが
私は自分から声をかけて仲良くしようという気持ちになりません。

黙々とトレーニングをして、お風呂に入って帰って来るというタイプです。

今日、同じエアロに出たことがある人と
偶然ジムフロアで会いました。

向こうも私のことを知った人だと分かり
私もその人はこの前会った人だなと
お互いに会った時に瞬時に意識した
それが本当のところだったんだと思うのですが
たがいに目を見て挨拶をしたのです。

しかもお互いににっこりして・・・。

「ああ、これなんだな。この互いに目を見て声をかけるということだけでも
 相手を認めるということなんだ。ここから仲良くなれるのかも。」
なんて私は改めて思ったのです。

そんなこと今まで知らなかったの?
そう言われそうですね。

いえね、知っていましたよ。
でもそれを実践することが出来ないことが多かったということです。

雰囲気でこの人とはちょっと合わないかもと思ったり、
すぐ近くにいるのに全く無視したような態度で嫌な気分だなと感じたり、
進んで声をかけるということができにくかった。

でも、ほんの一言でもいいから声をかける
しかも目を見て声をかけるってことが
本当はとっても大切なのじゃないかと思ったのです。

なぜなら、「あなたのことに関心がありますよ。」と
暗にそれを伝えることにつながっていると思うから。

無視されるのは自分でも悲しいし寂しい。

でも目を見てしっかりと声をかけるということは
相手の存在を認めていますよと言っているのと同じじゃないかな。

もしも目を見ないで話を聞かれたら
「この人は私の話を聞きたくないのかな?」とか
「この人は私が嫌いだから目を見ないのかな?」とか
いろいろ気になって来るのではないかと思うのです。

目って、その人の感情を伝えてしまう気もします。
挑戦的な目、憎らしいと思っていることが分かるトゲトゲした目。
また会ったねと喜んでいる目。
声をかけられて初めは驚いているけれどじわっと喜びにかわる目。

温かな目を人に向けることが出来たらいいのだけど・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

敬老の日に思う

2017-09-19 20:05:40 | 日記
今年は9月18日が敬老の日でしたね。

敬老の日は
「多年にわたり、社会に尽くしてきた老人を敬愛し、その長寿を祝う趣旨で1966年に定められた」
そうですが、
祝日でもありお年寄りにプレゼントをしたり食事をしたりすることも多いようで。

今年も敬老の日ということで家族からプレゼントをもらったり
一緒に食事をしたりしたお年寄りが多いのでしょうか。

ところで敬老の日にお祝いされる人は何歳ぐらいからなのか?
私は気になって調べてみました。
すると大体65歳ぐらいかららしいことが分かりました。

でも最近は60歳代はまだ若者、70歳代でも元気満々という人が多く
80歳代であってもかくしゃくとしている人も多い。

そんな様子であるのに、ただ年齢のみで「老人」扱いしていいのか?
私はそこが気になります。

もちろん家族からお祝いをしてもらい
「長生きしてね。」と言われて嬉しかった人もたくさんいると思うから
敬老の日を否定するつもりはありません。

しかし、祝ってもらう対象の人がどう考えているのかということを
まわりももっと知る必要があるのではないかと思うのです。
まだまだ世のため人のため、それに自分のためにどんどん活動していきたい
そう考えている人もたくさんいるはずではないでしょうか。

私の周りの高齢の方を見る限りそう思わざるを得ません。
ボランティア活動の中心となられている方は70歳代だと聞きました。

ところで、現在100歳以上の方は全国で6万7824人おられるとか。
(そしてそのうちの5万9627人は女性で、
 全体の87.9パーセントを占めるそうです。)

そう考えると、60代は特に老人という扱いは問題があるような気がします。

社会貢献できる元気とエネルギーに満ちている人よりも
周りの人に助けてもらいながら生活していく人の方が増えたら
いったいどういうことになるのか?
自分もいつか人の手を借りながら生きていくようになるのだろうけど
でも助けてもらえないぐらいの世の中になる可能性もある。

それが何だか怖くなる。

私自身は、80代半ばぐらいまで生きられたらいいかなと思っています。
実際はどうなるか分からないけれど
でも長生きすることが本当にいいのかどうか
今の私にとってはどうもよく分かりません。

生きたい人は生き、もういいやと思う人は死ぬことが出来たらいいのになと
ついつい勝手なことを考えてしまいます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台風18号 どうでした?

2017-09-18 20:33:09 | 日記
台風が上陸する・・・と何日も前からニュースで取り上げられて
いつくるのかいつくるのかとここのところずっと心配していましたが
ついにきましたね。

私の住んでいるところは17日日曜日の午後から
雨風が強くなってきました。

外に出ると雨が斜めに降り、辺りが真っ白に見えるほどの激しさでした。

家の中ではスイッチを入れていないのに換気扇が音を立てて回り
風の強さを感じました。

そのため17日は家の中でじっとして過ごすことにしました。

買い物にも行かず、外に出て走ることもせず
洗濯ものも外には干さず、
ひたすら台風情報を見ているといった感じでした。

台風で停電になったら困るから…と思って
私は明るいうちに夕ご飯の準備をして何時でも食べられるようにし、
懐中電灯をすぐ使えるところに置き、
さあ、いつでも大丈夫だ!と構えていたんですよ。

でも、そんなに構える必要もなかったのか?
台風はあっという間に去っていきました。

夜には、ベランダで星がキラキラ光るのが見えましたからね。

あまり影響がなくて済んだのでほっとしました。

しかし、台風で畑はどんなことになっているのか
私はそれが一番気になっていたので
今朝一番に畑に行ってみました。

前回は大水があふれて土が流されていたので
今回もそんなことになっているのではないかと心配でした。
すぐそばに用水路があるから。

どうだったと思いますか?

それがね・・・・
予想していたのとは違っていました。

殆ど影響もなく、野菜たちはみな無事で
畑の土も流されていなかったので一安心。

ただ背丈が高くなっている黒豆が
風にあおられて茎が倒れていましたけど
ちょっと起こして支柱で支えなおしてやると
すぐに元通りになりました。

いろいろな野菜が土でちょっと汚れたようになっていたので
じょうろで水をかけてきれいにしなくてはなりませんでしたが
大したことはありません。

良かった~~~。

でも今回の台風で、家が壊れたり屋根が飛ばされたりしたところもあったそうだから
単純に喜んでばかりはいられませんね。

自然の力のすごさというか怖さというか、力の大きさを
こんなことがあるたびに感じます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする