あざみの気まぐれ日記

備忘録のつもりで書いています。

アメリカ旅行NO.7のつづき

2017年06月08日 | 旅行

(5月31日の日記)※NO.7から先に見てください。

 

やっと我々が乗る飛行機の出発時間が表示された。

8時半。出発間際、やっと搭乗ゲート担当のお兄さんが

ホテルの住所と飛行機遅延証明をもってやって来て

「JFK空港についたらうちの会社に行くとよい。これを見せたら

シャトルバスに乗ってホテルに行ける」と言った。(らしい)

やれやれと思いながら飛行機に乗り込んだ。

しかし、なかなか飛行機が飛び立たない。

故障していた飛行機、本当に飛べるのか?

大惨事が起きないか?不安になる。

9時過ぎにやっと飛行機が飛び立った。前方の若者たちが万歳をしていた。

JFKに着いたらその航空会社の人が丁寧に対応し、

シャトルバスに乗せてくれるだろうと思っていた。

ところが、その窓口が見つからない。やっと見つけていくと女性担当者が

恐い顔をして「団体旅行でもない者がそのホテルを事前に予約しているのは

おかしい。」とまるで私たちが不正をしているかのような言い方をした。

同じようにその飛行機に乗って来た人が「この人たちも同じ目にあった人だ」

というような事を言ってくれたようだったが「アメリカ人でもないのにおかしい」

と、不審者扱い。

朝9時から夜の9時過ぎまでいつ発つともわからない飛行機にしばられ

じっと待ち続け、日本への予定の飛行機にも乗れず、もう夜中の11時半。

丁寧な扱いを受けるかと思いきや不審者扱い。怒り心頭!

いかに貴社の飛行機が飛ばないことで被害が大きいか反論したかった!

しかし英語がしゃべれない。まわりに日本語が分かりそうな人が誰もいない。

そこへ、「切れた男」登場!大声で怒鳴り、わめきちらす。

何事か!?強盗!?不審者?!銃は持っていないか?

「荷物が盗まれた。10万円分入っている」と言っている(らしい)

会社の女性たち負けずに大声で反論。激しい言い合い。まるでドラマ。

そのうち屈強な警備員たちが来てその男を連れて行った。

訳が分からないが、それを契機に先ほどの担当者、急に優しくなり

ホテルに行っても良いという。

しかし、シャトルバス乗り場を探すのが大変だった。

エレベーターやエスカレーターに乗ってかなり歩いて

今度はモノレールに乗って、どこで下りたらよいのかも分からない。

最初、タクシーで行こうかと思ったが、イエローキャブが見当たらなかった。

昼間でもほかのタクシーは危険ということがガイド本に

書かれていたので、まして深夜、タクシーに乗るのは恐いと思った。

モノレール(?)の中で我々親子の会話を聞いていた男性が

「ここで降りると良いですよ」と日本語で声をかけてくれた。

大きなトランクを両手に持ちそのトランクの上に団子状態でまた

荷物を積んでいる40前後と思われる男性。

その人に急いでついて降りた。そして、またモノレール(?)の乗り換え。

車内で「日本人ですか?」とその男性が日本語で私に言ったので

私も「日本人ですか?」と訊き返した。

「シンガポール人です」と、その人は流暢な日本語で答えた。

「神戸に行った?(いた)ことがあります」と言った気がした。

娘が持っていたホテルの場所を書いた紙を見て

アイフォンで調べ、車内で何やら娘に英語でいろいろ教えてくれていた。

そしてモノレール(?)電車(?)を降りるとシャトルバス乗り場まで

連れて行ってくれ、柱に緑色の電話のようなものがくっ付いているのを

番号を押して聞いてくれ

「15分おきにそのホテルのシャトルバスが来るのでもうすぐきます」

と言ってくれた。地獄に仏とはこのこと!

その男性はスーツ姿で見るからに国際人という感じで

礼儀正しく紳士的な人だった。

シャトルバスはすぐ来た。その男性は手を振って見送ってくれた。

「素敵な人だったねー」と娘も私もその男性に一目惚れ。

「シンガポールの人は紳士的な人が多いよ」と娘が言った。

シンガポールには一度行ったことがあるけど、

このオバサン、シンガポールファンにこれからなりそう♪

今回の旅行で、もしかして一番心に残ったのはトランプタワーなどではなく

このシンガポールの男性かもしれない。

エスコートぶりがカッコよかったなー。(ルックスも素敵だった)

サバンナの空港で朝9時から夜9時まで待たされたことも

その男性に出あうためのものであったなら許せる気がする。

思い出してもほのぼの気持ちが温かくなる。

ホテル着、深夜1時半。やれやれ。

 


アメリカ旅行NO.7の1

2017年06月08日 | 旅行

(5月31日の日記)

いよいよ今日は日本に帰る日。

11時31分サバンナ発の飛行機に乗りニューヨークのJFK空港に

13時43分着。

夕方、18時15分のANAに乗り、6月1日の夜21時15分に羽田に着き

羽田空港近くのホテルで1泊する予定になっていた。

ホテルも娘が予約していた。

 

娘が今度の旅行で気にしていたのが、サバンナからの飛行機がまともに飛ぶかと

いうことだった。

13時43分にニューヨークの空港に着く予定の飛行機が

同じ空港から出発する18時15分発の飛行機に間に合わないはずがない。

たっぷり余裕がある。私はそう思っていた。

タクシーに乗って空港へ。9時頃、サバンナ空港着。

飛行機は11時31分。旅行の名残を惜しもうという気分でいた。

娘が「ニューヨークから来る飛行機が遅れている」と言う。

表示板を見ると10時50分に到着予定の我々が乗る予定の飛行機が

11時23分着になっていた。

これじゃあ、ニューヨーク行きの飛行機も遅れるだろう。

でもまだ時間があるので大丈夫。そう思っていた。

この飛行機がかなり遅れて到着した。しかしまだ間に合うと思っていた。

しかし、なかなか搭乗させてもらえない。

航空会社の搭乗ゲート担当者はやけに明るく、「大丈夫です。もうすぐ出発します。

プロペラの中に鳥が3羽巻き込まれているので、それを取り除けば

出発できます」とプロペラ内の写真を見せたりする。

しかし、時間は刻々と過ぎていく。

お腹もすいてきた。受付(?)の人が明るく振舞いながら何か配り始めた。

食べ物か?と思ったら、なんとトランプだった。(日本人なら怒るだろう!)

恐れていたことがとうとう起こった。

出発表示板(?)に出発が4時半と出た!

ニューヨークまで2時間はかかるので

これでは6時15分のANAに間に合わない!

こういうことがよくあるのか搭乗ゲート担当者たちは「私の責任ではないわよ」

というような感じで、異常なほど明るく冗談を言っては笑う。(国民性の違い?)

インドの人と思われる人も乗り継ぎに困ったようで受付の人に相談に行った。

娘はその後ろに並んだ。ところがなんとそのインドの人(?)の対応に

1時間かかった。(本当の話)

やっと娘の番が来た。娘は電話を借りて

ANAに「飛行機の故障で予定の飛行機に乗れず困っている」と状況を

伝えた。「ANAの飛行機の遅れなら配慮できるがそうではないので

上司に相談してみます」と相手が言ったところで電話をガシャンと

サバンナ空港のゲート担当者の女性が間違って切ってしまった。

さすがに娘も怒りを顔に表したらしい。(後で本人が言っていた)

また繋がりにくい電話をかけなおす。繋がったときはホッとした。

「今回1回に限り」を条件に翌日の昼頃の飛行機に変更してくれ

羽田から大分への飛行機も変更してくれた。

この空港の人たちの対応とは大違い。これぞニッポン!

娘はこういう予感がしたのでANAの電話番号を控えていたとの事。

これで一安心。お腹がすいた。

するとまた何やら受付の人が配り出した。小さなものだった。お菓子?

なんと受け取ったものは小さなイヤホン!(子供だましか!)

対応の悪さを訴えたいが英語が話せず文句も愚痴も言えない。

この空港で娘に何度か「なんて言ってるの?」とか「こう聞いて来て」とか

私は言った。「ささやき女将みたい」と娘に言われた。

日本語が分かりそうな人は周囲に全くおらず、言いたいことが言えない

このもどかしさ。

ニューヨークの今夜のホテルを取ることと、遅延証明書を請求するよう

娘に頼んだ。娘が受付の男性にそれを依頼したがなかなか返事が来ない。

催促するとその受付男性はその事をすっかり忘れていた。信じられない。

娘が息子にメールで羽田のホテルをキャンセルするよう依頼。

アメリカでは2日前なのに時差の関係で日本では1日前のキャンセルになる。

80パーセントの料金の請求が来る予定。

そうこうしていたら7時前に同じ会社の別の飛行機が到着した。

その飛行機は7時15分(?)頃、出発予定だった。

それに乗ってニューヨークまで行けると思っていたら

なんと、定時にその飛行機に乗る予定だった人たち優先で

後からやってきた人たちが先にその飛行機に乗って行ってしまった。

こんな対応を日本の空港はするだろうか?取り残されてしまった。

(つづく)


アメリカ旅行NO.6

2017年06月07日 | 旅行

(5月30日の日記)

さあ、今日は、ジョージア州の「サバンナ」観光。

娘はニューヨークに語学留学をしてTOEICをクリアして

このサバンナの芸術大学の大学院を出ている。

その卒業式に来るつもりはなかったのに

娘が成績優秀な生徒として表彰されると知り

10数年前、急遽、私は一人でここに来た。

卒業式前夜、表彰式があった。

学長からステージ上でトロフィー(?)を貰う娘の姿を

誇らしく思いながら見た。

その後、盛大なパーティーも行われた。

卒業式の日には卒業証書が一人ひとり手渡しされ

娘の姿と作品がスクリーンに大きく映し出されたりし

幸福感に浸ることができた。

 

その時、この町はなんと美しい町なんだろうと思った。

スパニッシュモスが木々に垂れ下がる光景は異国情緒たっぷり。

もう来ることはないだろうと思っていたが、また、ここに来ることができた。

↓娘が住んでいたアパート(台湾の女の子とふたりでシェア)

あの時、私は、ここに4~5泊した。感慨深く、写真を撮ったりした。

この町には公園が多い。「フォレストガンプ」の撮影場所になった所もある。

↓リュックを背負って歩く私。ニューヨークではこのリュックはバッグとして

使い、肩から斜め掛けしていた。(防犯を考えて・・・)

百日紅とタイサンボクの花が目に付いた。

木々が木陰を作ってくれとても癒される。

お金をかけたトランプタワーなどニューヨークのどんなビルも

この自然の豊かさには敵わないだろうと私の価値観では思われた。

お店の中も覗いてみた。値段が手ごろ。

(NYの5番街は場所代がかなり入っているだろう)

 ホテルに戻って少し休憩して、今度は今までの場所とは全く違う雰囲気の

「リバーストリート」に行った。ここも10数年前娘が連れて行ってくれた場所。

私の「お腹がすいた」がまた始まった。

このお店でコーラとこれらを注文したが、あまり口に合わなかった。

 

川はサバンナ川。向こうの建物は

数年前何かのサミットが行われ(政治経済に疎い)

安倍首相も参加し、テレビに映し出された場所。

てくてく歩いて帰る

鳥の珍しい鳴き声に足を止めて探すと赤い鳥がいた。

昨夜の味噌汁に懲りたので夜はピザを食べた。

画材屋さんに娘が寄りたいというのでついて行った。

以前はこのお店は無かったらしい。

 

スパニッシュモスが旅情を誘う。

美しい街、サバンナ(ジョージア州)また来れて良かった!

私と娘にはニューヨークよりサバンナの方が

魅力的に思われた。意見一致!


アメリカ旅行NO.5

2017年06月07日 | 旅行

(5月29日の日記) 

今日は15時10分の飛行機でニューヨークのラガーディア空港から

サバンナに行く予定。

雨も降るし、ホテルで少し休憩。

「デリ」で朝食を買って来て食べて、タクシーで10時ごろホテル出発。

40分くらい(?)でラガーディア空港着。

トランクを預けて空港内でのんびりすることにした。

空港内で昼食。

こういうのがあり食事しながらネットができる。

時間がたっぷりあったのでいつも家でしている「フラッシュ花札」なども

ちょっとしてみたりした。

しばらくして娘が「搭乗口が変更になったみたい」と言う。

7番搭乗口で待っていたのが9番に変更になったと放送があったという。

英語が分からなければ(しかも注意していなければ)搭乗口の変更を

気付かず、ずっとそこで待ち、乗り遅れかねないと思った。

娘のトランクは預けたが私のスーツケースはあまり大きくないので

(預けると3000円くらい支払わないといけないので)

預けず持ち歩いていた。

飛行機に乗るとき、飛行機の入口(外側通路)に他の人たちが

スーツケースなどを無造作に置いていた。

それに習って私もそこに自分のスーツケースを置いた。

座席に座ってから心配になった。

あのスーツケースを誰か持って行かないだろうか?

この飛行機に積んでくれるのだろうか?

気を揉みながら外を眺めていたら飛行機が飛び立つ間際

私のスーツケースが上から下りてきて、飛行機の下に

運ばれ、一安心。

この時に他の飛行機に荷物を積む様子も見ていたが

トランクを手荒にポーンポーンと投げてベルトコンベア(?)に載せる。

「良くトランクが壊れた」と耳にするがあれでは壊れるはずだと実感。

2時間ちょっとかかって「サバンナ空港」到着。

空港からホテルまでタクシー。女性の運転手。

かなり飛ばしているように思え、メーターを見るとメモリが80くらい。

なんだ。そんなに飛ばしてないじゃないかと思った。

後で娘が「時速80キロじゃなくて、時速80マイルなので130キロ近い

スピードを出していたよ」と教えてくれた。納得。

20分くらいでホテル到着。「マーシャルハウス」というホテル。

クラッシックな感じで予想以上に良い感じ。

夕食は近くの店でカリフォルニアロールと味噌汁など注文。

寿司はまずまずのおいしさだったが、味噌汁が不思議な味。

おまけにこの味噌汁に中華料理のレンゲのようなスプーンが

ついていて、それを見たら、食べる気が失せてしまった。

そのお店のウインドウを見ると「Sex on the  moon」と書かれていた。

「あれはどういう意味だ」と娘に訊いたら体調がすぐれぬ娘から「うるさい」と

叱られてしまった。(^^ゞ

ホテルに帰ってゆっくりすることにした。

 

 


アメリカ旅行NO.4

2017年06月07日 | 旅行

(5月28日の日記)

 

どこをどう行ったのか良く分からない。

とにかくよく歩いた1日。

ホテルからかなり歩いた駅から地下鉄に乗って、ついたところはウエストサイド。

ニューヨークの中心部とは明らかに違う古びた建物が目に付く。

「ハイライン」に娘が行ってみたいという。

どういうところか全く知らずについて行った。

廃止されたウエストサイド線(鉄道)の高架部分が公園になって

2.3キロ続いている場所だった。

線路が残っているその場所に優しい色した花々が植えられていた。

そこをジョギングしている人、散歩している人、団体で観光に訪れている人

などいた。自然派好みの娘は「こういう場所が良い」と一息ついている様子。

結構歩き疲れた。

地下鉄で次は「ブルックリン美術館」へ行くとの事。これも娘の希望。

この「ブルックリン美術館」はニューヨークで2番目に大きな美術館。

(一番はメトロポリタン美術館)

「ブルックリン美術館」はマンハッタンから大分離れた場所にある。

地下鉄の乗り継ぎが大変だった。特急に乗って乗り換える駅で停まらず

また引き返したり・・・階段の上り下りも多かった。

日曜日なので停止されている乗り場などもあり、引率係の娘は

神経を使ったと思う。

苦労してやっと「ブルックリン美術館」到着。

なんでもありと思えるような美術館。

ミイラも展示されていたがさすがにカメラを

向けることはできなかった。

ここで昼食。サンドイッチを注文したがパサパサしてあまりおいしくなかった。

 

また地下鉄に乗って引き返す。

地下鉄を出たところはロックフェラーセンターの内部だった。

入口の壁画が見られて得した気分。

そこから歩いて帰ったが日曜日で歩行者天国になっている場所などあった。

今回の旅行で一番歩き、一、二番に疲れた日。

ホテルに帰って何気なく足を見たら左足のくるぶしが、かなり腫れていた。

痛みが無いのが幸い。寝る前に持って行っていたシップを貼った。

部屋で一休みして、夕食調達。

お昼に食べたサンドイッチで懲りて日本食が食べたい。

娘の友達お勧めの「片桐」というところに買いに行く。

このお店も結構離れていて、てくてく歩いて行った。

このお店のおむすび、とてもおいしかった。梅干し入りのを買ったのだが

日本のよりもおいしいのではないかと思うほどおいしかった。

みそラーメンもおいしゅうございました。

めでたし、めでたし。