ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

照和その9

2013-05-13 13:35:31 | メディア
甲斐さんが照和に復帰され
3ヶ月くらい経った頃…

後の『自称・甲斐よしひろのマネージャー』こと小宮真一さんが

甲斐さんに『コンサートを開こう』と
声をかけて来たそうだ

左手でギターを掻き鳴らし
精力的に歌う甲斐さんを見て

『なんて根性のある奴なんだろう』と
ファンになってしまったらしい(笑)

イベント企画の手伝いをしたり
『マリモ』のバンドマネージャーをやっていた小宮さんは

ご自身が舞台に上がるより
裏方で働くことが好きになられたようだ

ちなみに…

『マリモ』の永隈晋さん、長岡さん
『三輪車』を解散した大森さんは

3人で『新撰組』というバンドを結成されていたそうだ


甲斐さんは
まだ本格的に歌い始めて日が浅いし

800人も収容できる会場なんて
大き過ぎて自信もないと

小宮さんの誘いを断ったらしいんだけど

小宮さんは連日、照和に現れては
何度も何度もかき口説いたという(笑)

甲斐さんいわく…

執念に圧倒され(笑)根負けして
OKしてしまった

ただし、演るなら全部オリジナル曲で…
とこだわった甲斐さん

まだ数曲しかなかったオリジナルを
本格的に作り始めたそうだ

家出中にも合宿所で
【バス通り】【恋時雨】と

後の【かりそめのスウィング】の原曲となる
【師走】を作られたらしい

甲斐さんいわく…

このことは今日の俺を形成する上で
貴重なシーンだったかも知れない


当時のアマチュアのコンサートは
税金に煩わされることがないよう

100円に設定されることが多かったらしい

義理でチケットを買って貰えたとしても
忘れてしまったり、気が変わったりして

行かずに済ませても惜しくはない金額
まして当日に雨が降ったら…(汗)

甲斐さんはご自身がまだ無名で

しかも照和でしか歌っていないことを
不安に感じておられたようだけど

当日、会場には900人の観客が詰めかけたという

この数字は当時
アマチュア単独ライブでの新記録だったそうだ

ライブは生ギター1本から始まり
エレキに持ち替えると、バックバンドが入る

後半からカントリーバンドがバックを勤め
最後は生ギター1本で締めくくる

という2部構成だったようだ

ちなみに、この時のミキサーは
松藤さんが勤めておられたらしい

甲斐さんは
この日の拍手の重さと暖かさを
しっかり胸に刻み込んだという

甲斐さんいわく…

このライブに駆けつけてくれた人たちは

俺という人間に
初めて期待をかけてくれた人たちなんだ

滅入りそうな時や
どうしようもなくツキに見放された時
いつもこの瞬間を思い出す

このコンサートが支えてくれたから
苦しくても止めようとは思わなかった


以前にも触れたことがありますけど

甲斐さんはこの日に

『本気でプロになろうと決めた
いや、本当のプロになったんだ』
と思われたそうだ
コメント
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