ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

照和その4

2013-05-09 08:39:03 | メディア
甲斐さんは高校2年の時
同級生の半田さん、1学年下の中野さんと
『ノーマン・ホイット・フィールド』を結成された

ラジオ番組に出演して
ギター2本とブルースハープで

CCRの【フール・ストップ・ザ・レイン】と【ロディ】
キャンドヒートの【ゴーイン・アップ・ザ・カントリー】を演奏され

7,000円のギャラを貰って意気揚々♪(笑)
その勢いで照和に初めて足を踏み入れたそうだ

飛び入りで照和のステージに上がり
持ち歌が5曲しかないにも関わらず(笑)
MCを交えて30分ほどにまとめたという(笑)

それ以来、毎週レギュラーで
出演されるようになったんだから
勢いというのはオソロシイものです(笑)

この時のラジオ番組とは別の番組に出演された時に

人気バンド『三輪車』の大森さんが
左手でギターを弾くハスキーな声の高校生に
目を止めておられたようだ(笑)

それはさておき…

洋楽を英語で歌う甲斐さんは
女性客より圧倒的に男性客から支持されたらしい

姫野達也さんが
甲斐さんの【ヘルプレス】を聴いて

『いい声だね、君いくつ?』と声をかけられたという

オリジナルを作って演奏すれば
女の子にモテるよ!と言われたとか…(笑)

大森さんも
ブルースシンガーが【ヘルプレス】を歌うと

こんな曲になるんだと驚いておられたそうだ


就職を希望していた甲斐さんは
バンドを解散して照和を辞めたものの

退職したその日に照和に復帰される

映画の中で甲斐さんが話されていたけど…

『絶対、戻って来る』と思われていた照和の関係者の方々

『いつ戻って来るか?』の賭けは
どなたが勝ったんでしょうね?(爆)


甲斐さんが復帰された頃の照和は
チューリップ、海援隊が上京し

イチローさんがいた『リンドン』
後に松藤さんが加入した『ピエロ』
『ラム』など人気バンドはあったけど
やはり集客力が落ちていたという

照和のステージは
曜日ごとにランクが決まっていて

土・日はチューリップ・海援隊のような人気バンド

次が水・木曜日、月・金曜日と続き
火曜日が一番下だったようだ

1日に2組が出演し
時間帯では、6・8時からのステージの方が

7・9時のステージよりも上とされていたらしい

だから新人は火曜日の7・9時に出演することになる

ただ、一番入りが悪いのは月曜日で
一度も満席になったことがない厄日だったようだ

甲斐さんはあえて月曜日を選び
その厄日を盛り上げることで
店全体の底上げを狙ったらしい

門田一郎さんによると…

チューリップ、海援隊なき後の照和は
甲斐さん一人で支えていたと言っても過言ではないそうだ


『リグビー』を解散した長岡さんが
月曜日にはいつも後ろの方で見ておられたらしい

甲斐さんいわく…

俺のオリジナルに好きな曲でもあるのか?
変わった関係者がいるな(笑)

当時、長岡さんは他のアマチュアバンドの方から

『一緒に東京へ行こう』と誘われていたんだけど
それには首を縦には振らず

『甲斐となら行ってもいいな』と思われていたという


昼間に甲斐さんがギターを弾いていると

大森さんが『ちょっとベース弾いていい?』

『知ってる曲やってみない?』と話しかけてこられ

二人でマイナーのブルースを演奏されたという

後に甲斐さんが
『甲斐バンドは大森さんと作った』とおっしゃったのは

もちろん1番にメンバーになられたこともあるでしょうけど

この時の演奏が心に残っておられたからではないかと…?

甲斐さんは何を演奏されたのか
覚えてないそうですけど(汗)

大森さんの印象は
『非常に優しそう』だったという

余談ですが…

当時の松藤さんは

学生服姿でタバコをスパスパ吸いながら(爆)
ギターを弾いておられたらしい

甲斐さんと初めて話したきっかけが
『バス代貸してください』(爆)

この話をされると甲斐さんはいつも
『タクシー代』とおっしゃるらしく

そのたび松藤さんが『バス代』と訂正されるという(爆)

最後は必ず
『1度500円借りたら、一生ネタにされる』
と嘆いておられるそうだ(爆)
コメント
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