晴れときどき風

ノンキな主婦が時に風に吹かれながら送る平凡な毎日。

理解不能・・・

2006年08月25日 11時37分50秒 | 日記
昨日から騒ぎになっている某ホラー作家のエッセー「子猫殺し」。
我が家もワンコ・ニャンコがいますが、どうしても理解が出来ない。
私の頭が悪いのだろうか。

「避妊手術を、まず考えた。しかし、どうも決心がつかない。獣の雌にとっての「生」とは、盛りのついた時にセックスして、子供を産むことではないか。その本質的な生を、人間の都合で奪いとっていいものだろうか。」
「生まれてすぐの子猫を殺しても同じことだ。子種を殺すか、できた子を殺すかの差だ。」・・・・・・・

ん? 確かに犬や猫をペットとして飼うのは人間のエゴです。そのために去勢、避妊も犬や猫が望んだことじゃない。
しかし、盛りのついた時にセックスさせて子供まで生ませるほど、飼い猫の生を大事にしている作家さんなら、生んだ子供を育てさせるという親猫の喜びも大事にしようと思うんじゃないでしょうか。
頑張って生んだ子を殺す事は 飼い猫の生そのものを軽視している、いや 無視していると言う事ではありませんか。
私は以前、不用意に野良の子猫に近づき、隠れていた親らしき猫に激しく引っかかれた事があります。
ジーンズの上からでしたが、素肌に爪の痕がしっかりとつきました。
それほど、猫は子供を大事にする生き物なのでしょう。

生まれてきた子を殺すのと子種を殺すのと一緒でしょうか?
子種は受精して初めて生命が宿りますよね。受精しなければ自然と排泄されるもの。
受精して生を受けて生まれてきたのが子猫。
大きな違いがあると思います。

うちのニャンコは去勢しています。それはやはり飼い主のエゴでしょう。
けれど、生まれた子猫を全部飼えない以上、野良猫を増やすわけにも行かず、苦渋の選択です。
そして、去勢したことに責任を感じ、その猫を可愛がり、健康を気遣い、生命を全うさせようと思うのです。

他にも「?」だらけの文章で、正直言うと、世間に騒がれたいだけの捏造エッセーでは?と思うくらい。
まとめのように、 「私は自分の育ててきた猫の「生」の充実を選び、社会に対する責任として子殺しを選択した。もちろん、それに伴う殺しの痛み、悲しみも引き受けてのことである。」と まるで社会のため自分を犠牲にしてまで殺したかのような言い方。 ここにいたっては呆れるしかない。

更にたくさんの反論についてのコメントの意味も不明。

「タヒチ島に住んで8年。人も動物も含めた意味で『生』、ひいては『死』を深く考えるようになった。『子猫殺し』はその線上にある。動物にとって生きるとはなにかという姿勢から、私の考えを表明した。人間の生、豊穣(ほうじょう)性にも通じ、生きる意味が不明になりつつある現代社会にとって、大きな問題だと考えているからだ」
生・死を考えるために子猫を殺したんですか?子猫の命ではなくてあなたの命を使って考えてください。 動物は生きる意味をあなたに考えてもらわなくてもちゃんと生きていますよ。更にそのために動物を殺すなんて、ただ動物を殺したいための言い訳でしょ。
「人間の生、豊穣(ほうじょう)性にも通じ・・・・」・・・全く意味が分からない。とりあえず社会性を持たせとけばなんとかなるんじゃない?みたいな?
ほんとに、こういう事を書いて世間を騒がせたいだけの詭弁に聞こえる。

なんか興奮してしまいました。

でもいろんな理解不能の文言より、猫をご自分でも飼い、その不思議な魅力、可愛さ、愛おしさを感じていただろうに、その人が、愛する猫が産んだ子を殺して平気だというところに、言いようもない気味の悪さを感じる。
この作家さん自身が、ある大事な感情を無くしてしまっているのではないでしょうか。