ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

甲斐よしひろ BEAT HARDWORK(8/2)4

2024-08-15 14:10:00 | メディア
奥さんの投稿から、甲斐さんの「声」についての話題のあと…
「…ということで、もう1曲ね、10月9日に発売になるBOXセット…
えー『LONELY HEROINE & BROKEN HEROES』っていう副題が付いてる…ね?STORY BOXです、ハイ

えー、ということで…これ、また…これは、1980年!?そうなんだ!?
これ、ベスト10に入ったんですよね、オリコン…
だから、松藤に『絶対、お前、バンドは出ないけど、テレビ、お前出ろよ!』って説得したんですよ、僕…違うバンド、バックで…
あっ!でも、甲斐バンドバックでもいいんですよ、別に、僕が出なきゃいいだけなんで…

…って言ったら、アイツね『ええ!?ヤだよ!』って、アイツ、一言で一蹴しやがって…
出てたら、絶対違ってたと思うんだけどなあ、今…
…ということで、甲斐バンド『ビューティフル・エネルギー』」を流されてましたが
「甲斐バンド」名義の楽曲を「違うバンド」をバックに…というのはアレだし
甲斐さん抜きの甲斐バンドっていうのもねぇ…(苦笑)

曲が明けると、投稿の常連さん(笑)からのメール
「最近、ウマイことや面白いことを思いついて、カミさんに話すと
『それ、前にも言ってたよ』と言われることがあります
『何度も同じこと言わないで!』と言われることもあり
まるで、山口百恵の『秋桜』です」まで読まれて

「全く判りません、この話、僕、この件は…」と甲斐さん
「山口百恵の『秋桜』に、こういう件があるんですね?」と、おっしゃってましたが
おそらく?投稿者の方は「♪体だけは元気でと 何度も何度も繰り返す母♪」
…という歌詞を指しておられるんじゃないかと…?

ともあれ…「全然覚えてないので、さすがに心配になり、見かけた認知症のセルフチェックをやってみました
チェックリストは、16項目あり…『知っているはずの人の名前や顔を間違えるようになった』
『大事なものを忘れたり、失くしたりすることが多くなった』など危なそうな項目もありましたが
まだ大丈夫そうで安心しました」…という部分を聴いて「私の場合はどうなんだろう?」と奥さん

今、勤めている職場で、コロナ禍を機に部署が変わり、3年が過ぎたらしいんですが
同じ建物内ということで、以前に居た部署の方々と、時折、顔を合わせることもあるそうで
異動してしばらくは、前部署の皆さんの顔と名前がハッキリと判っていたのが
だんだんと、顔を合わせてすぐには名前が思い出せないことが増えて来たものの
しばらく経ってから「あっ!○○さんだった!」となっていた中

お一人だけ、部署が変わって以来、3年以上ずーっとお名前を思い出せない方がいたみたいで
すれ違いざまに挨拶を交わしたり、ちょっと立ち話をしたりする度に
「誰だっけ?ナンて名前だっけ?」と、その間はもちろん
相手の方と別れた後も延々と記憶を掘り起こそうとしても全く甦らず…(汗)

まあ、つい先日、ようやくお名前が判明したみたいだけど
それは、奥さんが思い出したのではなく、その場にいらした別の方が
「○○さん」と呼びかけておられたのを耳にしたからに過ぎないらしい(苦笑)
「そのことがなかったら、私は一生、あの人の名前を思い出せなかったんじゃないか?」と申しておりました(苦笑)

それはさておき…「リストの中に『その場にそぐわない言動をして、周囲の人が驚くことがある』
…という項目がありましたが、これは、自分では判断が難しい気がします
自分も会議で発言すると、周りが微妙な表情になることがあり
てっきり『みんな感心しているんだろう』と思っておりましたが
実は、そういうことだったかも知れません」…と読み終えられ「何を言ってるんだよ(笑)」と甲斐さん

「ナニ?『会議で発言すると、周りが微妙な表情になることがあり…てっきり、みんな感心している』
…ナンで、感心だと思うのかなあ?(笑)ホント面白いねぇ、キミは…
『てっきり、感心しているんだろうと思ってましたが、実は、そういうことだったかも知れません』
『そういうこと』なんですよ、キミの…キミの場合、そういうことです!
言わずもがな、ね?やっと気づいた?

毎回ね、メールくれるのは有難いんですけど、微妙で、そぐわないのを
僕が、ナンとか力技で、そぐわせてるんですよ?気づけよ!
今も出したよ、僕、力技(笑)そぐように、俺が出したぞ!力技(笑)ホントに…
○○○○(ラジオネーム)、いい加減にせーよ!(笑)」
…と、面白がっておられるのか?ナンなのか?それこそ「微妙」なコメントでしたが(苦笑)

奥さんも、今回みたいに、投稿の最後をカットされることがあるし
この投稿者の方とは別の方の投稿では、メールをお読みになっている途中で
甲斐さんが、内容を要約して紹介なさったり、明らかに大幅な割愛があったと思える節があったり
逆に、番組をコンスタントにお聴きになっている方や
甲斐さんのファンの方じゃないと判らない事柄に触れられている場合には、補足説明をなさったり
…と「力技」を駆使されている機会は少なくないんじゃないかと…?

続いては…「ハイ、ということで、ね?今日は特集しております、えー、ね?
えー、BOXセットの告知をね」…と甲斐さん
「LPとCDの2つのフォーマットでリリース、ハイ
えー、音源は、アメリカ・ナッシュビルの名門スタジオ『スターリング・サウンド』の
テッド・ジャンセンがリマスター、えー、ライアン・スミスがアナログカッティングということで、ね?

また、ボーナスディスクには、未発表音源などのレアトラックを収録しております
これも、えー、次回かけますね、ちょっとね
えー、更に、貴重な写真をちりばめたブックレットも付きます
発売は、10月9日、2枚のアナログ、3枚のCD、そして写真集のセット
えー、三面LPサイズのジャケットになっております」と原稿を読み上げられ

「それから…えー、秋のツアーの…えー、10公演です…10月から、全国10公演の…えー、ツアーを…
『Circus & Circus 2024』を、えー、開催します!スケジュール、ね?」と
こちらも、日程や開演時間、料金などを読み上げられたんですが
やはり…「えー、12月7日土曜日、静岡のライブハウス『浜松・窓枠』」…のトコで
「ついに来ましたか、また…」と、おっしゃってました(笑)

よほど、前回の印象が強く残っておられるみたいだけど
奥さんも、ツアー会場の中で、ダントツに小さなハコということで
「ココは絶対に、ファンクラブ先行で当選したい!」と力が入っておりました(笑)
もっとも、おそらく?もう、その当落の通知は届いていると思われますが

今回、初めて設けられた「VIPスタンディング」席?(笑)は
Zepp系を始め、比較的広い会場のみの適用なので
「整理番号は、最低3ケタはあるでしょ?」と、当選しただけでは「迂闊に喜べない」らしい(苦笑)
まあ「100人」だけの抽選会で「98番」を引き当てた人なので…(笑)

ただ、ファンクラブ先行の結果が出る前に、ローチケのプレリク先行のお知らせが届いたため
「ファンクラブ枠は、そんなに狭き門なのか?」と心配しているみたいです(笑)

それはともかく、2つの告知が終わると…
「ということで…1974年に僕ら、デビューしたんですけども、えー、そのデビュー曲…
これねぇー、順番で言うとね…BOXセットの順番で言いますとね
えー『HERO』から始まってんですよ!…で『HERO』からバン!と行って、次に、これが入ってんですよ

…で、これは、ホントに、マスタリングエンジニアが(笑)上手くないと
この順番は成立しない順番なんですよ
でも、一応、まあ『これが上手く行ったらいいな』と思ってて
やったら…上がって来たら、全っ然、問題ないです
…で、曲間隔って、2秒ずつしか空けてないんですけど…

イヤー、ホント『上手い人ってヤバいなあ!』と、ホントに思ったんで…
えー、なかなか感慨深いものがあります
えー、じゃあ、デビュー曲を聴いて貰います!甲斐バンド『バス通り』」を流され
インターバルを挟んで、エンディングトークへ…
「WORD」をバックに、メール募集の告知をなさったあと

「まあ、僕は、このあと…えー、三笘のブライトンと鹿島アントラーズの試合を国立(競技場)に観に行くんです
これ、終わったあと、すぐに行くんですよ、ハイ
着替えとか全部、車に置いとこうかなと思ったんですけど
ちょっと、シワになんのイヤなんで、いったん戻りますが、そのあとすぐ行きます」

…と話されてましたけど「シワ」を気にされるって
甲斐さんは、いったいどんなお召し物でサッカー観戦なさるんでしょう?
フツーは、レプリカのユニフォームやTシャツかと思われますが
「エライ人」のお誘いということでしたので
もしかしたら、VIP席でドレスコードがあるとか、観戦後にパーティーが予定されているとかで
フォーマルな装いじゃないといけないのかなあと…?
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甲斐よしひろ BEAT HARDWORK(8/2)3

2024-08-13 15:10:00 | メディア
続いては、6月30日のファンミーティングに参加された方からの投稿…
「申し込みした全員が会員なんだから、後ろの席でもやむなし」と思っていらしたら
「ナンと!最前列!それも、ほぼ真ん中」の席で
「2時間近く甲斐さんをガン見できて、最高に幸せでした!」と投稿者の方
奥さんは「どれだけ徳を積んだら、そんな席が当たるんだろう?」としみじみ…(笑)

「お待ちかねのミニライブ」の件で、甲斐さんが
「えー、ライブはね、4曲やったんですけどね、ハイ」と説明され
「2曲目の浅川マキさんの『あたしのブギウギ』にヤラレました
(ミニライブが)終わってからずっと『この曲を甲斐さんが歌うのを
私、どっかで聴いたことあるなあ…いつ、どこで聴いたっけ?』と考えておりました

ライブだったのか?ラジオだったのか?思い出せず、モヤモヤは募るばかり
友達に訊いてみると、その友達も『私も聴いたことがあると思ってた!
でも、どこでやったっけ?』となり、ますますモヤモヤしてました」という部分を聴いて
奥さんは「私に訊いてくれたら良かったのに(笑)」とクスクス(笑)

でも「…が、後日、その友達が思い出してくれました!
2015年12月、名古屋『SPADE BOX』…(『ほおー』と甲斐さん)…という
出来たばかりの小さいライブハウスで、一郎さんと2人でライブをなさった時…
(『田中一郎ですね』)…だそうです」と読まれて
「ふーん…そうなんですか?へえー、僕、全く覚えてないです(笑)そうか…

…と、おっしゃってましたが、当時の又聞きレポによれば…
甲斐さんは「ウクレレみたいな小ぶりなギター」を手になさって
「僕のオモチャ(笑)」と膝の上にそのギターを立てられ…って
そのギターには、おそらく?お孫さん絡みと思われるシールが貼ってあったらしい(笑)

そして…「浅川マキさんが亡くなられたんだけど、お別れの会に行けなくて…
僕、大好きな曲なんで…」と「あたしのブギウギ」をお歌いになったようで
奥さんは、原曲が女性のキーのため、サビの部分が少し苦しそうでいらしたものの
絞り出すように歌われてるのが「スゴく良かった♪」と申しておりましたが
「全く覚えてないです(笑)」って…(苦笑)

そうそう!奥さんは、その名古屋ライブから帰って来てから
「そういえば、昔のセイヤングの生歌コーナーでも、浅川さんの曲を歌ってた気がする」と言って
大事にしまい込んでいたカセットテープの箱を漁って見つけたのが、浅川さんの「紅い橋」でした
まあ、残念ながら、今はもう聴けないんですけどね(苦笑)

それはさておき…「でも、今度…今回のヤツはですね、自分で言うのもナンなんですけど
ハンパなく、上手くいったんで(笑)プロながら嬉しかったですね、ナンか…
生…えー、鈴木健太の生ギター1本で、非常に難しいアプローチ…
ジャージィなアプローチだったんですけど、う…上手くいきましたねぇ!
バッチリだったと思います、ハイ」と甲斐さん

「あと、六文銭のですね『夏・二人で』とか
それから、僕が書いた『噂』っていうヤツ…曲と『らせん階段』ですね
最後に、僕の弾き語りでやったんですけど…まっ、一応4曲…」と話されてましたが

その鈴木さんも、ご自身のインスタグラムで…
「甲斐さんのファンクラブミーティング、3曲演奏で参加しました
2曲のカバー曲を甲斐さんと2人で。甲斐さんとのデュオは、10年前のビルボードツアー初年度を思い出したりして。

そしてもう1曲には、松藤さんが加わっての甲斐バンドの曲『噂』
これはまさにビルボード初年度にやった曲。あの時はかなり緊張してたけど
もう今はリラックスして出来るもんね、と思ってたら、まさかの、指がもつれるもつれる…
リハーサルでも楽屋でもバッチリだったのに…

こういう時には必ず何か原因がある。やり終えて思い返して
あ、そういうことか!と気づいたけど、もう後の祭り…悔しかったな~
でも『あたしのブギウギ』は本番がすごく良くて
甲斐さんが気持ち良さそうに歌ってくれたのが印象的でした」と振り返っておられました

ともあれ…「(ファンミーティングは)全部で、2時間20分くらいだったんで、ねぇ?
まあ、んー、初めてのファンミーティングでした…って言いながら
もう、これ以上やる気、全くないんで、最初で(笑)最初で最後っていう、ね?」…って

じゃあ、いつぞやの品川プリンスホテル・EXホールで開催された
ファンクラブ会員限定イベントは、いったいナンだったんでしょうね?(笑)
もっとも、奥さんは「その内に『全く覚えてない』状態になって
また『初めて』やるかも知れないね(笑)」とクスクス(笑)

そして、最後に…「イヤ、あのね(ファンミーティングが開かれた)
EXシアターってね、すごいやりやすかったのよ!
この…『ここ、やりやすいなあ』と思って…えー、ねぇ?
ポール・ウェラーも、ナンか『もうすぐ来ますよ』みたいな感じで
えー、ポスター貼ってありましたけどね、ハイ」と、おっしゃったので
ググってみたら、今年の2月3日と4日に「6年ぶりの来日」を果たしておられました(笑)

それはともかく…「ということで、ナカナカ楽しい…えー、ファンミーティングでした、ハイ
ということで、10月ね、10月9日に発売になるBOXセットから、もう1曲かけましょう
えー、これは、新たにレコーディングして、えー、もう何年か前ですね、やったんですけど…
聴いて下さい『かりそめのスウィング』」を流されてましたが

これって、2017年の「セットリスト予告ツアー(笑)」の時に
佐藤強一さんが「ハタキ(失礼!)」みたいなスティックで参加された「新録」で
ライブでは、中盤あたりで、ジャージィな「スペシャルセット」が組み込まれていたってヤツですよね?

そして、曲が明けると、奥さんの投稿…
「以前に、当時、明石市長でいらした泉房穂(ふさほ)さんが
高校時代に甲斐バンドのコピーバンドのリーダーから
『声も喋り方も甲斐よしひろにそっくりだ』とボーカルにスカウトされたものの
肝心の歌が下手で、文化祭の予選を通過することが出来なかった…とツイートなさっていましたが

榊原郁恵さんがパーソナリティーを務めておられる
『ハートフルラジオ虫の知らせ』に…」と読まれて
「ナンちゅうタイトルやねん!『ハートフルラジオ虫の知らせ』…スゴイなあ!(笑)」と甲斐さん(笑)

この番組は…「横浜の外れにある喫茶店・虫の知らせ」…という冒頭のナレーションを
森本レオさんが務められていることにビックリ!
その「虫の知らせ」に、ゲストの方が「来店」されると
オーナーママの浅見小四郎さんと、常連客の榊原郁恵さん、並木良和さんが
「根掘り葉掘り」インタビューなさって「不思議なエピソード」を聴き出し
メンタルアドバイザーの並木さんが、アドバイスされる…といった
ちょっとスピリチュアルな感じもある番組でした

ちなみに、泉さんの「不思議体験」は、ある日突然「東大へ行く!」という思いが降って来られ
「絶対ムリ」な成績だったのに、併願や浪人は全く思い浮かばず
とにかく猛勉強なさって現役合格なさったことで
「お悩み」は「アンガーマネジメント」を受けられた際に
怒りがこみ上げたら「6つ数えろ」と教わったものの、なかなか難しいので
「そういう時は、トイレに行くようにしている」とのことでした

ともあれ…「『ハートフルラジオ虫の知らせ』にゲスト出演された際にも、その話題が登場し
文化祭に出るための予選で歌われたという『安奈』をリクエストなさっていました
その落選した翌年に、ボーカルだけ差し替えとなったバンドは、文化祭出場を果たし
それ以来、人前で歌われることはお止めになったそうです

ちなみに…現在、泉さんは、政治評論家・コメンテーターとして、著書や雑誌記事の執筆、講演会
インタビューやテレビ・ラジオのご出演など、精力的に活動されているんですが
ご自身でスケジュール調整や収支報告をなさるのが困難になったということで

今年から、ホリプロに所属されたらしく…(『おおっ!』と甲斐さん)
『オファーがあればドラマにも出てみたい』とおっしゃってました」…と読み終えられ
…って、そのあとの「船越英一郎さんと共演される機会があれば
甲斐さんの話題で意気投合なさるんじゃないでしょうか?」はカットでしたが…(笑)

「…っていうね、ナニをうぬぼれてるんだ!?いったい…
ホリプロ…ホリプロだからって出れるもんじゃないんだ…あっ!そうか!
榊原郁恵の番組もバーターじゃんね?(笑)バーターかよ!ええ…

ナンかね(市長を)辞めて…あの…泉さんね、辞めてしばらく時間が経ってるので
ナンか、力が有り余ってるらしいんだよね
こないだ、ナンか…『Mr.サンデー』かナンかに出てて
もう隙あらば喋り…喋り倒そうとしてて、もうテンション高過ぎてですね(笑)

…で、橋下徹とかも出てて…リモートかナンかだったのかな?…ナンかで
もう、ナンか、ムチャムチャ宮根(誠司)さんが疲れ…疲れ果ててたもんね
もう(番組が)終わる頃にはもう…もう高…もうとにかくもう、隙あらば喋ろうみたいな…
ナンか…いう感じでスゴかったですけどもね」と驚かれてましたが

泉さんと橋下さんは「30年ほど前の司法修習生の同期で飲み仲間」ではいらしたものの
「10年以上、直接喋ったことはない」状態だったトコへ、様々な番組で共演されるようになり
意見が対立するたび「子どものケンカ状態」とか「大舌戦勃発」と煽る見出しが付けられたり
ネットニュースでも「Xバトル ヒートアップ!」と騒がれたりしているんだけど

泉さんは…「平然と事実を捻じ曲げたり、堂々と嘘を強弁され続けると議論にすらならない
そういうやり方もさすがに限界だと思うのだが…」とか
「私の方は別にヒートアップなどしていないし
論点ずらしの場外乱闘におつきあいするつもりもない」…と、おっしゃっていて
「切り取り方」…特に収録番組の…によって、印象が変わってしまうのかなあと…?(汗)

それはさておき…「でもね、アレなんですよ」と甲斐さん
「『コピーバンドのリーダーから、声も喋り方も甲斐にそっくりだ』っていうのは、アレなんですよ
声が嗄れてるというだけで、あの…甲斐バンド…もう歌うんじゃないよって感じですよね

あの…ハスキーとガラガラ声はもう、全然違いますから…
ハスキーっていうのは、嗄れた声にちょっと甘さが含まれてるとか、ね?
そういうことじゃないですか?…で、ガラガラ声っていうのは、一種の…
もう、一種の怒鳴り声みたいなもんだから、歌には向いてないのよ(笑)向いてないのよ(笑)

だから、例えば、僕はハスキーでも、ちょっと甘い系にいるんですけど…まあ、ちょっと乾いてるんで
…で、その…世良(公則)くんっていうのは、僕と反対側にいて…
更にもっと嗄れてる人は、もんたよしのりでしょ?もん…もんたくん、ギリギリ…
もんたよしのり、ギリギリだと思ってたもん、俺…『これ、ギリギリだよなあ』と思って…」…って
「ダンシング・オールナイト」を「サンスト」で、いち早く流されていたんですよね?(笑)

「やっぱり、そっち側の人たちっていうのは、ナンかこう…
若い時、無理してハスキーになって…『声潰しました』みたいな感じの人が、わりと多いんでね
ナンか、話聞くと…そうか、そんなに…」と、おっしゃってましたが
確かに、もんたさんや上田正樹さんは、わざと喉を傷めて、あの声を手に入れられたそうだけど
世良さんは、元々じゃなかったっけ?

ともあれ…「僕は、どっちかというと、この声は…
僕、基本的に、だいたい、あのー、人前とかで絶対喋らないようにしてて…
僕、顔だと、あんまりさされないんですけど、喋ると一発で判るみ…らしいんですよ
だから、喋らないようにだけ、まあ、してるんですけど、頑張って…」
…って、特徴ある声の持ち主でいらっしゃる以上に
話し声が大きいことの方が「身バレ」の原因のような気が…?(笑)

だけど、そういう感じなんで…声に特徴があるから、あの…あんまりね…
あのー、ナンかでも『このハスキーはイイの?』って、すごい思ってて…
結局…結局まあ、その特徴ある声で、今…えー、えー、生活が出来てるトコがあるんで、アレなんですけど…

ナンかでも、カラー…ナンか『ハスキーのがイイ』
『ハスキーがそんなにイイのか?』みたいな…いうのは、すごい、僕ありましたよね、すごい…
ナンか…ナンか、別に全然、自分の声、羨ましいと思ったことないし
ナンか『出来ればキレイな方がいいんじゃない』っていう感じは、ずっとありましたよね、僕、ハイ」
…と話されていて、羨ましく思われる方からすれば「贅沢な!」って感じでしょうけど
まあ、お互いに、無い物ねだりなのかなあと…?
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甲斐よしひろ BEAT HARDWORK(8/2)2

2024-08-11 14:05:00 | メディア
「KAIBAND STORY BOX」に関する裏話に続いては…
ご主人が「ほぼ相談もなしに車を買って来た」という方からの投稿…
「『ほぼ』と書いたのは、一応事前に買うつもりであることは聞いていたんですが
私に話した時には、主人の中では既に買うことが決定しており
相談ではなく、決定事項の報告ということでした」

…という書き出しを拝聴して、ボクは、まだ結婚して間もない頃
奥さんが、日帰り出来ないツアー先へ遠征する際に
「結婚しても甲斐さんのライブには、これまで通り行く」という結婚の条件はあったものの
「行ってもいい?」と、一応(笑)訊ねてくれていたことを思い出してました(笑)

ともあれ…「ウチの主人は、古い車やバイクが趣味なので、覚悟はしておりましたが
やはり新車ではなく、古いドイツの車で、おまけにシートベルトなし…(『うん、ないんだ!?』と甲斐さん)
…シートベルトというのは、元々付いていない場合は、付いてなくても車検は通るんですが
走っていると、やたらお巡りさんに止められ
その都度、事情を説明しなければなりません…(『ああ、そうだよねぇ』)

そして、クーラーもなし!この酷暑の夏にクーラーなしって有り得ます?
二十数年前にも古い車に乗っていた時があって、その車もクーラーが付いてなくて
夏に乗る時は1人1枚のバスタオルとうちわが必須
それでも長時間になると、イライラして…(『そらそうだよね』)…ケンカになるので
短時間のみ(の乗車)ということでした」…って、このお車だと、冬も大変なんじゃないかと…?(失礼!)

我が家が昔乗っていた車は、真冬の夜に、いきなりルーフトップが全開になり
ヒーターを点けていても、指先や耳がちぎれそうになるほどの寒さに耐え切れず(汗)
予定を変更して、ディーラーへ駆け込んだことがアリマス(苦笑)
まあ、変更できる程度の予定で助かったんだけど…

それはともかく…「ただ、二十数年前と今では、夏の暑さが全然違います
そして主人は、先日ついに、40℃近い猛暑日に、静岡まで車を引き取りに行き
ヘロヘロになって帰って来ました。今後が思いやられます
とりあえず、私は涼しくなってからしか、絶対に助手席には乗りません」…と読み終えられ

「ねぇ?そらそうだよねぇ…あなたのご主人って、アレですかね?
じ…自殺願望者とか、そういうことじゃないですよね?えー、ねぇ?
そうじゃないとさ、ムリだよ、この暑さ、ホントに…」と甲斐さん

奥さんは、この投稿者の方と、ご主人とも、ライブ会場でご挨拶させて頂いているので
この投稿のご夫妻のご様子を思い浮かべてか?
「ナンかワカる~」と申しておりました(笑)

「えー、おまけに、まあ…しかも、この年齢…この年齢でのムリはですね
ムリがタタると、ロクなことにならないんで、ホント、気をつけないとね、あの…ダメだと思います
だって…で、で、だいたい『贅沢』って言うでしょ?みんな…
『贅沢』ってさ、余裕がある人がやることで…こう言っちゃ、身も蓋もないんですけど…

ただ、もう1台、普通の車に乗ってて、その上で、この趣味の車を買うというんだったら判る、ね?
ね?判りますよね?そうじゃないとさ、カツカツじゃないですか?
だから、もうカツカツで余裕のない人が趣味に走るとね、ナカナカ悲惨なものがあるんで…

…で、あの…昔、僕の知り合いがですね…あるヤツが、スエーデンの車に乗ってたんですよ
…で、まっ、時々、こう…乗ったりすると…あの…元々さ、ナンての?
スエーデンの車って、クーラーは付いてるんだけど、元々そんなに使わない国なんで…
その使わない国の車なんで(笑)ムリすると、すぐ壊れるんですよ、それ、クーラー、ねぇ?

だからもう、ナンか、何回か乗ったんですけど『意味ねぇ!』って思って…
『意味ねぇ~!』って感じだったんで…えー、ねぇ
まっ、そういうのあるから、やっぱり、これ、大変ですよねぇ、ええ…
ナンか、もう…ナンて言うんですかね?えー、それ…えー、それなりに…ナンかこう…
こだわる人は、若い時とかはね、ちょっと面白いから、まっ、つき合ってあげてもいいんだけど

もう、ある程度になるとね『お前、いい加減にせーよ!』っていう…まっ、感じですかねぇ…
こう…ナンか…ん…ん…頑張って、あんまりつき合わないようにしないと、えー、体壊す(笑)んで…
もう、ナンか、林家三平みたいになっちゃう…
『体壊さないで下さいね、スイマセン』みたいな感じになっちゃうんでねぇ、ホントに…」

…と話されてましたが、確か、甲斐さんは、古いベンツがお好きで
一時、どんどん旧型に乗り換えていらしたら
ある日、ホテルの玄関口に乗りつけられた途端、バンパーが外れて落ちて
「ものすごい恥ずかしかった」と、おっしゃっていたような気が…?(笑)

ともあれ…「ハイ、ということで…えー『KAIBAND STORY BOX』からね、もう1曲お送りしましょう
えー、これも、やっぱり相当、音が良くて…えー、ナンかこう…
まっ、聴いて貰うのが一番いいですかね?まず、甲斐バンド『テレフォン・ノイローゼ』」を流され
奥さんは「やっぱ、この頃の甲斐さんの声、好きだわ~♪」とウットリ(笑)

…が、2コーラスが終わって、間奏に入り、さあ!と思ったトコで
甲斐さんが「ハイ、ということで『テレフォン・ノイローゼ』お送りしました」とカットイン(苦笑)
でも…「えー、引き続き、ね?続いて、えー『そばかすの天使』を聴いて貰いましょう」…で
再び「この頃の声、好きだわ~♪」とウットリ(笑)

今度は、2コーラス後の間奏の途中でフェードアウトとなり
「ハイ、ということで…『テレフォン・ノイローゼ』と『そばかすの天使』とね、続いて聴きました
『そばかすの天使』はもう、低音がバッチリ!ベースがバッチリに聞こえててですね」と甲斐さん

奥さんは、かつて甲斐さんがおっしゃったという
「長岡がいた頃までは、独特なグルーヴがあった」との言葉や
以前に、やはりリマスタリングをなさった音源をお聴きになった際にも
低音部がクリアになったおかげで「(ドラムやベースを)ちゃんと弾いてたんだなあと気づいた(笑)」

…と話されていたことを思い出し「長岡さんを絶賛だね♪」と思った途端に
「これはもう、メンバーの実力以上になってるというパターンですね、ええ…
ナカナカ気持ちがいいんですけど、ハイ」と付け足され「ナンだかなあ…」状態に…(苦笑)

それはさておき…NHKの朝の生番組に、平野レミさんが生出演され
次々と料理を作っていらしたのをご覧になった方からの投稿…
「そうめんピザを作って行く途中で、レミさんが『そこのタバス…』と言いかけといて
『タバスコって言っちゃいけないの、知ってる?』と、わざわざ言い換え」られたので
アナウンサーの方が「商品名はお控え下さい!ホットペッパーソースです!」と注意なさったものの

中山秀征さんが「レミさん、それ、ナンて言うんですか?」とお訊ねになると
「えー、これはホットペッパーソース、絶対タバスコじゃないよ!」とレミさん(笑)
皆さんが大笑いされている中、アナウンサーの方は
「NHKです!生放送でお送りしております!」と念押しされていたんだとか…(笑)

…といった内容の投稿を読み終えられた甲斐さんは
「僕も、あのー、NHKのお昼の番組に出た時にですね…昔、出たことがあって
『お肌キレイですねぇ!』とかって言われて
『何かおやりになってるんですか?』っていう展開になって…

…で『あっ「へちまコロン」僕、使ってます』って言って
『あっ!』って、こう…『あっ!商品名じゃん!』って、自分で気づいた途端にですね
アナウンサーが『あっ、へちまで出来てるコロンですね』って言ったんですよねぇ
そしたら、OKなんですよ!だから『へちまコロン』だと、まだ、そういう微調整も出来ますけども
『タバスコ』と『ホットペッパーソース』の関係じゃ、もう、これ、ムリですよね、もう…

…で、レミさんね、ホントね、僕よりもっと上の(世代の)人なんで
自由人なんですよ、この頃の世代の人…全共闘世代っていうか…
えー、スゴイですね、もう、ね?言いたがるもんね?僕もそういうトコありますけども…

えー、まっ、でも、やっぱりね、NHKのアナウンサーは優秀ですよ、ホント…
あのー、もう、ナンか、咄嗟に、そこで上手い修正とフォローしてくれてね
そん時も助かりましたけどもね、えー『やっぱ、スゴイなあ!』って…
あの…もちろん、その番組、お昼(の放送)だったんで…生だったんで…
まっ、生はやっぱりね、パッと機転が利かないと、やっぱダメなんですよねぇ、ええ…」

…と、褒めておられましたが、そのアナウンサーの方は、その後「不適切な関係」の問題が発覚(汗)
最近は、生放送はおろか、テレビでお見かけすることはなくなりました…(苦笑)

余談ですが…最近、TVerで、ドラマ「カルテット」が配信されているんだけど
放映当時、翌週の放送を待ち切れずに、何度となく録画を観倒した挙げ句
最終回を迎えたあとには、DVDを購入し、擦り切れるほどリピート三昧だったというのに
またぞろ、TVerを飽きることなく眺めていた奥さん(笑)

この「へちまコロン」や「タバスコ」の話を聴いて
高橋一生さん演じるヴィオリストが、こじらせ男子ぶりを発揮するシーン…
カルテットの面々が「ニモ可愛いですよね」と言った途端
ホッチキスを手に取り「これは何ですか?」と質問し「ホッチキスです」との答えに
「いいえ!違います!これの名前はステープラー」

「ホッチキスは商品名でしょ?バンドエイドも商品名でしょ?
ポストイットは付箋紙、タッパーはプラスチック製密閉容器、ドラえもんはネコ型ロボット
トイレが詰まった時のパッコンはラバーカップでしょ!
あの魚の名前は、カクレクマノミ、ニモは商品名です!本当の名前で呼んで!」…を思い出したらしい(笑)
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甲斐よしひろ BEAT HARDWORK(8/2)1

2024-08-09 15:14:00 | メディア
今月の放送分は、まだパリオリンピック開会式前の収録ということで
五輪関係の話題は、来月の放送のお楽しみかな?…と思いきや(笑)
「えー、収録している今日は7月の24日ということでね、えー、今日の深夜の2時、U-23、ね?

その前に僕は、国立競技場に7時に行って、えー、ブライトン(戦)を観ると…
えー『三笘の1ミリ』対アントラーズですね
ナンか、僕の知り合いのすごいエライ人が、券を取った…
『取ったんで、甲斐さん、行きませんか?』…えー、みたいな…
勝村(政信)くんも来るらしいんです、ええ…ね?一応、そういう感じで…」

…と、まず、開会式に先行して開催されるサッカー予選リーグに触れられ
番組収録後には「お楽しみ」がおありだと明かされてました(笑)

勝村さんは、テレ東のサッカー番組のMCを務めていらっしゃるし
甲斐さんのご友人が大勢おられる「シス・カンパニー」に所属なさっているし
ペンは右利きながら、お箸は左利きという「クロスドミナンス」でいらっしゃるので
甲斐さんとお話が合いそうな方ですよね?(笑)

ともあれ…「えー、あのー、まあ、ナンか、選手村のアレが、ナンかスゴかったんだよ
続々と情報が…今もう…オリンピックの情報が、やっと見えて…ナンか、やっと高まって来ましたかね?
始まると、まあ、観ちゃうんだろうけど、ナンか
『ちょっと遠いな』と思ってたら、この1週間で、ナンかこう…ね?
各局、もう、現地に人を…えー、向かわして、そっからこう…レポートを…合戦みたいなことになってる…

選手村はですね、その…えっとー…いわゆる、その選手…選手たちが入る、その床下…
部屋の床下に、冷たい水を通してて…えー、流れてて、それで部屋を冷却するって、あったんですよ
…で、今、パリは、ナンか25℃とか…くらいで、そんな(気温が)高くないっていうのはあるんですけど
ただ、その…どうなるか判んないじゃないですか?

だから、えー『これくらい(の対策)で大丈夫ですよ』っていう…
その…ナンか、その…床下に水を…冷たい水を通してっていうの
『おしゃれでスゴいな』と思ったんですけど…
だけど、各国の選手団の…各国は、えー、全くそれを信用せず
それぞれ、みんな、勝手にクーラー(を取り)付けてる…ということなんですね

イヤ、そらそうでしょ?急に暑くなったら死んじゃうもんね?みんなね、寝れないし…
それで、まあ、みんな、そのクーラーをどんどん…緊急にどんどん…えー(取り)付けたと…
まあ、それだけ不安だということですよね?ええ…だから、面白いですね、ナンか…

まず寝れないとね、寝れないとダメですよ、寝れないと大谷は怒りますからね
大谷、10時間寝れないと、もう(笑)ホント、不機嫌だっていう話もある…あるくらい…
まあ、僕も必ず、あのー、最低7時間は絶対寝るんですよ
僕、だいたい…えーとー…3時くらいに寝て…えー、深夜の…で、10時に起きると…
だいたい、これが基本なんですけど…えー、という風になってる…

まあ、ナンか、僕、あのー、睡眠を削ると、人って、ナンとなく…
ちょっとこう…ピリピリしたりとか、ナンか、するじゃないですか?ねぇ?
だから、最低…まあ7時間は寝ときたいなって感じですかね?そのあと、食事して…
あっ、シャワー浴びて、食事して、まっ、ジムに行くっていう感じなんですけど…えー、ねぇ?

…と、パリ五輪事前情報か~ら~の、日常活動(笑)を披露なさってましたが
奥さんは「お昼寝をしないから」との理由で、保育園をクビになった(笑)くらい
「睡眠欲」がない…というか、幼い頃からのショートスリーパーなので
「私が7時間も寝たら、きっとものすごく体調が悪いってことだからね」と念を押されました(笑)

ともあれ…「えー、まっ、ナンか、体調…みんな万全に整えて…
そいで、まあ、オリンピックに向かうっていう感じがね
まず、柔道ですよね?柔道です…柔道…えー、女子?男子?どっちだっけ?…から始まるんですよね?

…で、昔、いつも…あのー、まあ、えー、えー、ヤワラちゃんがね、最初に金(メダル)獲って
…で、そのあと、野村(忠宏さん)が3連覇しても、新聞は全然デカく書かないっていう
有名な話があるんですけど、ね?…えー、3連覇スゴいっすからね」…と話されてましたが

そのパリオリンピック柔道では「JUDO」的な判定やら「号泣に非難の声」やら
「ズルーレット」やらと、モヤっとするような感じもありつつ
…って、本来「オリンピックは参加することに意義がある」と
ご当地のクーベルタン男爵がおっしゃったにも関わらず

やっぱり、選手の皆さんも、我々視聴者も「金メダル」にこだわり過ぎてしまうせいか
「不思議だな 銅で喜び 銀で泣く」という川柳に、ハッとさせられてしまいました(苦笑)
本当は、怪我などなさらず、全力で臨んで頂ければ、それだけで良いはずなんだけど…(汗)
…っていうか、大会に出場されたこと自体が、スゴいことなんですよねぇ…

それはさておき、この日は…「いつもより、オープニングトークが短めだな」と思っていたら…
「えー、ということで、ね?今日はですね、色々ちょっと楽しみな感じで
皆さんにお届けしたいと思ってるんで…」…と甲斐さん

インターバル明けに…「今日はですね、10月9日に発売になるBOXセット、ハイ
えー『KAIBAND STORY BOX』ということで…
えー『LONELY HEROINES & BROKEN HEROES』っていうBOXセットが出ます、ハイ

えー、まあ、アナログも2枚付いてて…で、CDも…えー、2枚…プラス、アウトテイクっていう感じの
CD3枚、アナログ2枚という感じで、まあ、今日は、その特集…
えー、今…今回と、それから次回、ねぇ?えー、特集しようと思っとりますが…
まずは、1979年に発売したシングル…えー、甲斐バンド『感触(タッチ)』」…を流されたんだけど

いつぞやのツアーで、この曲が取り上げられた際、甲斐さんが観客の皆さんに向かって
「タッチ!」のトコだけ歌って、拳を突き上げるんじゃなくて
そのあとの「Woo!」のトコも「ちゃんと歌えよ!」と、おっしゃったって話を思い出しました(笑)

ともあれ、曲が明けると…「ハイ、ということで…『感触』お送りしました!ねぇ?
ムチャムチャ音…音がムチャクチャ良いですよね?
えー、これ、あのー、ナッシュビルにある…えー『スターリング・サウンド』っていう、ね?
えー、名門のスタジオがあるんですけど…マスタリングスタジオ…

まっ、テッド・ジャンセン…えー、もう、テッド・ジャンセンは
僕、いつか…ずーっと(一緒に)やりたいなと思ってたんで…
テッド・ジャンセンが、リマスターして…えー、あと、ライアン・スミスって人が
アナログのカッティングを担当してるということで、ね?

今日…もう、ほぼ終わってるんですけど、終わってるんだが、アナログのさ、選歌のレーベルって
『あっ!昔のTOSHIBA(EMI)のヤツのレーベルにしないとマズイじゃん!』って言って
電話したら…『あ、もう…もう、甲斐さん、今さら言われても、全部終わってますんで…』だって…(笑)

だから…偶然、僕が言ってるレーベルになってたんですよ
だから『ああ、よかった!よかった!』と思って…
『もう、今さら言っても遅いですから』…そらそうだよね?
もう、こんな話…だって、2週間くらい前の話だもんね(笑)
…ということでね、えー、えー、ちゃんと昔の…
えー、TOSHIBA(EMI)時代のレーベルになっております、ハイ

えー、まっ、でも『盤面を赤にしたいな』と、ちょっと思ったりとか…
あっ、ビートルズがそうだったんですけどね『青盤』『赤盤』ってあって…
…で、まあ、それはさすがに…えー、高過ぎるということで…
えー、まあね、そのへん穏便に収めて…ということで…」…と、裏話も披露なさってましたが

奥さんは、お若い頃から甲斐さんが、ニューアルバムをリリースされるたび
…というか、レコーディングなさったそばから
まだ「完成品」ではないナンバーを、ご自身のラジオ番組で流されたり

プロモーションとして出演なさった番組や、音楽雑誌のインタビューで
そのコンセプトを熱く語られていたのを思い出したらしく
「相変わらず『新しいオモチャを手にした子供』みたいだね(笑)」とクスクス(笑)

ちなみに、このBOXセットに関しては…「また、タワレコ新宿店で『パネル展』をやったりとか
ツアー会場で『スペシャル特典』を付けたりとか、あるかも知れないなあ」…と言いつつ
やはり「発売日に聴きたい♪」と、早々に予約を済ませたようで(笑)
今回の「特集」は、早早と曲が聴ける喜びと
「相変わらずの甲斐さん」を懐かしく思う気持ちが入り交じり
ちょっとフクザツな表情をしておりました(笑)

あっ!そうそう!甲斐さんのボーカル抜きという異色のアルバム
「ラブ・マイナス・ボイス」は、確か「青盤」でしたよね?
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2024年上半期の整理ネタ4

2024-08-06 14:51:00 | 日記
田家秀樹さんの著書「80年代音楽ノート」の中で
甲斐バンドが、三たび取り上げられたのは、1986年の3組目…
「甲斐バンド『花火のように』解散~5日間の武道館とシークレット・ギグ」というタイトルの下

「『消えるとか、なくなるとか、そういうトーンダウンした展開は嫌なんで
真夏の夜の花火のように、パーッと夜空に舞い上がって燃焼したい。甲斐バンドは、解散します』
甲斐よしひろは、1986年3月3日の深夜に青山のライブレストラン『CAY』で行われた
新作アルバム『REPEAT & FADE』の完成記念パーティーでそう言った」…と始まり

「80年代には『三大解散劇』ともいえるバンドの解散があった
一つは83年に幕を閉じたイエロー・マジック・オーケストラだ
世界的な成功とともに『テクノポップ』という新しいジャンルを開拓したパイオニア
彼らは『解散』と呼ばずに『散開』と呼んだ

二つめが甲斐バンドである。年間100本前後のツアーを行い
79年からは毎年、日本武道館2日間公演を続け
『HERO(ヒーローになる時、それは今)』を1位に送り込み
海外レコーディングの歴史に残る3枚のアルバム『ニューヨーク3部作』も制作
80年代のバンドシーンを最前線で牽引していた

解散の原因はギター大森信和の耳の不調だった
甲斐バンドは福岡のライブ喫茶『照和』に集まった音楽仲間で結成
74年にデビューして12年、5月に放送された
テレビのドキュメンタリー番組のタイトルは『十二年戦争~栄光の軌跡~』だ
ギタリストを代えて続けるより幕を閉じるという決断だった」と綴られてますが

甲斐さんによれば…「甲斐バンドは、大森さんと作ったバンド」であり
その大森さんから、耳の不調を訴えられても、脱退には反対され
3度目にやっと「1年間の猶予」付きで、解散を決意なさった訳ですし

大森さんが他界されたあとには、それまでのような「期間限定の復活」ではなく
「本気で、もう一度、甲斐バンドをやりたいと思った」と、おっしゃっていたし
甲斐さんにとっての甲斐バンドは、大森さん抜きには考えられないんじゃないかと…?

ともあれ…「最後のアルバムとして、やはりニューヨークで仕上げた『REPEAT & FADE』は
メンバー各自が1枚ずつプロデュースした異例の12インチシングル4枚組
『解散』とは銘打たれていなかったが『旅立ちアルバム』という位置づけだった」…と田家さん

同じ1986年の6組目、渡辺美里さんの章の冒頭で
「日本の音楽シーンにおいて、1986年はアルバム作品が最も充実していた年ではないだろうか
そのアーティストにとっての代表作、転機となった作品、そして歴史に残るアルバムが
それも『複数枚組』という形で続々と発売された

たとえば先述した甲斐バンドが解散に合わせて発売した
12インチシングル4枚組の『REPEAT & FADE』もそうだろうし
サザンオールスターズの桑田佳祐が1年間限定で組んだソロプロジェクト
『KUWATA BAND』の2枚組ライブアルバム
『ROCK CONCERT』がリリースされたのも86年だ」

…として渡辺美里さんの2枚組アルバムの話へ繋げていらっしゃるんだけど
甲斐さんは、96年の再結成の際に、この「REPEAT & FADE」について
「僕にとっては残念だった1枚(笑)何でかって言うと、それぞれの1枚から1曲ずつ選んで
全体で1枚にした方が売れたんじゃないかと思うから…後から気づいた(笑)」と話されてました(笑)

それはさておき…「甲斐が『解散』の2文字を口にしたのは
完成記念パーティーの時と自身のラジオ番組での2回だけだ
3月13日の四日市市文化会館から始まったファイナルツアーのタイトルは『PARTY』
そのステージでも『解散』という言葉は口に出さなかった

武道館の歴史の中で、解散公演を5日間行ったのは、彼らが初めてだ
最終日となった6月27日、甲斐は嵐のような歓声の中で『サンキュー、じゃあね』と言ってステージを降りた
…と記されてますが、奥さんは、甲斐さんが、それ以降のライブで
この「ラブ・マイナス・ゼロ」を歌われる際に「サンキュー、じゃあね」と口になさるたび
「ああ、もう歌詞の一部になっちゃったねぇ」とフクザツな気分になるんだとか…(苦笑)

まあ、それと同じように「100万$ナイト」のエンディングの「叫び」を聴いてる時や
「氷のくちびる」の間奏で、甲斐さんが、大森さん以外のギタリストの方と並んで立たれる時にも
「ああ、単なる『お約束』みたいだなあ…」といった気持ちになるのが否めないらしいけど…(苦笑)

そして…「ドラマはそれで終わりではなかった」と「シークレット・ギグ」に触れられたあと
「80年代の三大解散劇。その3つめの主役となったのが、人気絶頂の88年に解散したBOØWYだった」
…と結ばれていて、すぐ次の章が「感情を吹っ切っていくようなスピード感~BOØWY初の武道館ライブ」

こちらにも「武道館では6月27日まで、甲斐バンドの解散コンサートが行われていた
それから5日後に登場したBOØWYはバンドの『ビート』が変わっていることを鮮烈に見せつけてくれた
甲斐バンドには60年代から70年代のロックが根底にあった
日本でいえば、はっぴいえんど、海外ではローリング・ストーンズやレッド・ツェッペリン
歌い手や演奏者の思いがこもっているような、重心の低いビートが土台になっていた」とか

「80年代になってからの甲斐バンドは『ハードボイルド』をキーワードに
メロディーや演奏に『心情』や『物語』を託そうとした
対照的にBOØWYは、布袋寅泰が奏でるギターの切れの良いカッティングと
松井常松の無機質なベース、高橋まことの乾いたドラムが引っ張ってゆくバンドサウンドで
観客も『聴き入る』というより『踊る』ことを優先している

男性ファンの『甲斐!』という感極まったような声が飛び交っていた
甲斐バンドの解散公演とは打って変わって、明るい嬌声があふれてゆく
わずか1週間の間に行われた二つのコンサートの違いには
時代が変わる現場に立ち会ったという実感があった」…といった記述があったり

「1980年」の章の12組目…「ジョンが亡くなった場所へ~小室等、吉田拓郎、井上陽水の
『ニューヨーク24時間漂流コンサート』~」では
「1980年12月8日といわれてジョン・レノンを思い浮かべる人は
もはやかなり上の年齢になるかもしれない…(中略)
筆者がジョンの死を知ったのは12月8、9日に行われた甲斐バンドの武道館公演の開演前だった
隣の席の関係者に教えられ、何が起きたのか理解できないままにライブが始まった

アンコールの最後に甲斐よしひろが感情を抑えるように
『逝ってしまったジョン・レノンのために』と言って
『100万$ナイト』を歌うのを聴いて現実なんだと思った」…と振り返られる一節があったり
…って、奥さんは「『かなり上の年齢』で悪かったわね(笑)」とツッ込みつつ(笑)

当日の控え室の模様…ジョンの訃報が掲載された新聞をお読みになった甲斐さんが
「信じられない…」といったご様子で首を振られ
十字を切って、その新聞を破っていらした映像…を拝見して、衝撃を新たにしたり
ラジオ番組で、その訃報について語られる甲斐さんの声が甦ったり…と
当時のことをまざまざと思い出していたみたいです

田家さんは「あとがき」で…「『80年代』をちゃんと書きたいという気持ちは
『毎日新聞』で連載していた『70年代ノート』を2011年に書籍化した時からあった
今の日本のポップミュージックのインフラが整えられた『開拓時代』が70年代だったとしたら
それらが一斉に開花していったのが80年代だった

それまで『あっち側』『こっち側』として相いれなかった芸能界、歌謡界と
フォークやロックなどの新しい音楽との境界線がなくなり、新しい『J-POP』が誕生した
『80年代』以上に刺激的で希望に満ちていた時代はなかったということに間違いないだろう

『70年代ノート』に比べると『私的』な要素は減っているかもしれない
それはひとえに自分の仕事や生活環境がそうさせたと言っていい
それまでの『編集者』や『放送作家』などの仕事から『音楽ライター』という在りように
特化していった時期だったからだ…(中略)

そういう10年間で『最も忘れられない1日』が86年9月12日だった」
…と、ニューヨークの「レコード・プラント」というスタジオで
ジョン・レノンとオノ・ヨーコの「ダブル・ファンタジー」に携わったスタッフの方に
「80年12月8日のことを聞かせてほしい」とおっしゃった話へ…

そのスタッフの方は「ジョンは、今、君が座っている椅子で雑談をしていて
じゃまた明日、と出て行った数分後にテレビのあのニュースが流れたんだ
みんなまたジョンのジョークだと思ったら本当だった」と話されたらしく
「俺はジョン・レノンが生前最後に座った椅子で40を迎えている。そう思ったら涙が止まらなくなった

出発の成田空港で尾崎豊に会ったことは本文でも書いた
同時期に中島みゆきのアルバム『36.5℃』のトラックダウンのために
同アルバムのプロデューサーの甲斐よしひろもニューヨークにいた
自分が好感を持っていたそれだけのアーティストとともに40歳を迎えている
それは信じられない夢のような出来事だった」

…と記されてますが、甲斐さん贔屓の我が家が抜粋したとはいえ
たびたび「甲斐バンド」や「甲斐よしひろ」という名前が登場し
…って、ここにご紹介した他にも、甲斐バンドやARB、めんたいロックや「照和」
甲斐さんを「セイヤング」のパーソナリティーにお選びになった渡辺勲さん…など
「関連事項(笑)」が、ちょこちょこ顔を出していて
この「10年間」は、田家さんとの蜜月だったんだなあと…
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