なぜ福岡から多くのミュージシャンが…?という質問に
森山達也さんが映画の中で
(福岡の人は)祭りごとが好き
良い意味で目立ちたがり屋
(最新の)情報が入らないし遅いので
流行に関係なく
好きな音楽を独自のスタイルでやるしかない
それが当たったんじゃないかと話されてました
外国のアーティストが来日しても大阪、広島止まりで
なかなか福岡まで来なかったという話もされていたけど…
甲斐さんが東京にコンサートを見に行かれた時
開演前に会場の前や隣の席の方が
フライドチキンやハンバーガーを食べているのを見て
ひどく驚かれたそうだ
甲斐さんにとっては
はるばる出向いた一大イベントなのに
東京の人にはコンサートなんて
日常茶飯事なんだと気づいたかららしい
同様の質問に岸川さんは
物怖じしない開けっ広げな性格の人が多いし
『年長者は絶対』という風土で
礼儀作法が身についていることが
東京の関係者の方に可愛がられたのでは…?
FENが流れていて
アメリカ先端の音楽がふんだんに聞けたことや
大学が数多くあって若者が大勢いたことで
音に馴染む機会や人が多い
東京に行っても福岡を懐かしみ
大切に思っている奴ばかりですよ(笑)
とおっしゃってます
門田一郎さんによると…
岸川さんは
アマチュアがプロを夢見ることを否定しない
でも、岸川さんに認められればプロになれると
錯覚しているようなバンドが
デモテープを送って来たり
プロになりたいと相談したりすると
冷たく突き放す人だったという
岸川さんいわく…
次から次にデモテープを持って訪ねて来られると
のぼせ頭に水をかけることばかりしていた(笑)
上京の相談を受けるといつも反対した
上京して成功するのは何百人にひとり
地方民放局の一ディレクターが
『行け!きっと成功する』なんて
とても言えなくて悩みました(苦笑)
飛行機と言ってもプロペラ機だし
夜行寝台で16時間もかかった頃ですから
東京は遠かったんですよ、距離もメンタルも…
売り込みなんて
どうしたらいいのか全く判らなかった(苦笑)
その一方で、妙安寺ファミリーバンドに
プロデビューの話が持ち上がった時には
KBCの専属バンドかのように
番組やイベントに何度も呼んでは出演させ
物凄い後押し振りだったそうだ
壮行会として
フェアウェル・コンサートを企画され
本気で応援しておられたのに
デビュー話が流れた時は
相手のディレクターに随分と抗議して
もうアイツとは絶交だ!とおっしゃったらしい
門田さんは
プロになれなかったことは残念だけど
岸川さんが久保さんの仲人を引き受けられたり
仲西さんが開店したレストランに
ご家族で通って下さったりして
プライベートなお付き合いを続けて来られたことが
何よりも嬉しかったそうだ
最後は門田さんのご実家である妙安寺に
お墓を建立して頂いたようで
切っても切れない縁を大切に
心の中に仕舞っておられるという
森山達也さんが映画の中で
(福岡の人は)祭りごとが好き
良い意味で目立ちたがり屋
(最新の)情報が入らないし遅いので
流行に関係なく
好きな音楽を独自のスタイルでやるしかない
それが当たったんじゃないかと話されてました
外国のアーティストが来日しても大阪、広島止まりで
なかなか福岡まで来なかったという話もされていたけど…
甲斐さんが東京にコンサートを見に行かれた時
開演前に会場の前や隣の席の方が
フライドチキンやハンバーガーを食べているのを見て
ひどく驚かれたそうだ
甲斐さんにとっては
はるばる出向いた一大イベントなのに
東京の人にはコンサートなんて
日常茶飯事なんだと気づいたかららしい
同様の質問に岸川さんは
物怖じしない開けっ広げな性格の人が多いし
『年長者は絶対』という風土で
礼儀作法が身についていることが
東京の関係者の方に可愛がられたのでは…?
FENが流れていて
アメリカ先端の音楽がふんだんに聞けたことや
大学が数多くあって若者が大勢いたことで
音に馴染む機会や人が多い
東京に行っても福岡を懐かしみ
大切に思っている奴ばかりですよ(笑)
とおっしゃってます
門田一郎さんによると…
岸川さんは
アマチュアがプロを夢見ることを否定しない
でも、岸川さんに認められればプロになれると
錯覚しているようなバンドが
デモテープを送って来たり
プロになりたいと相談したりすると
冷たく突き放す人だったという
岸川さんいわく…
次から次にデモテープを持って訪ねて来られると
のぼせ頭に水をかけることばかりしていた(笑)
上京の相談を受けるといつも反対した
上京して成功するのは何百人にひとり
地方民放局の一ディレクターが
『行け!きっと成功する』なんて
とても言えなくて悩みました(苦笑)
飛行機と言ってもプロペラ機だし
夜行寝台で16時間もかかった頃ですから
東京は遠かったんですよ、距離もメンタルも…
売り込みなんて
どうしたらいいのか全く判らなかった(苦笑)
その一方で、妙安寺ファミリーバンドに
プロデビューの話が持ち上がった時には
KBCの専属バンドかのように
番組やイベントに何度も呼んでは出演させ
物凄い後押し振りだったそうだ
壮行会として
フェアウェル・コンサートを企画され
本気で応援しておられたのに
デビュー話が流れた時は
相手のディレクターに随分と抗議して
もうアイツとは絶交だ!とおっしゃったらしい
門田さんは
プロになれなかったことは残念だけど
岸川さんが久保さんの仲人を引き受けられたり
仲西さんが開店したレストランに
ご家族で通って下さったりして
プライベートなお付き合いを続けて来られたことが
何よりも嬉しかったそうだ
最後は門田さんのご実家である妙安寺に
お墓を建立して頂いたようで
切っても切れない縁を大切に
心の中に仕舞っておられるという