『その40』って…マジか!?ってカンジなんですが(苦笑)
これだけ書いても甲斐さんの音楽人生を
スミからスミまで網羅できるはずもなく(汗)
簡単な年表に毛が生えた程度で恐縮ですm(_ _)m
が、やり始めたからには続けますよ、このザックリしたペースで…(笑)
という訳で…パートナー・ツアーが終わり、年明け第一弾の甲斐報で
甲斐さんは、まず1997年を振り返られ
『世の中なっちゃいねえな』っていうのがひとつ
もうひとつは、パートナー・ツアーで『ゲスト疲れしてる』と話されてます(苦笑)
前者は、この時期の甲斐報にも度々投稿されてる
『お子様連れ』の参戦についてのご感想らしく
ファンの方の間でも『連れて行きたい』方と
『自粛すべき』とおっしゃる方で意見が分かれていたようで
奥さんは実害(失礼!)に遇った訳じゃないけど
チケットに『6才未満』とか『未就学児童』と書いてあるのは
甲斐さんも含め主催者側の意向は『そういうことでしょ?』と…
ライブ中にグズッてた?らしいお子さんに
甲斐さんは『ごめんね、おじちゃん、すぐ終わるからね(笑)』とおっしゃってたそうですが
このインタビューには…
子供が大音響の中、一番前で泣き叫んでんだよ
お母さんは必死で楽しんでて、お父さんはその横で
逃げる子供を押さえつけてるんですよ
それって、一種の幼児虐待な訳じゃない
2時間そこに立たしてたら泣きわめくかどうかって
親としては見極めが出来てるはずじゃない…と、かなりキビシイお言葉が…(汗)
当時、奥さんは開場前の行列で
お母さんらしき女性が小さな女の子に
『〇〇ちゃん、お年はいくつかな?』と訊ねておられるのを見かけたそうだけど
『むっつ!』と答えた女の子は、絶対6才未満だったんだとか…(苦笑)
でも、別のライブ会場では
男の子の手を引いて来場されたお父さんが
入口の前で『〇〇はまだ5才だから入れないんだよ』と男の子と別れ
お一人で入場なさったそうですが
近くにお母さんらしき方は見当たらず
『この子、一人で帰れるのかな?』と心配したという(苦笑)
ここ数年、奥さんがしみじみと言ってるのは
若い頃は、仕事の都合や結婚・育児が参戦できない理由だったけど
最近は、自分の体調が思わしくないからという風に変わって来てると…(汗)
アリスの再結成の時に谷村新司さんが
『昔は空席を見つけると仕事で遅れてるのかな?と思ったけど、今は…(苦笑)』と
話されていたのと同じような感慨なんでしょう(笑)
それはさておき、後者については…
夢中でやってる最中も、それなりに冷静だったし
やり終えた充実感もあったんだけど、終わってみると少々疲れたなと…
人を揃えて量で押し切るのもアイデアやパワーがいるし
それなりの度胸も必要じゃないですか
でもそれをやり切ったことで、今年はそのパワーやアイデアを
質の方に展開していけると話されてますが
ツアーメンバー自体は、青山純さん、荻原メッケンさん
鎌田ジョージさんと時々(笑)前野さんだったんですよね(笑)
ともあれ、1998年最初のサプライズは
2月に福岡で行われた『伝説ライブ』
岸川さんがKBC九州放送をご卒業になるとのことで
お世話になったミュージシャンの方々が企画されたそうだ
『ドリームライブ』の際も『鍋』が『福岡ドームの柿落とし』になっちゃったみたいだし(爆)
やっぱり、福岡の方はお祭り好き(笑)…じゃなくて
『受けた恩義は忘れない』という気質がおありなんでしょうね
その2日目に甲斐バンドが『ワンマン』で登場♪
ちなみに、後の3日間はオムニバス形式だったらしい(笑)
以前にご紹介しましたけど、奥さんはライブ直前に急に参戦可能になって
事務所の方にお手数をおかけしたのが、このライブです(苦笑)
それが主賓の岸川さんの斜め後ろの席だったらしく
ステージから甲斐さんに紹介されて
起立なさった岸川さんにピンスポが当てられた際
奥さんもモロに照らされたそうだ(笑)
ついでにいえば、甲斐さんが後に発売された
『かさぶた』用の写真を撮影されたのもこの日だったようですが
奥さんは、同じ日に同じ場所を散策していたのに
チラッとも甲斐さんをお見かけすることもなく(爆)
よく似た構図の写真を持ち帰ってました(笑)
この日は、96年の甲斐バンド復活の時と同じく『M.I.』のテーマで登場され
デビューのきっかけとなった【ポップコーン】が1曲目だったり
メンバー4人だけで【バス通り】を演奏されたり
MCでは、照和時代の思い出を話されたり
『このコンサートをやれること自体が僕たちの誇り
メッセージでもあるし、ステイトメントでもある』とおっしゃったそうで
正に『ONLY ONE NIGHT』なライブだったようです♪
後の甲斐報には…
博多のギグは楽しみながらハツラツとやるというキーワードで
1曲1曲その曲を作った時代の風景と想いを胸によぎらせ唄った
(打ち上げのお店では)メンバーみんないい顔をしている…という甲斐さんの言葉と
甲斐くんが東京に進出し、成長していく過程をずーっと見つめられてきた
こんな幸せな経験が出来て、ディレクター冥利につきます
ますます大きく成長するのを福岡でじーっと見つめていきます
…という岸川さんの言葉が…
今も空の上から見守っておられるんでしょうね
余談ですが…この年のお正月には甲斐さんから
お子さん達の写真入りの年賀状が届いたそうで
今まで甲斐さんとプライベートな話をしたことがなかったので嬉しかったとおっしゃってました
これだけ書いても甲斐さんの音楽人生を
スミからスミまで網羅できるはずもなく(汗)
簡単な年表に毛が生えた程度で恐縮ですm(_ _)m
が、やり始めたからには続けますよ、このザックリしたペースで…(笑)
という訳で…パートナー・ツアーが終わり、年明け第一弾の甲斐報で
甲斐さんは、まず1997年を振り返られ
『世の中なっちゃいねえな』っていうのがひとつ
もうひとつは、パートナー・ツアーで『ゲスト疲れしてる』と話されてます(苦笑)
前者は、この時期の甲斐報にも度々投稿されてる
『お子様連れ』の参戦についてのご感想らしく
ファンの方の間でも『連れて行きたい』方と
『自粛すべき』とおっしゃる方で意見が分かれていたようで
奥さんは実害(失礼!)に遇った訳じゃないけど
チケットに『6才未満』とか『未就学児童』と書いてあるのは
甲斐さんも含め主催者側の意向は『そういうことでしょ?』と…
ライブ中にグズッてた?らしいお子さんに
甲斐さんは『ごめんね、おじちゃん、すぐ終わるからね(笑)』とおっしゃってたそうですが
このインタビューには…
子供が大音響の中、一番前で泣き叫んでんだよ
お母さんは必死で楽しんでて、お父さんはその横で
逃げる子供を押さえつけてるんですよ
それって、一種の幼児虐待な訳じゃない
2時間そこに立たしてたら泣きわめくかどうかって
親としては見極めが出来てるはずじゃない…と、かなりキビシイお言葉が…(汗)
当時、奥さんは開場前の行列で
お母さんらしき女性が小さな女の子に
『〇〇ちゃん、お年はいくつかな?』と訊ねておられるのを見かけたそうだけど
『むっつ!』と答えた女の子は、絶対6才未満だったんだとか…(苦笑)
でも、別のライブ会場では
男の子の手を引いて来場されたお父さんが
入口の前で『〇〇はまだ5才だから入れないんだよ』と男の子と別れ
お一人で入場なさったそうですが
近くにお母さんらしき方は見当たらず
『この子、一人で帰れるのかな?』と心配したという(苦笑)
ここ数年、奥さんがしみじみと言ってるのは
若い頃は、仕事の都合や結婚・育児が参戦できない理由だったけど
最近は、自分の体調が思わしくないからという風に変わって来てると…(汗)
アリスの再結成の時に谷村新司さんが
『昔は空席を見つけると仕事で遅れてるのかな?と思ったけど、今は…(苦笑)』と
話されていたのと同じような感慨なんでしょう(笑)
それはさておき、後者については…
夢中でやってる最中も、それなりに冷静だったし
やり終えた充実感もあったんだけど、終わってみると少々疲れたなと…
人を揃えて量で押し切るのもアイデアやパワーがいるし
それなりの度胸も必要じゃないですか
でもそれをやり切ったことで、今年はそのパワーやアイデアを
質の方に展開していけると話されてますが
ツアーメンバー自体は、青山純さん、荻原メッケンさん
鎌田ジョージさんと時々(笑)前野さんだったんですよね(笑)
ともあれ、1998年最初のサプライズは
2月に福岡で行われた『伝説ライブ』
岸川さんがKBC九州放送をご卒業になるとのことで
お世話になったミュージシャンの方々が企画されたそうだ
『ドリームライブ』の際も『鍋』が『福岡ドームの柿落とし』になっちゃったみたいだし(爆)
やっぱり、福岡の方はお祭り好き(笑)…じゃなくて
『受けた恩義は忘れない』という気質がおありなんでしょうね
その2日目に甲斐バンドが『ワンマン』で登場♪
ちなみに、後の3日間はオムニバス形式だったらしい(笑)
以前にご紹介しましたけど、奥さんはライブ直前に急に参戦可能になって
事務所の方にお手数をおかけしたのが、このライブです(苦笑)
それが主賓の岸川さんの斜め後ろの席だったらしく
ステージから甲斐さんに紹介されて
起立なさった岸川さんにピンスポが当てられた際
奥さんもモロに照らされたそうだ(笑)
ついでにいえば、甲斐さんが後に発売された
『かさぶた』用の写真を撮影されたのもこの日だったようですが
奥さんは、同じ日に同じ場所を散策していたのに
チラッとも甲斐さんをお見かけすることもなく(爆)
よく似た構図の写真を持ち帰ってました(笑)
この日は、96年の甲斐バンド復活の時と同じく『M.I.』のテーマで登場され
デビューのきっかけとなった【ポップコーン】が1曲目だったり
メンバー4人だけで【バス通り】を演奏されたり
MCでは、照和時代の思い出を話されたり
『このコンサートをやれること自体が僕たちの誇り
メッセージでもあるし、ステイトメントでもある』とおっしゃったそうで
正に『ONLY ONE NIGHT』なライブだったようです♪
後の甲斐報には…
博多のギグは楽しみながらハツラツとやるというキーワードで
1曲1曲その曲を作った時代の風景と想いを胸によぎらせ唄った
(打ち上げのお店では)メンバーみんないい顔をしている…という甲斐さんの言葉と
甲斐くんが東京に進出し、成長していく過程をずーっと見つめられてきた
こんな幸せな経験が出来て、ディレクター冥利につきます
ますます大きく成長するのを福岡でじーっと見つめていきます
…という岸川さんの言葉が…
今も空の上から見守っておられるんでしょうね
余談ですが…この年のお正月には甲斐さんから
お子さん達の写真入りの年賀状が届いたそうで
今まで甲斐さんとプライベートな話をしたことがなかったので嬉しかったとおっしゃってました