山男「S」さんにっこり。 これからの街道行きの安全と幸運をしっかり祈ってくれたのでしょうね。大きなマニ車です。回しやすいように手すりがついている。その奥にはマニ石が積み上げられている。
荷揚げを終えて引き揚げてきたのでしょうロバの大群。石畳の道を歩きます。このロバを先導する人はいません。先導するのは親分ロバか。お兄さん二人が後ろからついて行きます。
村の中、街道沿いにはこうした家並みがあります。民家とは思えません。登山者などの簡易宿泊所やおやすみ処でしょうか。
歩き始めて3時間を経過しました。今日泊まるロッジが見えるよ。と教えてもらったのが黄色矢印。まだまだ遥か彼方だ。正面の高い山、どうも気になる。ルクラで見えていた「パリ山」だろうか。
川に沿ってこの谷をずんずん進むのです。上ったり下ったり、山歩きに近いのにトレッキングというのか。昨年この街道からヒマラヤの山々を写した写真展を見る機会がありました。作者がいらして、聞いてみた。「道中私でも大丈夫でしょうか」と「大丈夫、あの道は生活道路ですから」との返事が返ってきた。なるほど、小さな村々を通りぬけてゆく道だから「生活道路」には間違いない。でもシェルパ族ではないわが身にとっては厳しい道だ。
日本語のお上手なガイドのラジェスさんを先頭に橋を渡ります。私は一番うしろ、皆さんとは随分離れたところを歩きます。Sさん撮影。前の写真でSさんの位置がわかります。遥か前方にその姿。
ヒマラヤ山系から流れ出る清流。少し青みを帯びたこの流れ「ドゥク・コシ川」(ミルクの川の意)に沿って歩いているのです。「H」これヘリポートでしょうか。