ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

The Covers(6/26)2

2022-07-17 14:29:00 | メディア
ここで「バス通り」が流れ始め、そのジャケット写真と
「甲斐よしひろ 福岡県出身 ロックバンド『甲斐バンド』としてデビュー」というクレジットが出て

再び「語り」の堂本光一さんが…
「甲斐さんは、1974年、甲斐バンドを結成し、1stシングル『バス通り』でデビュー
翌年、2ndシングル『裏切りの街角』がロングヒットを記録します」…と紹介なさると
曲は「裏切りの街角」に変わり、画面には、そのジャケ写と
「ロングヒットを記録し注目を集める」の文字

そして…「そんなバンドとして注目が高まっていた78年
甲斐さんはソロ名義で、いち早くカバーアルバムを制作しました
レコーディングは音楽の本場、アメリカはテネシー州のナッシュビルで決行

その後、3枚のカバーアルバムを発表
60年代の名曲からJ-POPシーンを代表するロックナンバーまで
時代とジャンルを越える楽曲を、甲斐さんならではのアレンジでカバー
こだわり抜いてカバーに向き合い続けて来た、ロック界屈指のカバーの名手です」

…というナレーションに合わせ、まずは「翼あるもの」のジャケットと
「初カバーアルバム『翼あるもの』(1978)
バンド活動中にソロ名義で発表」とのクレジットが映り
その収録曲である「グッドナイト・ベイビー」が流れたかと思ったら
そのオリジナルである「ザ・キングトーンズ」の「グッドナイト・ベイビー」のジャケ写がドン!

そこから「甲斐よしひろとカバー」というチャプターの下、ザ・モップスの「朝まで待てない」や
BOOWYの「マリオット」、斉藤和義さんの「歩いて帰ろう」
椎名林檎さんの「歌舞伎町の女王」のジャケ写がスライドし、そのナンバーが低く流れ
「名曲を独自のアレンジでカバー」「カバーの名手」というクレジットが出て

再び、画面がスタジオのトークセットに戻ると
「甲斐さんが最初にカバーアルバム『翼あるもの』を出されたのは78年?」とリリーさん
画面下には、その「翼あるもの」のジャケ写と
「ザ・キングトーンズ、ザ・ピーナッツ、かまやつひろしなどの名曲を収録
アメリカ音楽の中心地ナッシュビルで、一流ミュージシャンとレコーディング」の文字が映る中

甲斐さんは「78年ですね」とお答えになり
「どうしても、あのー、ソロで、あの…カバーで、フルアルバムを作りたかったんで…
だから、単身でナッシュビル…1人で行って…(『はあー!』とリリーさん)
それで、あのー、プレスリーの…まっ、有名なギタリストがいて…その人とか

ディランの『ナッシュビル・スカイライン』っていうアルバムとか
あと、ニール・ヤングのアルバム(『アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ』
『ハーヴェスト』)とかの、ホントに有名アーティストを全部ピックアップして
で、ホントに偶然、こう…イイ感じで集まったんで、それで1枚作ったんですけど…」

と説明なさってましたが、当時のインタビュー記事には…
「一般的に言って、甲斐バンド = 甲斐よしひろってイメージがあるじゃない?
俺は、バンドのリーダーとして、甲斐バンドをもう一回り大きくしたい
そのためには、まず、俺自身が大きくならなければダメだと思ってソロアルバムを作ることにした

でも、オリジナルは、あくまで甲斐バンドでやりたい
だって、オリジナルをソロでやっても、下手すると、バンドと同じになってしまう危険があるじゃない?
そうなってしまえば、ソロを出して幅を広げることにはならない
だから、ソロではカバー曲をやることで、あえてボーカルに徹してみようと思った
それも、昔、ヒットして知られている曲を今の時代にも十分通用するように斬新なアレンジをして…

これまでにも、アリスの谷村新司とか、NSPの天野滋とか、色んな人がソロを出してるけど
どこかバンドのイメージが吹っ切れてない訳ね
どうせやるんだったら、バンドはバンド、ソロはソロということを
よりハッキリさせるためにレコード会社を変えたんだ」…と記されていて

…って、まあ、バンドとソロでレコード会社を変える…
東芝EMIを説得して、最終的にポリドールから発売…ことは、前例がなかったために
マスコミには「甲斐バンド解散か?」と騒がれ
業界の方々からは「慣例破りの異端児」扱いを受けられたみたいですが…(苦笑)

海外で、現地のミュージシャンを使ってレコーディングをなさったのは
当時、日本のスタジオ・ミュージシャンは、十数人しかおらず
どのアーティストの曲も同じようなサウンドになりがちだったためだそうだけど

甲斐さんが、当時、甲斐バンドのマネージャーになられたばかりの佐藤剛さんにお渡しになった
その「候補者リスト」には「プレスリーのバックをやっていたギタリスト」
「モータウンの常連だったセッション・ドラマー」
「アレサ・フランクリンなどのバックをやっていたベーシスト」…といった
そうそうたるメンバーのお名前が並んでいたんだとか…(笑)

ちなみに…ディランの「ナッシュビル・スカイライン」
「ディランが『ロック化』した後、ザ・バンドとのセッションに明け暮れた日々を経て
ナッシュビルでレコーディングした『カントリーアルバム』」で
「ソロアルバムは、カントリーっぽい音とロックっぽい音でやりたかったし
楽譜以外のプラスアルファが欲しかった訳です」とおっしゃる甲斐さんが
ナッシュビルをお選びになった、大きな理由の一つなんじゃないかと…?

それはともかく…リリーさんが「でも(ナッシュビルでレコーディングされた)曲は
その向こうの…ナッシュビルのミュージシャンは知らない
日本の歌謡曲だったりもする訳じゃないですか?」とお訊きになると
甲斐さんは「だから、僕が生ギターで弾いてる…弾いて生で…
それ聴いて、で、もうホントに向こう(のミュージシャン)って、プロなんで…

あの…ナッシュビルのミュージシャンって、コード…コードで書かないんですよ
数字で書くんですよ、Cが1、Dが2…(『あっ、ツェー(C)みたいな?』とリリーさん)
そうすると、数字だと、あっという間に理解できるんですよ、だからもう本気のプロですよね
で、1曲が、だいたい2時間かからないんですよ、ホントに!もう初見なのに…

まっ、それ、ナッシュビル特有の…ニューオーリンズとナッシュビルだけが、そういう街らしいんですけど
ものすごく勉強になって、楽しかったですけどね、スゲェなあと思って…」とお答えになってましたが
奥さんは、そんなご経験を完成したカバー曲と共に、甲斐バンドのメンバーの皆さんに
身振り手振り付きで、お聞かせになっている甲斐さんを想像してクスクス(笑)

もっとも、甲斐さんがご自身で生ギターをお弾きになったのは
アメリカ育ちの日系人通訳の方に「日本語で判らせるのが大変」で
「通訳を通す不毛に見切りをつけた」結果だそうです(笑)

ただ、リリーさんのおっしゃるように「日本の歌謡曲」を知らないどころか
日本語を話せないナッシュビルのミュージシャン達が、通訳を介さずに
その歌詞の内容を理解することはなかったでしょうし
「日本語の歌詞」にこだわっていらした甲斐さんが
カバーとはいえ、それを度外視して選曲なさったとは思えませんけど

ニューヨークのパワーステーションで、ボブ・クリアマウンテンと作業なさった時に
「ボブは、根本的に、ミックスする際に、歌詞を知っておくかどうか全く問題にしてない
僕は、やっぱりね、詞とメロディーとサウンドが三つ巴で戦ってないと
うねって出て来ないと思うんだよ、胸に響かないわけ、良い意味で…それは、曲自体の問題にしてもさ

すごく良い詞を書いたと…でも、それに曲が迎合して行って
詞ばっかり浮き出るような結果になることもある訳ね
逆に、すごく良い曲を書いちゃった!じゃあもう詞は付け足し程度、乗ってりゃいいやと…
で、俺は、どっちも好きじゃないわけ、ハッキリ言って…

詞は詞で確立していて、かたやメロディーはメロディーで、その詞とケンカするくらい存在感がある
そういうものをまず作って、それでアレンジによって
サウンドとしてもうひとニュアンス加える…そういう方が好きなのね

となると、言葉が判ることで、詞の心情に左右され過ぎるようなミックスする人よりも
アメリカ人であるボブがミックスした方が発展して行くんだよね、往々にして…
全てを判ってて、すごく達観したやり方が出来る場合も、もちろんあるけども
そういう風に、パーツパーツの専門家が、各所に点在していることによって
プロジェクトとして明快なやり方が出来る場合もハッキリあると思うのね」と話されていて

このオリジナル曲に関する言葉をカバー曲に当てはめてみると
曲自体は、すでに作詞作曲されているので
甲斐さんは「もうひとニュアンス加える」アレンジに携わられる訳ですが
実際に、ニュアンスを変える「音」にして行く作業をするのが
スタジオミュージシャン達…と考えれば、歌詞の存在はあまり重要でなくなるのかなあと…?

ただ、そうやって甲斐さんがスタジオに入られ
甲斐バンドのレコーディングと同じようなスタイルで作業なさったことで
いわゆる「ディレクター」が不在となり「半ば必然的に」
佐藤さんがその役を務められることに…(苦笑)

甲斐さんが作って行かれる曲を、客観的にお聴きになって
意見を延べられたり、全体のバランスに気を配る作業を引き受けられ
結果的に、おひとりで制作から宣伝までをこなされたそうだけど
甲斐バンドのマネージャーになられて初めて
「『自分のやること、やらなければいけないこと』を見出したプロジェクトだった」と振り返っておられました

ちなみに…1曲にかかる時間が2時間足らずというのはホントみたいで
佐藤さんの日記には…「1月14日、リズムセクション『グッドナイト・ベイビー』
『えんじ』『10$の恋』『喫茶店で聞いた会話』『恋のバカンス』
16日、『この暗い時期にも』『あばずれセブンティーン』『サルビアの花』『卒業』
17日、『ユエの流れ』『マドモアゼル・ブルース』『薔薇色の人生』」…と記され
ミックスダウンは、1日で全曲仕上げてしまわれるというスケジュールだったみたいです(汗)
コメント
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