井上陽水さん、チューリップ、海援隊と
福岡から相次いでスターが誕生したことで
福岡は『日本のリバプール』と言われ
東京のレコード会社や音楽関係者の注目を集めた
猫も杓子も『福岡出身』というだけで
ひとくくりにされていることに反発して(笑)
西田四郎さんが甲斐バンドに
『九州最後のスーパースター』という
キャッチフレーズをつけたのは有名ですよね(笑)
それはさておき…
照和出身のミュージシャンは皆さん
KBC九州朝日放送の岸川均さんを始め
RKB毎日放送の野見山実さん
TNCテレビ西日本の藤井伊久蔵さんなど
博多の放送局の方々を恩人と呼んでおられます
福岡ドームの柿落としライブは
野見山さんの定年退職がきっかけだったようだし(笑)
甲斐さんが博多でのライブのたび
岸川さんに会いに行かれていたのも以前にご紹介しました
藤井さんは
小倉の井筒屋文化ホールや福岡の明治生命ホールで
定期的にフォークソング・フェスティバルを開催され
演奏の場がなかった
アマチュアグループの登竜門として人気を集めておられた
野見山さんは
『スマッシュ・イレブン』というラジオの深夜番組で
アマチュアのオリジナル曲を放送されていた方です
当時、働きながらプロを目指していた陽水さんは
学生中心のフォーク状況には縁がなく
音楽関係者との繋がりもなかったので
番組の担当者に会わせて欲しいと
直接RKBを訪ねて行き
野見山さんにデモテープを聴いて貰ったそうだ
野見山さんは即座に『これはいい!』とおっしゃって
その後すぐにスタジオで録り直し
ラジオで放送されたという
リスナーから再放送のリクエストが殺到し
再び曲を流すと更にリクエストが…!
遂にナンバーワンに輝いたそうだ
野見山さんが陽水さんを
CBSソニーのディレクターに紹介したことで
陽水さんのプロデビューが決まったらしい
野見山さんは
衣食が足りたら、次は音楽。音楽は生活必需品(笑)
とおっしゃるほど音楽好きな方だけあって
良いと思った音楽に対する反応が速かったようだ(笑)
岸川さんは
『ショコラ・ヤングナイト』や『歌え!若者』という
アマチュア参加番組を作っておられた
元は『みんなで一緒に』という30分番組だったものを
1時間に拡大した『歌え!若者』にはスポンサーが付かず(汗)
番組編成の時期には
孤軍奮闘で継続を主張されていたらしい(笑)
文化放送でも似た話を聞いたような気が…(爆)
福岡が注目の的になっていた頃
岸川さんには連日のように
東京のレコード会社や音楽関係者から電話がかかり
新しいミュージシャンや人気が出て来たバンドはいないかと
問い合わせられたそうだ
岸川さんは『青田刈りもいい加減にしろ』と
ウンザリされていたらしい(苦笑)
アマチュア時代の恩人と言われることについては…
良い曲があれば、世に出してやりたいと思うし
たまたま自分が役に立てる場にいただけで
彼等は自ら躍り出たんです
甲斐さんいわく…
今や慣習にさえなっている
『アーティストが売れると何らかの権利を主張する』
ということさえしない清廉潔白の人だった
という訳で
次回も岸川さんについてのお話を…
福岡から相次いでスターが誕生したことで
福岡は『日本のリバプール』と言われ
東京のレコード会社や音楽関係者の注目を集めた
猫も杓子も『福岡出身』というだけで
ひとくくりにされていることに反発して(笑)
西田四郎さんが甲斐バンドに
『九州最後のスーパースター』という
キャッチフレーズをつけたのは有名ですよね(笑)
それはさておき…
照和出身のミュージシャンは皆さん
KBC九州朝日放送の岸川均さんを始め
RKB毎日放送の野見山実さん
TNCテレビ西日本の藤井伊久蔵さんなど
博多の放送局の方々を恩人と呼んでおられます
福岡ドームの柿落としライブは
野見山さんの定年退職がきっかけだったようだし(笑)
甲斐さんが博多でのライブのたび
岸川さんに会いに行かれていたのも以前にご紹介しました
藤井さんは
小倉の井筒屋文化ホールや福岡の明治生命ホールで
定期的にフォークソング・フェスティバルを開催され
演奏の場がなかった
アマチュアグループの登竜門として人気を集めておられた
野見山さんは
『スマッシュ・イレブン』というラジオの深夜番組で
アマチュアのオリジナル曲を放送されていた方です
当時、働きながらプロを目指していた陽水さんは
学生中心のフォーク状況には縁がなく
音楽関係者との繋がりもなかったので
番組の担当者に会わせて欲しいと
直接RKBを訪ねて行き
野見山さんにデモテープを聴いて貰ったそうだ
野見山さんは即座に『これはいい!』とおっしゃって
その後すぐにスタジオで録り直し
ラジオで放送されたという
リスナーから再放送のリクエストが殺到し
再び曲を流すと更にリクエストが…!
遂にナンバーワンに輝いたそうだ
野見山さんが陽水さんを
CBSソニーのディレクターに紹介したことで
陽水さんのプロデビューが決まったらしい
野見山さんは
衣食が足りたら、次は音楽。音楽は生活必需品(笑)
とおっしゃるほど音楽好きな方だけあって
良いと思った音楽に対する反応が速かったようだ(笑)
岸川さんは
『ショコラ・ヤングナイト』や『歌え!若者』という
アマチュア参加番組を作っておられた
元は『みんなで一緒に』という30分番組だったものを
1時間に拡大した『歌え!若者』にはスポンサーが付かず(汗)
番組編成の時期には
孤軍奮闘で継続を主張されていたらしい(笑)
文化放送でも似た話を聞いたような気が…(爆)
福岡が注目の的になっていた頃
岸川さんには連日のように
東京のレコード会社や音楽関係者から電話がかかり
新しいミュージシャンや人気が出て来たバンドはいないかと
問い合わせられたそうだ
岸川さんは『青田刈りもいい加減にしろ』と
ウンザリされていたらしい(苦笑)
アマチュア時代の恩人と言われることについては…
良い曲があれば、世に出してやりたいと思うし
たまたま自分が役に立てる場にいただけで
彼等は自ら躍り出たんです
甲斐さんいわく…
今や慣習にさえなっている
『アーティストが売れると何らかの権利を主張する』
ということさえしない清廉潔白の人だった
という訳で
次回も岸川さんについてのお話を…